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大学生の時から3年間東京キリストの教会で活動したBさんの手記

東京キリストの教会で、私はアシスタントリーダーになり、バイブルトークリーダーになり、ある時期までは「将来を嘱望されたリーダーの卵」でした。でもいつからか、「インディペンデントだ」「反抗的だ」と言われるようになりました。そんな中で、私がリーダーをしていたグループのメンバーが教会を去り始め、ミニストリーはバラバラになり、それによって私は「あなたが悔い改めないからこうなった」と言われ、リーダーから降ろされました。それからしばらくたったある日、それまでディサイプラーだった女性との電話でのやりとりにショックを受けた私は、教会を去る決心をしそのまま実家に帰りました。

とはいえ、最初の1ヶ月は地獄でした。外出すらできませんでした。「自分は落伍者なんだ」と思い込んでいました。誰か、家族の中に、私のせいで不幸が起こるのではないかと本気で心配しました。昼間は人の目が怖く、夜は闇が怖かったので電気を消して眠ることができませんでした。近所に、教会に誘って洗礼直前まで勉強をすすめた子がいたので、その子やその子の家族に会うのも嫌でした。 

1ヶ月たつと、自分でもこのままでは悪くなる一方だ、ということが分かったので、とにかく外へ出ようと思い、就職のための面接を受けるようになりました。数社から採用通知がきましたが、結局勇気が出ずに断ってしまいました。親は「あなたを養うくらいの蓄えはあるから、しばらく休養しなさい。」と言ってくれました。私は甘えることにして、図書館に通い、キリスト教についていろいろ調べてみました。様々な本を読み、資料を集めるうちに、自分を責めることをやめるようになりました。教会から「フォールアウェイ」した人とも連絡を取ることができました。彼女たちは「みんなが助け合って傷をいやさないといけない」と言っていましたが、私はグループを作ると、そのメンバーになると、またあの教会と同じような事になってしまうような気がして参加できませんでした。 

落ち込む時間がだんだん減り、教会のためにあきらめた自分の趣味を復活させたりして、生活がだんだん普通になってきました。友達もでき、仕事も見つかり、ようやく普通の生活が送れるようになりました。私は大学2年の時に教会に入り、その後OLをしながら教会に通い、それまではいつも教会に縛られた生活をしていたんだ、と本当に実感しました。今まで、やりたくてやっていたのではない、抑圧されて、何かにおびえて教会の言うことに従っていたんだと思います。そして、おびえていた何かというのは、「神様が人々に与える罰」であり、リーダーが自分をどう見ているか、という「リーダーの目」でした。人の目を気にしないで行動できることが本当に素晴らしいことに感じました。当たり前のことなのに・・・。そして、私の中の神様も、「本当に私を愛してくださっているのだったら、最終的に正しいところに導いてくださるはず。私は神様を捨てたのではないのだから」と思えるようになりました。 

今は素晴らしい友人に恵まれ、結婚し、やさしい夫と子供に囲まれ、理解ある職場にも恵まれ、本当に幸せな日々を送っています。

1998年6月25日記

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