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Nさんの手記

インターネット上でこの教会について何か情報検索できるのではと思っていました。単純にキリスト・カルト・教会での検索ができず、統一教会関連のリンクから発見することができました。本当にホッとしています。苦しんでいたのは、私だけじゃなかったんだ。脱会者は他にもいたんだ。そしてあの悪夢の期間はけっして私の妄想ではなく本当にあった事件だったんだと・・・。

私は数年前に半年ほどの間この教会のメンバーでした。勧誘のきっかけは宗教関係の書籍売場で声をかけられたからです。キリスト教に関心を持っていた私はクリスチャンの友人に誘われ、幾度かふつうの教会に足を運ぶことはありました。ただ、既存の教会の保守的な雰囲気には物足りなさを感じ、けっして信者になることはありませんでした。しかし、とても感じのよい同年代の女の子の勧誘につい、うっかり連絡先を教えてしまいました。そして、教会でゴスペルが聴けるからと、誘われるまま足を運んだのです。当時の教会はまだ代々木の仮礼拝堂で建物は、本当に簡素でしたが、アメリカ的な礼拝にすっかり圧倒されてしまいました。その日から私の元に、教会の人達から度々電話がかかるようになりました。「励まそうと思って・・・」という理由でその時点ではまだ、面識を持たないメンバーからも電話があり、「電話でいいからいっしょに祈ろう」と言ってくれるのです。そして友人2〜3人で食事をしながら聖書を読むので、気軽に参加しないかと、誘われ待合わせをしました。

ところが実際に行ってみると皆、食事はそっちのけで、なぜか私に聖書のある部分を声を出して、読むように指示するのです。分かりやすいようにと必ず一人がノートを取ってくれるのが不思議でした。「皆で聖書を通してお互いをシェアする」はずが、回を重ねるごとに私一人のための勉強会に変わっていったのでした。さすがに疲れて、断ろうとすると、「では、いつなら都合がいいのか」と、私の都合を最優先してくれるのがなんだか申し訳なくてずるずると会う回数を重ねていきました。そして次第に、このメンバーは、ただの仲良しグループではなく、バイブルトークという教会の最小単位であることがわかってきました。私の勉強にはバイブルトークのメンバー全員が協力するのが絶対であるらしく、どんなに自分の仕事が忙しくても、遅れてでも皆参加してくれました。そして何より私が魅力的に感じたのは、皆がキリストの弟子として、「パウロのように働きたい」と熱望している事とでした。今までにも、キリスト教の教義を学んだことはありましたが、弟子についてこんなにも詳しく教えてくれる教会はありませんでした。キリストだけが唯一絶対であるという教えとどこか矛盾を感じつつも、とても新鮮な感じがしていました。あるメンバーの男の子は、「パウロは自分のヒーローだ」と私に熱弁を奮ってくれ、とても感動しました。

他の体験談にもあった通り「罪のリスト」を書かされ、そしてそのプログラム当日に限っていつになく多くのメンバーが集められました。罪のリストというのは私にとってはプライバシーに関わることであり、普通なら、不必要に多くの人が集められた事に対し疑問を持つべきなのでしょうが、私のその時の気持ちは、こんなにも多くのメンバーが私を心から心配してくれている事に感動すらしていました。しかし、いつになく厳しい悔い改めに対する要求に圧倒され、最後には泣きながら自分の過去の過ちを告白し、悔い改めの約束と祈りをしました。そしてそのプログラムが終わると、とたんに皆急に優しくなり、次のプログラムでは、ご褒美としてのバプテスマの勉強に移りました。この教会では、バプテスマについても他の教会とは違っていて、弟子(メンバー)がその弟子に対して、バプテスマを与えることができるのです。 これも、聖書の中でキリストの復活後、弟子がバプテスマをそのまた弟子に授けることによって教えが世界中に広められた事実に基づいているのだと説明をうけました。つまりバイブルトークのリーダーには、新たなメンバーに対してバプテスマを授ける権限があるのです。それはメンバーにとっては、(彼らの教会で専属で働ける)憧れのフルタイムリーダーを目指してステップアップするための第一歩として必要なことなのです。つまり、洗礼を授けるという、最高の権限を聖職者に限定してないことがこの教会の教えの特徴であり、武器なのかもしれません。

バイブルトークとは、、メンバーを勧誘するための最小単位で、新たなメンバー獲得の為に、競い合っていました。バイブルトークにも順位があってメンバーが更新されるたびに各リーダーは少しずつ更に上を目指してステップアップできるようになっています。そのような全体のつながりをディサイプリングチェーンと呼んでいました。もし、メンバーの一人が、少しでも信仰に対するゆらぎや不安を訴えたら、チェーンを通じてすぐに上のリーダーに連絡が行き、その不安を消し去るように再教育がなされます。この教会のメンバーが口癖のように「成長したい」と言っているのは、すなわちこのシステムの中でのステップアップを意味しているものと思われます。

しかし、ステップアップしてフルタイムリーダーになるということは、教会への献身のために自分の職業や社会的地位はあきらめろということにつながります。実際、医者になるという長年の夢をあきらめてフルタイムメンバーになることを要求されている人もいました。リーダーに相応しい人に対しては要求も厳しいようです。中にはアメリカでこの教会のメンバーなり、留学や仕事をやめて日本に戻って献身している人が沢山いました。そのような話は美談として礼拝中にたくさんシェアされていました。この教会の当時のリーダーフランクもハーバード大学在学中にメンバーになり、エリートコースをやめて献身しているということでした。受洗して正式メンバーになると、日曜日以外に平日の早朝から夜までいくつもの集まりがあってとても普通の社会生活などできません。もちろん教会もそれに備えてメンバーだけが共同で住めるアパートをいくつも用意していました。(献金も収入の10%を教会に献金することが強制されていて、お互いに監視があるようでした。)

私の脱会のきっかけは、あまりのスケジュールについていけず、ついに体調をくずして寝込んでしまったことがきっかけです。ちょうどオウム真理教がマスコミをにぎわしてたこともあり、ふと怖くなって、カルト宗教についての書籍を読む機会がありました。まさにカルトそのものの教義の罠に気づき、家族の協力をえて、完全にのめりこむ前に脱会することができました。その後、富ヶ谷に大きな礼拝堂が建設されたと聞きました。信者の献金が目標金額に至らないと、集めようとやっきになっていたリーダー達の姿が浮かびます。全ては信者の献金によるものでしょうか。

どうかこの情報ページがもっと多くの人に検索されやすいよう多くのリンクを希望します。情報に感謝します。これで安心しました。

1999年7月20日記

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