"About ICC" in REVEAL(http://www.reveal.org/

Translated by CBS(Courageous Brothers and Sisters: Group of former members of ICC in Japan)
Japanese translation is permitted by Michelle Campbell, Executive Director of REVEAL.

[ ]は、文意を明確にするための訳者による挿入
 

ICC(国際キリストの教会)について-その歴史と神学

初めに

 REVEALのサイト、とりわけこのページにたどり着いた人はすでにお気づきだろう。インターネット上にはICCおよびその前身であるボストンキリストの教会(ボストン運動)やクロスロードキリストの教会(クロスロード運動)についての膨大な量の情報があり、初めてICCを知った方はその情報量に圧倒されることと思う。実際、REVEALのサイトの来訪者にはそんな人々が多い。 

  このセクションは他のICC関連情報を理解するために必要な、ICCの背景および基本情報を分かりやすく解説することを主眼とする。 REVEALサイト内にはこのセクション以外にも関連情報を理解するために必要なたくさんの情報がある。ICCに関して明らかとなっている情報の大部分は、ICCの現メンバーおよび脱会メンバーが提供した一次資料や個人の証言である。中には「情報」というよりも「プロパンガンダ」と呼ぶべきものも多く、大部分は直接役に立つ訳ではない。なぜなら、メンバー/メンバー志願者/メンバーの友人/勧誘された人の友人/それぞれの家族などがICCと接触して得た個人的な体験についての情報だからである。 

  これらの情報を理解する上で問題なのは、ある程度の予備知識が必要とされることなのだが、いつも読者がこの知識を持っているわけではない。 したがって、このセクションではそういった必要な予備知識を提供する考えである。
 

国際キリストの教会(ICC/ICOC)の概要

 (この光景は騒ぎ声の聞こえる大学寮のホールで繰り広げられている。時期は秋学期の始まる前の週、新入生は入寮している。空腹の新入生たちは明らかに一緒に昼食をとる人を探している。2人の学生がやってきた。)
 

 

上級生: 昼メシに行くの?新入生: ええ、おなかが空いたんで。 

上級生:ちょうどよかった。僕らもちょうどカフェテリアに行くところだったんだ。

(カフェテリアに入ると新入生と上級生たちは同じ席についた) 

上級生: 君を見かけた時にジョンと二人で今日のパーティーの話をしていたんだ。キャンパスの外の友達の家でやるんだけど、よかったら来ない? 

新入生: いいっすね、ありがとうございます! 

(暗転) 

 上記の「一幕」は大学における典型的なICCの勧誘活動パターンである。勧誘方法には様々なバリエーションが存在する。つまり、誰もが同じ方法でICCに参加するわけではない。しかし共通してICCは大学キャンパス内での攻撃的な改宗活動、および教会へ足を向けさせるための激しい「ディサイプリング」で特に知られている。メンバーは自分の時間の多くを仲間の学生、同僚、自分の周りにいる非メンバーの改宗に費やす。メンバーの昔からの友人や家族は、本人から無視されたか、改宗させるための集中攻撃を受けたと証言している。 

  メンバーは「ディサイプラー」の管理下に置かれる。ディサイプラーとは下部メンバーを指導し、責任をもつ所属歴の長いメンバーのことで、下部メンバーが質問や相談をすることができるのはこのディサイプラーに対してである。メンバーが直接ディサイプラーと会えない状態でも、間があかないように電話で指導を受ける。

  人によって原因やきっかけは様々だが、メンバー本人はやがて燃え尽き状態になるか疑問が増大して、グループから離れることになる。しかし、この様な状況になるのは数ヶ月後か、事によっては数年後になるかもしれず、とかくするうちに大学や仕事上のキャリア、その他の人生の分岐点が水泡に帰すか止まってしまう。ICCはメンバーに「ディサイプル(弟子)」と呼ばれる「絶対的な献身」を求める。その実態は、メンバーの人生において重要な決定をディサイプラーや指導者およびグループのリーダーが下すことなのである。この決定には大学の専攻や進学先、大学卒業後の就職先、デートの相手、結婚相手さえも含まれる。 

  ICCは改宗者の獲得にはかなり長けており、改宗率としては世界の宗教団体の中でも抜きん出ているが、メンバーの保持についてはあまり成功していない。あるICCのリーダーが最近語った話によれば、現在組織の中にいるメンバーよりも脱会メンバーの方が多いと推定されるそうだ。このような脱会率の高さは、ここ数年の教会の成長率にも影響している。だが依然としてICCが脱会率に関する情報を公開していないため、その正確な数字は分からない。

  それでは、このグループの起源はどこにあるのだろうか?また、どのように現在の組織が作られたのだろうか?すべての情報を理解することは出来なくても、概要を知ることによって現在のICCへの理解がたやすくなるだろう。
 

ICCの歴史

 ある町にICCの新しい教会が建てられると、何も知らない人はICCが突然生じたように感じるらしい。もちろんそんなことはないのだが、ICC自身はそのルーツをまったく見ないようにしている。現在のメンバーは1990年代初頭以前のグループの歴史をほとんど知らなければ、リーダーも初期の頃について表立って語ろうとはしない。

  この事実は部外者にとって奇妙に思われる。というのも、この団体の足跡は広く伝える価値があるように見えるからである。ICCは1967年に数百人程度の教会から始まり、やがて6つの大陸にまたがって300の地域教会を持ち、近年は85,000人の会員を持つまでに発展してきた。他の多くの教会ならば、この事実を広く伝えたいと考えるだろう。

 残念なことに話はここで終わらない。ICCは拡大と共に、多くのメンバーや教会の離脱も経験してきた。度重なる「改革」の期間に、創立者[Chuck Lucasのこと]の性的不品行の暴露やスキャンダル、創立した教会からの拒絶などが起こった。また(脱会者によれば)リーダーたちが掲げる実行不可能なまでに高い目標や精神的虐待によって、完全に燃え尽きていったメンバーも多い。2年前に南アフリカのヨハネスブルグで開かれたICCの会議で、あるリーダーが「現メンバー1人につき、脱会メンバーが2人いる」と発表したことがあるが、もしこの推定が正しければ約200,000人の脱会者がいる計算になる。

  現在のICCは1987年以前にグループを離れた人々を脱会者と見なしていないため、実際の人数はおそらくもっと多いだろう。
 

ICC/ICOCの起源

 ICCはキリストの教会というアメリカのプロテスタント主流教派から生じている。キリストの教会は10〜15年ほど前に、ICCとの区別を行うために「主流(mainline)」キリストの教会と名乗るようになった。(以前は両団体とも単にキリストの教会と名乗っていた。)

  ICCはまた「ディサイプリング」運動からも影響を受けた。この運動は1950年代後半にアッセンブリーズ・オブ・ゴッド(Assemblies of God)という教派の中で始まり、アメリカで1960年代後半から1970年代初期の社会的変革に伴い活動した「ジーザス・ピープル」復興運動にまで広がりを見せた。

 厳格で律法的なまでに聖書を重要視する主流キリストの教会と、精神的成長において個人の感性に重きを置いていたアッセンブリーズ・オブ・ゴッドの組み合わせは部外者には奇妙に聞こえるかもしれない。だが、運動には主流キリストの教会からの理知的な姿勢とアッセンブリーズ・オブ・ゴッドの情熱の両方が必要だったのである。初期のクロスロード運動がアッセンブリーズ・オブ・ゴッドと直接は接触しなかったにも関わらず、アッセンブリーズ・オブ・ゴッドのRobert ColemanやJuan Carlos Ortizなどの牧師や教師は運動に多大な影響を与えた。 

 一方、教義については、初期のクロスロード運動の教義の大部分が主流キリストの教会のものを基盤にしている。この運動について理解するには、まずこの点から始める必要があるだろう。

  主流キリストの教会は保守的な福音派のグループであり、アメリカの南部や中西部の「バイブルベルト」と呼ばれる地域に集中している。この団体はアメリカで1800年代の初めに起こった「復帰運動(Restoration Movement)」より発生し、この運動の保守層の役割を果たした。その他に独立系の「キリスト教会(Christian Church)」と「ディサイプル教会(Disciples of Christ)」も復帰運動より派生した二大教派である。また末日聖徒イエスキリスト教会(モルモン教会)も当時の宗教的復興運動より生まれ、初期の指導者は復帰運動に属していた。

 ところでキリストの教会は合同キリスト教会(United Church of Christ)とは別の教派であることに注意したい。合同キリスト教会は別のプロテスタント教会改革運動(Protestant Reformation)から発生し、キリストの教会や復帰運動とはまったく異なる信条をもっている。

 復帰運動は教派や経歴の異なるプロテスタント伝道者数人によって起こされた。彼らは教派の分裂状態に嫌気が差しており、このような分裂を終止させるための鍵は聖書のみを信じ、その他の信条や信仰の評価基準を破棄することであると確信していた。この運動が「復帰運動」と呼ばれるようになったのも、彼らが自分達のことを新約聖書の中に見られるキリスト教精神への復帰を目指していたことに由来する。

 おそらくキリストの教会の信仰、目的、方法論、ゴールについて的確かつ簡潔に表しているのはBatsell Barrett Baxterの記述だろう。彼は広く尊敬されたキリストの教会の牧師であり、数年前に亡くなったばかりである。 
 
 

 

(キリストの教会とは)第一に聖書を基盤とした宗教統一のための願いである。宗教が分裂したこの世界において、(すべてとは言えないにしろ)神を畏れる大部分の人々が一つになれる唯一の共通項は聖書である。これは聖書へ立ち返り、聖書が語り掛けることを話し、聖書に何も言及されていない信仰に関するすべてのことについて沈黙を守ろうという誓願である。さらに、すべての宗教的な事柄は「汝が主を語れ(Thou saith the Load)」という態度でなければならない。その目的はすべてのキリスト者が宗教的に一丸となることであり、その基盤は新約聖書である。そしてその手段となるのは新約聖書にあるキリスト精神である。

Batsell Barrett Baxter "What is the churches of Christ?") 

 Baxsterの文章を見ると明らかなようにキリストの教会は自身を特別に優れた存在とは見ていない。彼らの見方では、聖書のみを強調する点や他の信条の拒否は、分裂したキリスト教会の再統合への試みなのである。しかし、この考えを多方面で実践したところ、きわめて意に反する結果が表れた。主流キリストの教会には少なくとも20の派閥が生まれ、大部分はお互いを認めようとせず、それぞれが「宗派の教会」となってしまった。

 キリストの教会は、各地域の教会の上に位置する正式な組織構造や、明文化された信条などは持っていない。しかし、彼らの信仰内容はメンバー間でよく取り決められ、合意が得られている。メンバーならば誰でも次のような信仰内容を知っている。 
 

  • キリストの教会は聖書のみに従い、「人間の作った信条」には従わない。聖書で命令されていないすべての宗教的活動、聖書で示されていない規範、聖書の命令や規範を不必要に解釈したものは「非聖書的」であるとし、キリストの教会からは拒絶される。彼らはよくこんな言葉を口にする:「我々は聖書が語るところを語り、聖書が語らないところは沈黙を守る。 


 

 

我々もまた次のような意見を持っている。すべてのものが等しく御ことばに結び付けられている。したがって、すべてのことは人間が行う解釈の下にではなく、御ことばの下に等しく存在するのである。それゆえ、明らかに律法に背かない限り、誰も兄弟を裁く権利はない。 

Thomas Campbell "Declaration and address,1809")

  • 宗教的権威の点においては、キリストの教会は極端なまでに福音派プロテスタントであり、教会自体が教義や宗教的実践の権威を持つという考えを否定する。すべての権威はキリスト自身に拠っており、その実践は聖書に拠っているとしている。したがって、キリストの教会は新約聖書の時代以降の啓示や聖霊による直接の導きを否定している。


 

  • 主流キリストの教会はニカイア公会議で定められた教義を否定はしないが、この教義が人間による信条であり神の命令ではないと信じているため、礼拝や教えの中では実践しない。一般的にキリストの教会は三位一体を掲げているが、尊敬を受けている牧師や教師のうち三位一体を信奉していない者もいる。ただしこのことは教会を分派する要素とは考えられていない。


 

  • キリストの教会においては、救われるためには、福音を聞き、それを信じ、罪の悔い改めをし、イエス・キリストが神の子であることを告白し、罪の許しのために浸水による洗礼を受けることが必要であるとされている。(不真面目な信者の間では「五本の訓練」(five finger exercise)と呼ばれている。)洗礼は信仰を抱いたものだけが受けられるとし、幼児や子供には洗礼を授けない。洗礼という行為は実際に悔い改めた信者を救うと信じているが、洗礼の水自体には救いの力はないとしている。(彼らは使徒2:38を文字通りに解釈している) 


 

  • キリストの教会では毎週日曜日に礼拝を行う。彼らは、パンとぶどう酒はキリストの肉と血の象徴であると考えている。この点において彼らはローマカトリック教会の化体説(transubstantiation)の教義に同意していないのだが、他方でパンとぶどう酒について明確な教義を持っていない。聖体拝領には「醗酵しないパン」と「蔦のなる果実」-- 通常はクラッカーとグレープジュースが使われる。(大部分のキリストの教会はメンバーにアルコールを禁止しているため、ワインを使えない。) 


 

  • 大部分の主流キリストの教会では教会内における女性の役割について保守的な考え方を持っており、女性は子供の教室を教えるか、女性グループでしか説教が出来ない。ICCで考案された「女性カウンセラー」や「女性ミニストリーリーダー」などの女性の役職は主流キリストの教会では公式には存在しないが、年長の女性はICCの教会と同じく女性ミニストリーに関する多くの仕事をこなす。 


 

  • 多くの主流キリストの教会では礼拝中の楽器の使用を非聖書的であるとして楽器を使用しない。信仰内容や行動が主流キリストの教会と非常によく似ていて、同じく「キリストの教会」として呼ばれているIndependent Christian Churchesという教派があるが、楽器使用の点で主流キリストの教会とIndependent Christian Churchesを区別することができる。 


 

  • 姦通や不信仰による離縁でない限り、大部分の教会は離婚や再婚を許可していない。  

 このリストは主流キリストの教会の宗教的傾向の全体像を伝えてはいない。しかしこのリストのとおりにすべてが実践されている訳ではない。過去30年間の間、特に1950年代から1960年代にかけて、教義の中でも典型的に厳格な教えは多くの主流キリストの教会で放棄されている。

  クロスロード運動初期の頃は、主流キリストの教会は「主流キリストの教会のみが真のキリストの教会であり、地上におけるキリストの民である」という絶対主義と信念で知られていた。彼らは「宗派教会」(キリストの教会以外のすべての教会)が、分裂した異端の存在であると見なしていた。キリストの教会のすべてのメンバーがこのように考えていたわけではないが、多くのメンバーは他の教会に通う人々が救われず、地獄に落ちると信じていた。そして、この様な話が説教壇からなされるのは特別なことではなかった。 このような絶対主義は彼らの信仰に対して考えられる限りの神学的問題を引き起こした。大部分のメンバーはあまりバランス感覚を持っていなかった。その結果、教義における些細なこと(礼拝において楽器を使うことに反対することなど)はキリスト信仰(キリストの復活を信じること)と同じくらい重要視された。

  このことはとりもなおさず、彼らが他の教会の信者や、新しい考え、新しい概念から孤立していたことを意味する。もちろん、すべてのメンバーが孤立していたわけではない。例えば、多くのメンバーがC.S.ルイスや他の20世紀キリスト教作家の本を読んでいたし、他の教会の人と信仰について話をするメンバーもいた。しかし、外部の影響が伝わるのは他の教会に比べて遅く、保守主義はもはやこのグループの特徴となっていた。

  復帰運動やキリストの教会の信仰内容および用語は今でも多くがICCで使われている。ICCでは「復帰(Restoration)」がよく使われるが、これは自分たちが神に使わされて真の「新約聖書のキリスト精神」(これも復帰運動の用語)に復帰させる担い手だと考えているのである。また、ICCでも教派や分派は罪であり、拒否するべきであると考えられている。そして「聖書のみ」に従えば、信条や祈祷文は宗派的だと考えられ拒絶される。ICCの基本的な神学と聖書解釈はキリストの教会からもたらされ、多くの類似点を残している。
 

1967-1979 クロスロード時代

  ボストン運動とクロスロード運動はICCの前身であり、それぞれの運動が始まった主流キリストの教会の名前が付けられている。(クロスロード運動は1967年にフロリダのゲインズビルにあるクロスロードキリストの教会から、またボストン運動は1979年にマサチューセッツのレキシントンにあるボストンキリストの教会から付けられた。)ただし他でも、この 2つの運動によって設立された(または乗っ取られた)ものや、運動の方法論や信仰を取り入れた教会は数多いため、「ボストン運動主義者(Bostonite)」や「クロスロード運動主義者(Crossroader)」はボストンやゲインズビル以外にも存在した。 
 


 通常、ICC ではボストン キリストの教会が始まった 1979 年を設立年と説明しているが、外部の識者の多くは それより 12 年早め、場所もフロリダのゲインズビルにある 14 丁目キリストの教会(14th Street Church of Christ 後のクロスロード教会)としている。1967 年に、この教会の司教たちが Chuck Lucas をキャンパス ミニスター(大学キャンパスで宣教する牧師)として採用した。Lucas はすぐにゲインズビルにあるフロリダ大学に進出し、「キャンパス アドバンス」と呼ばれる団体を作った。

  同時に Lucas はキャンパス アドバンスの中で指導やディサイプリングのシステムを使い始めた。これらのシステムは2 つの方法論に基づいている。1 つは 60 年代後半に 1 対 1 のディサイプリング手法を紹介した Juan Luis Ortiz によるもので、彼は母国のアルゼンチンでこの手法に成功している。その当時、同じゲインズビルで活動していた Maranatha Ministries (現「Tree of Life」) と、Navigators という 2 つのグループもこのディサイプリング手法を取り入れていたが、多くの精神的虐待事例が報告されたため後にこの手法を廃止した。2 つ目の方法論はおそらく Robert Coleman の『Master Plan of Evangelism(伝道の主要計画)』や、同時期に書かれたディサイプリング(当時の呼び方で言うならば「司牧(shepherding)」)に関する著作によるものだろう。これらの著作の主要なテーマはマタイ28章18-20節の次のような解釈に基づいている。 
 
 

 

  • 弟子(disciple)を増やすことがクリスチャンの生活におけるゴールであり、目的である。 


 

  • 弟子を増やすためには世間に出て行かなければならず、世間が自分に向かってくるのを待っていてはいけない。そして人々を改宗(キリストの教会による洗礼を受けること)させ、自分がキリストから受けたすべての教えを伝えなければならない 


 

  • したがって弟子を作る過程では、より経験のあるクリスチャンが指導者、もしくは「祈りのパートナー」として新しいクリスチャンに付くことが必要である。指導者は福音の完全性を教え、新米の祈り手は指導者を見習い、従うことが望ましい。 

Lucasはこれに次の1点を付け加えた。
 

 

  • 弟子であるためには、神、教会、そしてディサイプリング手法に対して絶対的な献身が必要である。 

 人々をそれぞれの判断に委ねると、多くは好き勝手な方向に進んでしまうだろうとLucasは考えた。例えば、ある人はニューヨークに新しい仕事を見つけ、ある女性はロサンゼルスで新しい学校に通い始め、またある人はケニアで新しい教会を始めてしまうかもしれない。したがって、すべての人が教会にとどまり、忠誠を誓うような仕組みを Lucas は必要としていた。それがディサイプリング システム(またはバディー システム)なのである。 

 もし、これらの解釈がクロスロードを全く知らない20年後のICCメンバーにとって聞きなれた言葉だったとしても不思議はない。多少の重要な違いはあるにしても、初期のクロスロードと現在のICCとでは、教義と実践の類似性の方が違いをはるかにしのいでいる。バイブル スタディ(聖書の勉強を行う伝道的な小集団)や、ディサプラー、クワイエット タイム(quiet times=静修の時間)、「絶対的な献身」と呼ばれる過激なキリスト教精神、および世界中への(少なくとも現在の世代への)伝道という至上命令などはすべてクロスロードに由来している。(ただし、初期のクロスロード運動ではバイブル スタディを「ソウル・トーク(soul talks)」、ディサイプラーを「祈りのパートナー(prayer partners)」と呼んでいた。) 

 ボストンキリストの教会が「乗っ取り」を受けるまでの12年間はクロスロード キリストの教会、および他の主流キリストの教会でクロスロードの手法を取り入れたキャンパス・ミニストリーにとって、世界でもまれな著しい成長の期間だった。 当然、この急速な成長に関連して数え切れないほどの問題も発生した。若く、「絶対的に献身的な」弟子達は、しばしば教会の年配のメンバーを生ぬるく霊的に死んでいるとして軽蔑し、それを態度に表した。信仰上のプライドに傲慢さがつきまとうのは、ディサイプリング運動の始まりの頃からの弱点だったといえる。 

 年配のメンバーや既存教会の指導者がディサイプリング運動の教義に対する懸念を抱いたことも、この運動のリーダーやメンバーからは不適格と見なされ、年配者の存在は無視されるようになった。このため、厳格に教義を重視する保守的な主流キリストの教会との間では多くの緊張が生まれた。 

 1977年にはテキサスのヒューストンにあるメモリアル・ドライブキリストの教会が、支援していたイリノイの小さな教会にいた2名の若い牧師を解雇した。牧師の名は、Roger LambとKip McKean。Lambはメモリアル・ドライブ教会の長老の息子であった。この若い2人の伝道者への資金援助を取りやめる決定が書かれた書簡の中で、教会の長老たちはLambとMcKeanが誤った「人を騙す」教義を教え、統制的な手法を実践したとして非難している。 

 この書面は各キリストの教会に広く回覧され、主流キリストの教会内で増えつつあったクロスロード運動への批判を決定的なものにした。1979年までにクロスロード運動の大部分の支持者も反対者も、クロスロード運動の方法論が、確立されたキリストの教会の中ではうまく機能しないことをはっきりと悟った。この頃より、教会内でクロスロード運動を支持するキャンパスミニストリーは教会から分裂したり、深刻な問題に苦しむことになる。 

 そこで、Kip McKeanは別の方法を試みることにした。彼はマサチューセッツ州のボストン郊外に小さなつぶれかけた教会を見つけ、その教会からクロスロード運動の方法論を使って教会を建て直す許可をもらった。この教会はたたむ寸前の状態であったが、キャンパス ミニストリーを育てる McKeanの手腕が着目され、建て直すためのすべての権限が彼とそのグループに委ねられたのである。こうしてボストンキリストの教会は誕生した。 
 

1979-1987 ボストン時代

 1980 年代初頭にはボストンキリストの教会はキリストの教会全体だけでなく、他のディサイプリング運動を行っている教会を追い越すまでの成長率で拡大するようになっていた。また、この時代にICC自身が教会を設立し始めた。例えば、ニューヨークには1981 年に、シカゴとロンドンは1982 年に、その後何年かの間にいくつかの教会が世界中で設立された。

 どの場合においても、ボストンで訓練された伝道者と数人のインターンからなる「チーム」が新しい都市に派遣されている。伝道者と1、2人の担当者は職員として扱われ、ボストンから給与が支給されていた。(もっとも、伝道者以外の人間が職員待遇を受けるのは稀であった。)その他のチームメンバーは現地で仕事を見つけ、自分で生計を立てることを要求された。チームメンバーは、1980 年代の初頭は志願制だったが、後には教会指導者によって選ばれるようになっていた。建前ではチームメンバーが自分に与えられた「召命(calling)」を受諾するかどうか選択できることになっていたが、実際にはこの依頼を断るとメンバーは大変な状況に陥るのだった。この教会設立の基本的なパターンは現在まで変わらない。

 1982 年までに、ボストンはクロスロードに代わりディサイプル運動の中心としての地位を確立した。クロスロードは教会の設立を続けてはいたが、ボストン派では、設立されたニューヨーク、シカゴ、ロンドンの教会自身が世界中に教会を自己増殖させていった。「この世代のうちに世界中に伝道する」という Kip McKean のカリスマ的で情熱に溢れた説教に駆り立てられて新しい伝道チームが定期的に組織された。

 このような伝道についてのメッセージは、キリストの教会内、さらに教会外の多くの人間の反響を呼んだ。ボストンは「信じられないことが起きている現場」であった。多くの人々が新しく入った大学を転校し、仕事を辞め、家を売り、時には家族と共に引っ越ししてまでボストン運動に加わろうとした。

 主流キリストの教会の優秀なリーダーで、1980 年代中頃に「ボストンに行ってしまった」、つまりボストン運動に参加したのが Jerry Jones と Gordon Ferguson である。Jerry は約 1 年後に運動を離れ、その後、主にボストン運動の指導層の主張を集めた長い著述を 3 作執筆した。これらの著述は読むだけで背筋が寒くなるものである。というのも、この著述からは Kip McKean が崇められ、その結果ボストン運動のリーダー数人が彼を使徒と同一視していることが伺えるのだ。

 Gordon Ferguson は Jerry Jones が去った直後の 1986 年にボストン運動に参加した。彼は現在でもメンバーであり、多くの人が彼を ICC の「教会改革」方法論の作成者だと見なしている。この方法論は 1987 年の「大改革(Great Reconstruction)」の時期に最初に登場したが、実際に組織再編に使われるようになったのは 1990 年代に入ってからである。(「大改革」については後に触れる。)---ここでいう「改革」とは、改宗に応じなかったり、命じられたゴールを達成できなかった教会の組織体制を変えることであった。

 1985 年には、クロスロード運動に悪影響を与えつつあった運動の創立者Chuck Lucas がクロスロード キリストの教会を解雇された。解雇の理由は、彼に公然たる性的不品行があり、その行為がいまだ続けてられているというものだった。上層から末端まで多くのメンバーはこの出来事がトップの権力闘争であると疑ったが、その後リーダーたちの様々な証言によってこの嫌疑が事実だったことが明らかになっている。 

 さらに、Lucas の振る舞いは長年に渡ってクロスロード運動の長老たちに知られており、黙認されてきたこともリーダーたちによって証言された。彼の行動が目立つまでは隠し通されてきたが、もはやそれも不可能であると長老たちも判断したのだ。この出来事には 2 つの重要な点がある。1 つ目は前述したように、ディサイプリング運動を創始したのはあくまで Lucas であって、Kip McKean ではないこと。2 つ目は、この出来事が一連の不祥事の、氷山の一角に過ぎないということである。ディサイプリング運動の長きに渡り、性的に不道徳なリーダーの振る舞いが黙認され、他のリーダーがそれを揉み消していたのだ。ディサイプリング運動では、一般メンバーに行動規範が課せられていたにも関わらず、リーダーの中にはそれを守れないものもいた。もっと言えば、この運動では伝道者やリーダーの行動に公的に責任を取らせるような指導体制が取られていないのである。

 1980 年代中頃にはボストン キリストの教会と主流キリストの教会はさらに分離していった。同時に、ボストン運動に属する教会自体も 2 つの派閥に分派した。Kip McKean およびボストンを完全に承認する一派と、ボストンの権威主義的なピラミッド構造や燃えつき症状を快く思っていない一派である。元メンバーが証言しているように、信仰上および精神上のひどい混乱によって引き起こされる燃え尽き症状は確実に増加していた。主流キリストの教会の多くは、ボストン運動の用いる方法論や組織再編を受け入れられなくなっていたのである。

 1986年には、ボストンキリストの教会の支持者であり、主流キリストの教会の牧師、およびAbilene Christian 大学で教会成長に関する研究主任でもあったFlavil Yeakley博士が同大学の学生Al Bairdの依頼に応じて、ボストン運動が拡大する現象について調査を実施した。Baird をはじめ、他のリーダーたちにもYeaklyが主流派の教派や「カルト」と呼ばれる他のグループも同時に調査したことは知らされていなかった。調査方法としてはMBTI (Meyers-Briggs Type Indicator)という簡単な心理テストが用いられた。このテストによって、カルト メンバーの人格が、グループの規範に忠実なタイプやリーダーのイメージに集約されるというカルトの特徴が浮き彫りにされるのである。調査対象はボストンキリストの教会の多数のメンバー、対象群として主流キリストの教会のメンバーと他教派のメンバーが何人か選ばれた。Yeakley博士は、ICCがカルトだという増えつつあった非難が誤っており、大部分はボストン運動の成長率に対する嫉妬に起因するものだと信じ、調査結果でそれらの意見に対して反論を行うつもりだった。

 それと同時にYeakley博士は正直な人でもあった。ボストンキリストの教会のメンバーに行ったテスト結果で、個々人の日常の行動指針よりもグループが定める行動規範に従うという極端な水準での「人格転換」が確認された時、彼は外部の非難は実は真実なのであるということを悟った。ボストン側は改善の約束をしたにも関わらず、その兆しが見られなかったためYeakly博士は結果を公表した。(人格転換は組織がマインドコントロールを使用しているかどうかを判断するための最も正確な基準のうちの1つである。) ボストンキリストの教会はYeakley博士を警戒し、彼を教会の敵と宣言した。また、彼と話をすること、あるいは彼の著作を読むことをメンバーに禁じた。

 これに対し、Yeakly博士は自分の著作を主流キリストの教会に見せた。主流キリストの教会内のあらゆる信徒に警告が発せられ、ボストン運動は危険視されるようになった。

 数か月後の1987年前半に、ボストンキリストの教会は、元来ボストンによって設立されていないディサイプリング運動教会に対して、自身を「改革」することを要求した。改革とは対象となる教会の全指導者が辞職し、訓練を受けるためにボストンへと送られ、逆にボストンから送られてくる指導者チームのための下地作りをすることを意味した。この要求を拒絶した教会は、それ以降にもはや運動の一部と扱われなくなった。 こうしてボストン運動は主流キリストの教会との関係を完全に断った。

 ほとんどのディサイプリング運動教会はこの要求にしたがったが、従わなかった教会もいくつかあった。その中には、シアトルにあるノースウェストキリストの教会(伝道者であるMilton Jonesは運動内において非常に影響力があった)、および運動の発祥地であるクロスロードキリストの教会もあった。また、「改革」時代に指導者が入れ替わった教会からは多くの離脱者が出た。離脱者の多くは長年に渡るメンバーやリーダーであり、現在起こっていることに賛同できない人々だった。REVEALの創立者の一人はこのうちの一人である。

 この時期に、Kip McKeanは、初めて「弟子としての洗礼」という ICCの代表的な教義を公にした。――洗礼を有効にするためには、メンバーは完全に洗礼の目的を理解し、キリストのように生きることに邁進し、そして教会のリーダー(教会とリーダーというのは同様のものであると見なされている)に服従しなければならないという教えである。この理解を持たずに洗礼を受けた人は、クリスチャンと見なされなかった。

 この教義は、主流キリストの教会の教会員が「真のクリスチャン」ではないと主張する根拠ともなり、ボストン運動に影響された教会の中で多くの再洗礼が行われるようになった。--そのため、この時期に多くの上層リーダーが再洗礼を受けた。奇妙なことに、Kip McKeanは、再洗礼を受けていない(少なくとも彼の再洗礼については公に言及されたことはない。)

 脱会したメンバーは1986年後半から1988年前半の間の期間を「大改革」と呼ぶようになった。この時期にICCと主流キリストの関係は最終的な破局を迎えた。--この時点から、両方のグループは互いを別々の教会と考えるようになった。 
 

1987-1998:ICC/ICOC時代 

 ICCは1993年まで 「国際キリストの教会」の名前を公式には採用していない。しかし、「大改革」がその分岐点だったと言えよう。初期のボストンキリストの教会は、教義や実践が主流キリストの教会と明らかに異なっているにも関わらず、居心地が悪いのを抑えて現実的かつ継続的に外部のキリストの教会との関係を保っていた。

 1987年以降は、ボストンキリストの教会は完全に独立して運営されるようになった。彼らは、ボストン派のみが唯一の教会であると考え、外部の教会とコミュニケーションをとる努力は為されなくなった。ボストンキリストの教会は独自の路線、あるいは脱会メンバーが一般的に言うように、 Kip McKean路線をたどることになった。

 これまで主流キリストの教会やその他独立系のディサイプリング運動教会にある程度行動を合わせたり期待に応えたりするために、ICCには多少の足枷がはめられていたが、いったんそれが外れた後の行動は素早かった。この頃に現在のICCの特徴の一つになっている、複雑なヒエラルキーが構築され始めた。世界の様々な地域のリーダーは、いくつかの国々にまたがるエリアを任され、改宗運動を命じられた。----これらのエリアは現在、ワールドセクター(World Sectors)と呼ばれている。この時代に、昔からボストン運動に加わっていた教会と、大規模な教会からのミッションチームによって「乗っ取られた」教会との間で、今まであいまいだった権威の線引きが正式に引かれた。また、ボストンの指導部を支援するためにICCに属するすべての教会が満たさなければならない要件と組織構造が正式に定められた。(組織構造についての詳細は後述する。)

 1990年には、Kip McKeanがボストンからロサンゼルスへ移籍し、それに伴い運動の中枢もロサンゼルス キリストの教会に替わった。ボストンキリストの教会は今でも存在はしているが、「ボストン時代」はここで幕を閉じた。

 1980年代後半から1990年代初期にかけて、ICCは爆発的な勢いで新しい教会を設立し、既存の教会ではメンバー数が大幅に増えた。これによって、ICCのメンバー構成も変化した。以前は、メンバーの多くが主流キリストの教会からの移籍者だったが、新しいメンバーはそれが当てはまらなくなっていた。新メンバーは、無宗教も含めて様々な宗教的バックグラウンドを持っており、大部分は主流キリストの教会から移籍したどころか主流キリストの教会についてあまり知らなかった。--新メンバーはICCから与えられる情報だけでICCへの理解を形成していった。

 それと同時に、グループが課す精神的プレッシャーの高い生活スタイルや不合理な要求で燃え尽きてしまい、ICCを去る人々もさらに増加した。当然、非難も増大した。以前はICCへの非難のほとんどが主流キリストの教会内の人々によるものだったため、キリストの教会外の人間からは派閥的な論争と見なされ、たいていは注意を払われなかった。ところが、新しい非難はあらゆるところ--キリスト教の教会、ユダヤ教のリーダー、一般の精神治療医などから寄せられた。彼らの患者に激しい心理的虐待を受けた症例が次々と認められ、いずれの患者も過去にICCのメンバーだったのである。

 1991年には、クロスロード運動時代から14年間リーダーだったRick Bauerが運動を離れた。さらにその6か月後、同じく運動の著名なリーダーだった妻のSarahも彼に続いた。他の多くの脱会者と異なり、Rickは自分の脱会理由や運動の誤りを正確に指摘することができるだけの多くの神学的な素養や能力を持っていたため、公に発言を始めた。このことはICCにとって大きな憂慮となった。(Rick及び彼の妻Sarahの話の詳細についてはREVEALのライブラリ http://www.reveal.org/library/ を参照のこと。)

 大西洋を隔てたロンドンキリストの教会でも、イスラム教シーア派からの改宗者Ayman Akshar が1991年に運動を去った。彼は、妻Janeおよび赤ん坊の娘と共に脱会した。 (Aymanの改宗は非常に重い代償だったといえる。彼がクリスチャンになったために、イスラム教の家族との縁はすべて断たれてしまった。) 

 1990年前半にAymanはロンドンキリストの教会で財務を担当していたため、多くの非公式なミーティングに出席していた。彼は会計上の不正をいくつも見つけ、リーダーも彼と同じようにその不正を大問題視して改善してくれるだろうと考えて報告を行った。ところが彼はこの不正に対し沈黙を守るように命じられたのだった。数か月の苦悶の後、彼はICCを離れた。活動を行っている国の法律すら尊重できないならば、ICCは謳っている通りの団体ではないのだと彼は結論を下したのだ。 さらに、彼は当局にこれらの会計上の不正を報告した。後に英国税務局による調査が行われ、ロンドンキリストの教会は多額の追徴金を支払うよう命じられた。

 脱会して2、3年後にはAyman はGraham CluleyというICCにガールフレンドを奪われた人物と出会い、最初の脱会者グループであるTOLC(Triumphing Over London Cults:ロンドンのカルト団体に打ち勝つ会)を結成した。TOLCは新聞社へ手紙を送り、ICC監視サービスを始め、とにかくイギリス国内のICCの一挙一足に対して積極的な反対活動を展開した。これらの活動によりロンドンキリストの教会の社会イメージは失墜し、国内のいくつかの大学では退去を命じられ、半分を越える会員を失った。

 初めはICCの指導者層もこれらの反応を、神の教会に対するサタンの攻撃であり、予想内の出来事だとしてすべて片付けていた。しかし、批判はなおも行われた。1992年にはKip McKeanが説教の中で、運動内で、ある種の精神的虐待行為があったことを認めた。彼は、弟子がディサイプラーの意見に従うことを説く教えは間違っていたと述べ、この教えはもはやなされないだろうと述べた。

 仮にこの約束に本当にICCのやり方を変える意志があったとしても、その結果はまったくの失敗に終わったと言えよう。1992年以降にICCを去った人々は、以前に去った人々とほとんど同じ話を語った。世間の注目を集めた大規模な離脱は減少するどころか増加した。

 1993年には、イタリアのミラノにいたミッションチームの大部分が数週間のうちに運動を離脱して、「大改革」以来の大規模なICCからの「離脱」の端緒が切られた。このミッションチームは、堅い信念を持ち、ICCに献身的なメンバーから構成され、離脱までのほぼ2年間をミラノで一緒になって働いていた。離脱の理由は、ミッションチームとICC指導層との間で生じた教義上の大きな相違に対して、指導層がその相違を話し合ったり認めたりすることを拒否したこと、さらにそのことによってチーム全体がICCから孤立させられ「目をつけられた」ことであった。(ミラノミッションチームの事件の経緯および証言について詳細を知りたい方はREVEALのライブラリ http://www.reveal.org/library/を参照していただきたい。)

 その後に続くのが、1994年にインディアナキリストの教会で起こった大多数のメンバーの離脱である。ICCでは「インディ」という名で呼ばれていたこの教会は、最も急成長しているICC教会の一つであり、その伝道者Ed Powersは運動の中でも前途有望なリーダーだった。その年の2月に彼は腰を痛め、一週間寝たきりになった。その間にEdは、ICCの教えの中で自分が不安に感じ始めていた個所を集中的に勉強し、本当に聖書によって正当化できるかどうかを確かめてみた。その結果、正当化はできないとの結論に達した。

 Edはインディアナ教会のスタッフに心を打ち明けた。ICCの指導層が彼の批判をよくとらないかもしれないという懸念にもかかわらず、ほとんどのメンバーは彼に同意を示した。指導層からの圧力が加わる可能性を顧みず、Edは2月27日の礼拝で『統一か画一か?』という主題の説教を行った。その説教で彼は、自分とインディの指導チームが次の4つの結論に達したと話した。 
 
 

 

  1. 方針と教義はロサンゼルスから指示されるものではない。 


 

  1. ICCのみが救いをうける教会ではない。 


 

  1. 奉仕は強制の下にあってはならない。 


 

  1. ICCの規則を重んじるシステムはクリスチャンから喜びを奪っている。(例えば数字による成績評価や貢献に対してゴールを定めること 

 説教の終わりに、彼は次のように尋ねた。ICC指導層に対する彼の懸念を支持してくれるのか、それとも彼を辞職させICCから新しい伝道者をインディアナポリス教会に送ってくれるように頼んで欲しいのか、と。会衆はEdの説教や彼が指摘した点を支持し、圧倒的に賛意の投票をした。――投票は賛成が600以上、反対が1、棄権が6だった。

 ICCの指導層はインディアナポリスの指導チームの質問に対して、1年前にミラノチームに対して行ったように応対した。--インディアナの指導者たちはすべての議論を拒絶され、メンバーの資格を剥奪され、すべてのリーダーがマークされた。そして事件の真相やEd Powersと彼を支援したインディリーダーについて、ICCの指導層は偽りの中傷を広げることにより教会員を取り戻そうと試みた。

 試みの大部分は失敗した。インディアナポリス教会のほとんどの教会員は、起こっている事態をよく把握しており、事実の捏造を信じなかった。そこで、ICCの指導者層は新しい伝道者を送り、新しい施設を借りて新しい「インディアナポリス国際キリストの教会」を設立した。そして、元来からあるインディアナポリスキリストの教会に残ったすべてのメンバーは仲間と見なさず、マークすると宣言した。 (この事件の経緯、およびEd Powersの説教『統一か画一か?』のコピーは、REVEALライブラリ http://www.reveal.org/library/ に掲載されている。) 

 1995年、ちょうどインターネットが爆発的に普及し始めたように、Usenet(インターネットの電子掲示板システム)上にあるいくつかのキリスト教関連ディスカッション・グループのユーザーが、ICCについての議論が多すぎるため、他の話題がかき消されてしまうと苦情を言い始めた。そこで、脱会メンバーであるChris Leeのリクエストにより、Usenetに alt.religion.christian.boston-churchというニュースグループが作成された。[ニュースグループとは、インターネット上で特定の話題について議論するためのBBSのようなもの。]

 この年[1995年]は脱会メンバーによって最初のウェブサイトが作成された年でもある。ICC自体はウェブサイトを構築するためにもう1年かかっているため、ICCリーダーがインターネットに対して抱いている愛憎あいまみえるような姿勢は、このサイト構築の遅れに起因しているのかもしれない。脱会者によるサイトは、指導層がコントロールすることができないICC関連情報源であり、アクセスを防ぐことは出来なかった。これによって、グループについて疑問を抱いている現メンバーが情報を求めてインターネット上を検索し、脱会メンバーのウェブサイトを見つけて、最終的に脱会するケースが徐々に増えていった。

 1995年には、南アフリカのヨハネスブルグで開かれた指導者会議で、Al Baird(ICCの「ワールド・セクター・リーダー(World Sector Leaders)」のうちの一人)が、ICCの「司牧の危機」について言及した。このスピーチで彼は、現在のメンバー1人につき脱会メンバーが推定で2人存在すると報告した。ICCのリーダーは、このような事態を防ぐために、またもや教会の運営方法を変更することを決心した。

 1996年には、ある脱会メンバーが自宅でICC脱会メンバーのための月次支援グループ会を開催し始めた。彼女は1994年に脱会したが、グループに戻ろうとして悲惨な年月を過ごした人である。実はこの人がわれわれ支援グループの一員Michelle Campbellである。彼女がICCへ加入した時期はクロスロード時代にさかのぼる。運動のかなり初期に脱会し、  その後ICCに関する情報を少々のせる程度のつもりでサイトを開設していた。

 最初はまばらだった彼女のサイトの来訪者も、次第にどしゃぶりの雨のようにものすごい数となった。何ヶ月かの電子メールと電話のやり取りの中には胸が張り裂けるような相談内容もあった。Michelleと、サイトの管理者をしていたCatherine Hamptonの二人はもっと正式な組織が必要でであることを悟り、REVEALを発足した。 その後年月を経て、最初は少数だった支援グループやウェブページも増加していった。この中には個人運営のものもあれば、ICCに対抗するためにいくらか公的な活動をしているところもあった。

 1997年には、ケニアのナイロビクリスチャン教会で数多くのリーダーが、1994年にEd Powersおよびインディアナ教会のグループが抱いたのと同じ理由で脱会した。Lucas MboyaおよびJoseph Owadeの2人は、今までの経験を多岐にわたって書き記した。(これらの資料およびナイロビクリスチャン教会の伝道者Richard Alawayeによるプレス・リリースはREVEALライブラリ http://www.reveal.org/library/ に掲示してある。)MboyaOwadeが語る内容は、同様の精神的被害を経験した多くの脱会メンバーから見て、妥当性があり信憑性の高いものと受け止められるだろう。 

 1998年1月、Kip McKeanは別の点に重点を置き始めた。明らかな「 ファーラウェイ」(fallaways=落伍者:ICCで脱会者を指す用語)の増加に影響され、彼は、指導層に改宗よりもICCが既に獲得したメンバーの必要を満たすことに尽力することを命じた。(またもや路線変更である。) この命令によって、グループが脱会メンバーに与えた問題が大きく改善されるかどうかはまだ分からない。しかしながら現時点では、ICCを去ろうと考えていてREVEALにコンタクトをとってくる人々は以前の脱会メンバーが長年話していたのと同じような内容を語っている。
 

ICCの神学 

 ICCに対するREVEALの主要な関心は神学でないが、ICCの行動はその神学に動機づけられている。したがってICCを理解したいならば、そして自分を見失うことなく/議論が平行線を辿ることなくメンバーとICCについて話したいならば、ICCの神学の基本や教義へのアプローチを理解する必要がある。

 少数の顕著な例外を除いて、ICCの教義は、ICCの母体である主流キリストの教会ものと同じである。この章では、私たちは、ICCがその母教会と共有する教義と、異なる教義の両方を説明する。

 最初に、ICCの神学の拠り所 ---- つまり、ICCにおいて誰が説教をしたり教えを授けたりする権威を持っているのか ---- ということについて議論する必要がある。ICCでは、聖書が究極の権威だと考えられている。だが実際は、ICCのワールドミッション伝道者(World Missions Evangelist)でありICCの最高責任者であるKip McKean が、グループの実際の行動やICCの教義に対する究極的な権威であり、拠り所である。だからといって、彼がグループで使用される教義関連の資料をすべて書いているわけではない。――他のICCメンバー、特にGordon Ferguson、Doug JacobyおよびMike Taliferroは、それぞれがMcKeanよりもはるかに多い量を執筆、出版している。しかしMcKeanが書いたものには最高の権威があり、ICCでは他のメンバーの書くものはすべて彼の承認なしに出版されたり、教会の中で使用されたりすることはない。

 McKeanによって実際に書かれたか、彼の作だとされているのがFirst Principles Bible studyシリーズである。この文章は過去20年間に渡ってほとんどの新規メンバーが洗礼に先立って勉強してきた。また同様に1992年のディサプルシップマガジンの記事である『Revolution through Restoration (復帰による革命) 』には運動のビジョンが明確に示され、手がかりとなる教理が書かれている。さらに、多くの貴重なMcKeanの発言も説教テープや講義ノートから入手している。同様にこれらも見ていきたい。

 その他にここではICCのリーダーの話や著作も引用する。その中には、Ferguson(長老であり、おそらくICCの中の秀でた神学者)、Fergusonの妻Teresa Ferguson(著名な女性ミニストリーリーダー)、Marty Fuqua、注目すべき他のワールド・セクター・リーダー、および伝道者のものも含める。

 ICCおよび主流キリストの教会では、次のような信仰が中心となっている。
 

  • 両者とも、クリスチャンの教義と実践における唯一の権威は聖書のみであると信じている。ただ、聖書が特にそれを禁止しないという理由で、ICCの方は聖書に現われない教義や実践を行うことを厭わない。この点でICCはどちらかというと、いわゆる「Independent Christian Churches」と類似している。Independent Christian Churchesは、主流キリストの教会を生んだ同じ宗教運動から生まれたあまり保守的でない分派である。


 

 

「おそらく批判者の中には私たちが実践をした後に、それを正当化するために聖書を引いていると断定しているのでしょう。しかし問題にすべき点は、順序ではなく実際に聖書でその行いが正しいとされているかどうかなのです」 

「よりよいモットーとは次のようなものでしょう。<聖書が語るところでは、私たちは沈黙を守ります。そしてバイブルが沈黙を守るところでは、私たちは語ります。>したがって神が何かを定義している場合は、私たちは沈黙しそれに従います。しかし、神が何も定義していなければ、私たちは神の法則を実行するための最も有効な方法を発見する自由を持っています 」 

- Gordon Ferguson Progressive Revelation Boston Bulletin, May 1988 

  • 両者ともニカイア信条中の三位一体説を受け入れている。しかし、信条とは神のことばではなく、すべて人間の教えであると彼らは信じているので、実質上は信条を拒絶している。ただし主流キリストの教会と異なり、ICCは説教や教えで神学の問題を強調せず、実利主義的かつ結果指向のアプローチをする。そのためICCでは、真面目な神学の勉強は多くのメンバーにとって時間の浪費として見る傾向がある。


 

 

「教義上の正しさばかりを強調する宗教団体は、すべて展望を見失い、神を失う危険を犯しています。...新たな事態に対応できる様々な新しい解釈や言葉を持っていると言い張ることは、たとえ既存のものが誤りであるにしても、それは事実上我々が何も新しいものを持っていないということを保証しているに過ぎないのです。」

-- Gordon Ferguson Progressive Revelation Boston Bulletin, May 1988 

  • 両者とも教会の統一を信じ、教派や分派には罪があり神の仕業ではないと考えている。主流キリストの教会と異なり、ICCは、教会の単一性を壊さないために、1つの都市や町には1つの教会だけがあるべきだと信じている。このため、1つの都市や町にはICC指揮下の教会が2つは存在しない。最後に、ICCは、自身を神の民の「後継者」と見なしている。ICCこそ「この世代におけるイエス・キリストの教会」だと信じており、もはや主流キリストの教会は真の教会ではないと見ている。 


 

 

「もし、あなたがディサイプリングミニストリーにいないのなら、そこに移る必要があります。なぜ、あなたは聖霊に抵抗して移らないのでしょうか? …神は、後継者を鍛造しようとしています …私たちと主流キリストの教会との間には隔たりがあります。なぜなら、第2コリント書11章中で言われているように、どちらが神の信認を得ているかはっきりさせるために、別々のものとして存在しなければならないからです。」 

-- Kip McKean Why Do You Resist the Spirit? 1987 World Missions Seminar, Boston 

 

 

「この教会(ボストンキリストの教会)こそが神が現代において働きかけるエルサレムです。」

-- Kip McKean McKean Becomes Mission Evangelist Boston Bulletin, June 26, 1988 

  • 両者とも救いを得るためには、罪の許しのための浸礼式による洗礼をしなければならないと信じている。また成人だけに洗礼を行い、「理解できる年齢」に達していない幼児や子供に洗礼を行わない。ただしICCは、人が救われるためには「弟子として受洗する」必要があるという、さらに独特の教えを持っている。これは洗礼時に受洗者が、ICCの考える正しい洗礼に対する理解を持ち、すべての罪を悔い改め、洗礼に先立ってキリストの弟子として生きることを確約しなければいけないことを意味する。そうでなければ、洗礼は無効であり、受洗者は救われないと見なされている。


 

 

「キリストの教会内では長い間...救済の計画において5つの目標があることを教えられてきました...すなわち聞き、信じ、悔い改め、告解し、受洗することです… 私は大切な要素が悔い改めの中で強調されていないと思っています。….この際、洗礼を受ける資格があるのはどんな人間なのか、はっきりさせておく必要があるでしょう。…私たち一人一人が弟子となるのです...この点において主流キリストの教会とは教義上の違いがあります。しかしそれが単なる方法論の違いのように見えるので、彼ら(主流キリストの教会)はそれを認めようとしようとしないのです。」

-- Kip McKean Perfectly United 1987 Boston Women's Retreat 

 

 

「私は、使徒言行録11章26節から明らかに読み取れる次のことを教えました。それは、救われること、クリスチャンとなること、そして弟子となることはすべて等しいということです。その意味は簡単です---弟子でなくては救われず、真実のクリスチャンでありえないのです。私は、洗礼を受けるためには、弟子になることを最初に決定し、洗礼はその後でなければならないと教えました。…彼ら(主流キリストの教会からの移籍者)の悔い改めと洗礼についての理解が聖書の内容と一致していないため、その洗礼が無効であることを私は教えました。」

-- Kip McKean Revolution through Restoration Discipleship Magazine, April 1992 

  • ICCでは、マタイ28章18〜20節で述べられているキリストの宣教命令が、等しくすべての信仰者に当てはまり、積極的に活発な改宗活動(「福音の伝道」)に従事することが神に命じられた個々人の第一の責任だと信じられている。また、非メンバーを改宗させることが教会全体の主要な使命であると信じられている。 


 

  • 同じくマタイ28章18〜20節に基づき、ICCではディサイプリングのシステムが信じられている。このシステム下では、すべてのメンバーに指導メンバーが割り当てられ、メンバーは指導役に報告し、罪を告白し、従い、切磋琢磨することが求められる。


 

 

「弟子としてのディサイプルパートナーを持っていないことは、神、およびこの教会の指導層に反抗的であるということです。… あなたがディサイプルしている人は、あなたのことを信じなければなりません。なぜなら、あなたは神がお望みになることのために活動しているからです。私がこう言うのも、彼らが理解できない助言も時にはあるからです。しかし、神と神がお望みになることのためにあなたが活動していると信じれば、彼らはあなたに従うでしょう。あなたの判断が彼らのものより善いと信じさせなければならないのです。」

-- Kip McKean Discipleship Partners 1988 Boston Leadership Conference 

 

 

「この人々(ディサイプラー)を信じていないなら、究極的には神を信じていないことになります。私はディサイプラーを信じている分だけ、実際には神を信じているのです。」

-- Kip McKean Discipleship Partners 1988 Boston Leadership Conference 

  • 両者とも、聖書が教会にとって適切な組織構造を指示していると信じている。だが、この点ほどICCがそのルーツである主流キリストの教会と異なっている点もない。主流キリストの教会では各地域の教会が、「長老」と呼ばれる年長者のグループ、あるいは教会の男性メンバー全員によって運営される独立した共同体となっている。伝道者や牧師は、長老や男性メンバーたちより下位とされている。そして各地域の教会の外部または上位に位置する、あらゆる地上の権威は否定されている。 


 

  • 一方ICCの組織構造はローマカトリック教会の階層構造とよく比較されるが、むしろICCの構造の方がカトリック教会の過去のいかなる階層構造よりも、はるかに多くの方法でメンバーをコントロールしている。また、ICCでは各教会に自治権や指導権をほとんど与えていない。ICCの教会では、伝道者がリードし、長老は伝道者よりも下位である。(実際にはそうでない場合でも、建前上では伝道者が最上位と考えられている。) 古くからある大規模なICCの教会の多くは長老さえいない。 


 

 

「年長者のいない教会では、伝道者が教会における神の権威となります。伝道者に従う必要のないただ一つの場合とは、その伝道者が聖書に従うな、あるいはあなたの良心に従うな、と命じた場合だけです。そして、たとえあなたの良心に反することを伝道者が命じたとしても、完全な統一のためには、なおもそこから学び、祈りと共に自分の意見を変えて行く努力をしなければなりません。」

-- Kip McKean Why Do You Resist the Spirit? 1987 World Mission Seminar 

 ICCは「聖書のみ」の考えを信奉しているため、人間による聖書解釈の有効性を否定している。だが、解釈を否定したからといって聖書を解釈することを妨げられる訳ではない。ICCは、自分たちの聖書の読み方が実は解釈の1つであることを認識していないのである。ICCは自分たちの解釈は聖書が教える内容をそのまま示唆したもので、誠実な人ならば同意せざるを得ないはずだと主張する。

 「完全な統一」の主張、解釈の否定と曖昧さ、聖書をICCと同じ方法で理解しなければならないという主張によって、ICCのメンバーだけが救いを得るとICCでは信じられ、教えられている。もし部外者がこの点を追及すれば、ほとんどのICCのメンバーはこれに言及することを避けるか、ICCの外にも聖書の正しい理解に至った人々はいるかもしれないと主張して、表現を和らげるだろう。しかしながら、実際のところはICCが現代における唯一の教会であり、ここで救われなければいったい他のどこで救われるのだろうと、考えているのだ。