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Hさんの手記

「東京キリストの教会」との出会い

ある日、私は大好きな俳優が出演する演劇を観て、その感動のさめぬまま帰りの電車に乗っていました。すると一人の女性が声をかけてきました。はじめは「何だろう、この人?」と訝しく思いましたが、不思議と会話が弾み、別れ際に彼女は自分の名刺に携帯と自宅の電話番号を書き、私に渡しました。私は「何でこんなことまでするのだろう?」と思いましたが、相手が出したのだから私も出さないと失礼かと思い、とりあえず自分も名刺を渡しました。お互いに電子メールアドレスを持っていることが分かり、後日メールで連絡を取ることを約束し、別れました。

その後、彼女から連絡があり、食事に誘われました。私は適当にはぐらかそうと思ったのですが、なぜかそうすることができず、彼女と彼女の友人と三人で一緒に食事をすることを約束しました。当日は本当に不思議なのですが、初めて会って食事をしているとは思えないほど楽しい時間を過ごしました。その時、彼女たちはクリスチャンで、ある教会に通っていることを私に打ち明けましたが、そのことについては、私はあまり関心を持ちませんでした。それよりもなんとも言えない彼女たちの発するオーラのようなものを感じ、私はとても強く引きつけられました。そして、彼女たちともっと友達になりたい、彼女たちのように人を引き付けられるような人になりたいと強く感じながら、その日は別れました。

その後も何度か彼女たちとメールで連絡を取るうちに、バイブルトークに誘われました。私はまた彼女たちと会えると思い、喜んで参加の約束をしました。その時は、キリスト教とか聖書の勉強をするつもりはあまりありませんでした。ただ彼女たちに会いたい一心で、バイブルトークに参加したのです。バイブルトークには十人くらいの男女が集まりました。そこに参加していた信者たちはとてもフレンドリーに私に接してくれました。そして口々に「この教会に出会ってから自分の人生が変わった。信じられないかもしれないけれども本当だよ」というようなことを私に語りました。バイブルトークの内容は、正直言ってあまりピンとこなかったのですが、その家庭的でフレンドリーな雰囲気はとても魅力的でした。

そして、誘われるがままに日曜日の教会での礼拝に行きました。すごい熱気と活気にあふれた雰囲気にただただびっくりしました。そして、バイブルトークで一緒だった信者が、教会のステージに立ち「会社でアメリカ転勤の話があった。僕はすごく悩み、牧師と相談した結果、この地に残り、この教会の活動を続ける決心をした」という話をしました。そして、他の信者が「皆さん、情熱を持って活動してますか?」というような話をしました。私はその時点で「あっ、やばいな。ここはもしかしたら信者獲得のための活動をしている新興宗教ではないか?」と不安な思いが込み上げてきました。しかし、また例の彼女たちの顔を見ると、そのような不安は消え、彼ら信者たちと夕食を共にしている中で(この会食が、とてもフレンドリーないい雰囲気なのです)私は聖書の勉強をすることに決めました。

バイブルスタディーからバプテスマへ

そのようなわけで、私は彼女たちと聖書の勉強を始めました。

それが始まると私は夢中になりました。勉強するということがこんなにも楽しいことだとは思わなかったほどです。私は彼女たちと会うのを心待ちにしていました。また会社でも彼女たちや他の信者からのメールが来るのを心待ちにしていました。もちろんメールが来れば何より先に返事を出していました。勉強の内容は、私にとってとてもエキサイティングで、私は水を吸収するスポンジのようにどんどん学んでいきました。そして学んだこと全てを素直に受入れることができました。それと同時に少しでも彼女たちと一緒にいる時間を多く取りたいと思い集会には積極的に参加しました。一週間目を終わる頃になると一日も早くこの人たちと本当の兄弟姉妹になりたいと、心の底から願うようになりました。

二週間目からは、毎日勉強がありました。会社始業前にも朝みんなで集まってお祈りをしたりして信者との時間を持ちました。私はなぜ急に毎日勉強をしなければいけないのか疑問に思いましたが、いざ勉強が始まってしまうと、もうそのような疑問を深く考える余裕もなく、夢中で勉強していました。夜の10時になろうが12時になろうが、私は全く苦になりませんでした。会社の親友は、私の生活サイクルが乱れてきたこと、明らかに疲れきっていることを感じ取り、心配してくれましたが、当時の私は睡眠不足にもかかわらず、心は異常にハイテンションで、「ぜんぜん平気だよ。神様が守ってくれているから」というようなことを親友に語っていました。しかし、彼女(親友)はそうとは思っていなかったようです。(後から聞いた話ですが・・・)そして、ちょうど「弟子について」の勉強をする頃でしょうか、7,8人のメンバーが申し合わせたように、私に励ましのカードをプレゼントしてくれました。このようなことは予期していなかったので、すごく感激しました。そして彼らのためにも、一日も早くバプテスマを受けて、彼らと本当の兄弟姉妹になりたいと、勉強にも一段と熱が入るのでした。

闇について」の勉強に入ると、「光」の世界に入るためには(クリスチャンになるためには)今まで自分が犯してきた罪の壁を壊す必要があると言われました。そして罪を認め、心から悔い改めができるかどうか、今まで自分の犯してきた罪を書き出すように言われました。もうその時点で夜の12時になっていましたが、私はとにかく思い出せる限りの罪を書き出し、泣きながら、自分の罪を認められるように、悔い改めが心からできるように祈りました。時間は既に朝の4時になっていました。

翌日私は牧師夫妻の家に行き、今までの私の罪は、すべて自己中心の罪であり、全く私には愛がないことを牧師の奥様から指摘されました。そして私の罪が、イエスを十字架に架けたのだと言われました。そして、それは私が十字架に架かるはずだったのに、イエスが十字架に架かったのは、私が悔い改め、イエスのため、神様のため、人のために生きるために、そういう人間になるためだったのだと言われました。私はそれを聞き、もう号泣し、頭を床にこすりつけながら、「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。」と言うのが精一杯でした。すると奥様は、「イエスはこう言っているよ。『いいんだよ、許してあげる、ありがとう、分かってくれて、愛しているよ』って」。そして私は、この日からクリスチャンになるのは自分のためでなく、イエスのために生きる者になること、そしてイエスの愛をこれからの私の人生の基本にすると決心しました。そして、イエスの愛に対する精一杯の感謝を心に刻みつけたのでした。

翌日、「教会について」の勉強をし、私が唯一正しいこの教会でバプテスマを受けられることを心から誇りに思いました。

家族による説得

いよいよ明日バプテスマを受けられるかもしれないという日、私の両親が上京してきました。私は明日はバプテスマの日で、信者の友達が泊りに来る予定だから来ないように電話で伝えたのですが、両親は私が聖書の勉強をしていると知った日から、心配で、いても立ってもいられなかったと言い、私の所にやってきました。

そして、私が今までのいきさつを話すと、両親は私がクリスチャンになることに猛反対をしました。そして、そのように毎日夜遅くまで勉強したり、信者どうしで生活を共にしたり、そもそも伝道すること事体がキャッチセールスと同じで、そのようなことをしている教会はまともな教会であるはずがないと言いました。私は「今まで自己中心的な生活をしてきたことを悔い改め、これからは人のため、人を愛する生活をする」という決心を伝えましたが、母は、「そんなことしてくれなくていい。今のままでいてくれていいから」と泣きながら頼んできました。もし、どうしてもバプテスマを受けると言うのなら、籍を抜くしかないと言われました。父は、うちの家系からクリスチャンが出るなんて親族に会わせる顔がない、一族の恥だとまで言いました。それでも私は決心を曲げませんでした。むしろ、私の両親が神様に対して全く心を開いてくれないことに怒りを覚えました。

その後、兄から電話が入りました。兄は私に、今までどんな風に家族として生活してきたか、いかに深い愛情を持って家族は私を育んできたか、涙ながらに優しく諭してくれました。それを聞く内に、不思議と心が落ち着いてきて、電話ごしに聞こえる兄の声こそが、まさにイエスの声のように私に響いたのでした。こうしてバプテスマを受けることを止め、「東京キリストの教会」から離れる決意をしたのです。

今思うこと

私はこの教会で学んできたことが、すべて嘘だったとは思いません。聖書について、イエスについてある程度正しいことを学んできたと信じています。ただ「東京キリストの教会」の場合は、「イエスのように生きる」ことが何時の間にかどこかで「組織のために生きる」ということにすりかわってしまっている。また「イエスのように生きる」ことをあまりにも狭く捉えて、仕事や家族関係といった日常的生活が困難になってしまう。その結果いわゆる問題を抱える組織となってしまっているのかもしれません。教会との関わりが短かったので、不十分な表現しかできませんが。

今は、いつの日か、私も家族も、そしてこの教会で出会った人たちも、神様の与える本当の救済、祝福、愛を受けられるよう願ってやみません。

1998年11月29日記)

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