神は多くの名を持つのか−大本とイスラムの交流についての考察
川島堅二
はじめに
この発表では、大本[1]とイスラムの交流・対話事例の検討を通して、宗教間対話や宗教多元主義の可能性を考察する。このテーマは、本学会でも繰り返し取り上げられ、関連の書籍も多数出版されてきた[2]。しかしながら近年の日本のキリスト教会の趨勢は、対話や多元主義とは逆の方向に向かっているように思われる[3]。その理由は、宗教間対話や宗教多元主義が、各個教会で行われている礼拝式のあり方にまで踏み込む形での議論に展開しなかったことにあると思われる。宗教多元主義を真剣に受け止めるならば、各個教会の礼拝様式や伝道のあり方に根本的(radical)な変容をもたらすはずなのに、そこまで議論が浸透することはなかったのである。
1.大本とイスラムの交流・対話
大本とイスラムの交流は、1924年11月17日に日本人イスラム教徒の公文直太郎が、大本の本部、京都綾部へ参拝したのを嚆矢とする。この時、公文は「大本と帯属の誓いを結びます」と述べている[4]。翌年1月20日には、イスラム教徒田中逸平が参綾し「大本の教えとイスラムとは霊犀相通ずる」ものがあると述べたという[5]。
近年では、1990年11月8日にシリアのグランド・ムフティ(シリアにおけるイスラム法勧告最高資格者)のS.A.クフタロが来日、大本本部のある京都綾部・亀岡で参拝、講演、対話を行っている。翌年の5月には大本の幹部2名が、シリアに招待されると共に、メッカ・メディナへの巡礼を果たしている。その折にクフタロは「大本は日本のイスラム、イスラムはシリアの大本」と述べている[6]。
2.宗教間対話の神学的根拠
大本は、大天主太神(オオモトスメオオミカミ)を主神とし、国常立尊(クニトコタチノミコト)、豊雲野尊(トヨクモヌノミコト)等々、日本の記紀神話に登場する神々を祀る多神教である。そのような宗教が、アラーの唯一性を至上教義とするイスラムの指導者によって「日本のイスラム」と認知され、その幹部が改宗することなくメッカ巡礼を果たすことができた神学的根拠は何なのであろうか。それを私はシュライアマハー神学の宗教間対話への適用として解釈してみたい。
初期の『宗教論』においてシュライアマハーは「聖典などは、どれも宗教の霊廟に過ぎない。[…]聖典を信ずる人が宗教を持っているのではない。聖典など何ら必要とせず、自分でそれをつくることができるような人が、宗教を持っているのだ」[7]。「『神なくして宗教なし』というような信仰はまったく成り立たない[…]神なき宗教が、神を持つ宗教よりもすぐれていることがあるうる」[8]と主張し、文字が宗教の本質でないことを強調したが、それは後期の教義学について、その目的を「(教義学的)命題は派生的なものであって、実際には内的な感情の状態(der innere Gemuthszustand)が本質的なのであるといっているのだとたびたび意識してもらうこと」[9]と言わしめるに至った。これがドイツ・プロイセンにおける改革派とルター派の合同を視座に置いたシュライアマハー教義学『信仰論』の要諦であり、現代のエキュメニカルな可能性を秘めた神学であることはすでに論じてきた[10]。さらにこのようなシュライアマハー神学が、宗教間対話や宗教多元主義に資する内容を持つことも指摘されてきた[11]。
多神教の大本と唯一神教のイスラム、その両教に属する信者が相互に同じ宗教性を有すると認め合い、双方の聖地巡礼を可能ならしめた神学的根拠は、シュライアマハー神学の説く教義学的命題の派生性と内的感情の本質性によって説明できるように思われる。これは感情レベルの問題なので、これ以上言葉で説明することが困難であるのだが、イスラムの礼拝に参じ、同時に大本の月次祭に参じた者には、理屈ぬきで感じられることである。双方共に、人声を主導とし、広間に座しての礼拝行為であり、それぞれの神に対して、礼拝中、額を床にこすりつけての拝礼行為が繰り返される。両教の指導者(イスラムのクフタロと大本の出口京太郎)は、教義の相違を超えて内的感情において一つであることを実感し、認め合うことができたのであると思われる。
おわりに−キリスト教礼拝式への適用の可能性
教義における多様性と「敬虔感情」(Gefuhl)における一致、これをキリスト教礼拝式に適用するとどのようなことになるであろうか。最後に、具体的事例を実験的に提唱してみたい。
さて、ここに提案するのは、主の日(日曜日)における公同礼拝ではなく、個人が日々行う拝礼行為である。イスラム教徒は日に5回、大本信徒は朝夕2回これを行う。キリスト教徒には特に定めはないが、起床時や就寝時、また食前などに祈りや聖書朗読などの習慣を持つ者は少なくないであろう。日々行うものであるから、短時間(5分〜10分)で済ませられることが重要である。イスラムや大本の日々の礼拝には「ひれ伏す」という行為表現において神への「絶対依存感情」が表現されるのだが、キリスト教徒の日々の祈りや聖書朗読では、そのような要素はあまり強調されないように思われる。しかし、伝道的な観点からもこのような要素を盛り込むことは重要であろう[12]。
原則は次の二つである。(1)言語による教義的表現は、キリスト教の固有性をあくまで保持する。ここではシンボルとしての十字架と教義としての三位一体とする。(2)それ以外の表象、とりわけ感情を刺激する要素(身振り、手振り、声音等)は、聖書的に根拠付けが可能と思われる範囲で、あるいは聖書とは矛盾しないと思われる範囲で、イスラムや大本と共通のものを導入する。具体的には声音を大本の祝詞調、あるいはイスラムのアザーン[13]調にする。大本において清めに用いられる火打石[14]、拝礼の際、神への感謝、喜びの表現である拍手[15]、そして「絶対依存感情」の表現としてのひれ伏などである。
この原則を最も短い拝礼行為である大本の「神号奉唱」に当てはめて、以下、キリスト教の場合を実験的に提示する。
大本の神号奉唱 |
キリスト教への適用 |
大天主太神 (オオモトスメオオミカミ) 守りたまへ幸はへたまへ (マモリタマヘサキハヘタマヘ) 惟神真道弥広大出口国直霊主命 (カムナガラマミチイヤヒロオオイツキクニナホヒヌシノミコト) 守りたまへ幸はへたまへ 惟神霊幸倍ませ(2回) (カムナガラタマチハヘマセ) |
天地の造り主 全能の父なる神 その独り子 主イエス・キリスト 慰め主なる聖霊 守りたまへ祝福したまへ 御心の天になるごとく 地にもならせたまへ |
以上の神号奉唱は、神社神道では「2礼2拍手1礼」、教派神道の大本では「2礼4拍手1礼」を伴いながら行われる。キリスト教への適用では、三位一体を表現するために「3礼3拍手1礼」がふさわしいと考える。
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[1] 1892年開教、教派神道系の新宗教。1921年と1935年の2度に渡り「不敬罪」「治安維持法違反」等で弾圧を受けた所謂「大本事件」は、近代日本における最大の宗教弾圧として知られている。
[2] 「新しい神学の形成」『日本の神学』No.31(1992),「キリスト教は救いへの唯一の道か」『日本の神学』No.35(1996),「キリスト教の絶対性と宗教多元主義」『日本の神学』No.42(2003)など。
[3] 90年代より顕著になってきた原理主義的なキリスト教諸派、ボストン・ムーブメント、ヨハン教会連合、摂理などの日本人大学生への浸透、教会形成の方法論としてはこれらと酷似している国際福音キリスト教会の「弟子訓練」「小牧者訓練」の日本基督教団諸教会への浸透など。
[4] 『大本70年史』上巻p.765
[5] 同上p.766
[6] “Bankyo Dokon, Seventy Years of Inter-Religious Activity at Oomoto”, 1997.p.31-33
[7] KGA1/2,S.242
[8] KGA1/2,S.243f.
[9] KGA1/10,S.343
[10] 拙稿「エキュメニカル運動の基礎としての『感情』−シュライアマハー神学の現代的可能性」『基督教研究』第68巻第1号(2006年)p.72-80
[11] 井筒俊彦『イスラーム生誕』人文書院(1979年)p.122f.この書において井筒は、シュライアマハーによる「宗教の根源的基盤」「依属感情」について、「セム系の人格的一神教−具体的にはユダヤ教、キリスト教、イスラムの宗教性」にそのままぴったり当てはまる。「わけてもイスラムは、名称そのものがすでに絶対依属、絶対依存」なのであると述べている。 J.ヒック『神は多くの名前を持つ』岩波書店(1986年)p.8 この書においてヒックは、自らの神学がシュライアマハーの系譜にあることを述べている。
[12] ひれ伏して神を拝する聖書的根拠としては、以下を参照。ネヘミヤ8・6、マタイ2・11、黙示録4・10、7・11、11・16、19・4
[13] イスラムにおける礼拝への呼び掛けのこと。キリスト教の鐘と同じような役割をしているが、肉声で行われることに特徴がある。
[14] 火を用いる聖書的根拠としては以下を参照。創世記19・24、出エジプト3・2以下、マタイ3・11、使徒言行録2・3
[15] 拍手の聖書的根拠としては詩篇47・1「すべての民よ、手を打ち鳴らせ。神に向かって喜び歌い、叫びをあげよ」。「幸せなら手をたたこう」の作詞者木村利人は、この歌詞の着想を詩篇のこの箇所から得たという。『文藝春秋』平成13年9月15日発行p.227