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Tさんの手記

私は入信後、うつ病になりましたが、そのことを中心に書きたいと思います。

◆うつ病になるまで◆

 私はバプテスマ後、TCC内を見てきて生じた疑問、不信感等を正直にメンバーに話したことがありました。その時に「批判的」「わがまま」と言われ、徹底的にチャレンジされ、ディサイプルされました。その時のリーダーたちのやり方にはとてもショックを受けました。

「リーダーの言うことは神様からきている」

他のメンバーも、私も、服従できなかったり、リーダーの意にそぐわないと囲まれてつるし上げのようにされました。その時に言われた「あなたは世の中(TCCの外)にいたら、絶対に愛されるような人間ではない」という言葉から、私はその後何年間も深い自己無価値感にさいなまれるようになり、自分に全く自信をもてなくなりました。

また、私はその時どんなに真正面からTCCのリーダーと話し合おうとしても、無駄だということを悟りました。リーダーたちがどんどん結託していって、こちらが屈する(彼ら曰く、「悔い改める」)まで、頭ごなしに大勢で責める。私一人では、全くの無力だと知りました。

私は「TCC以外は、(離れた人も含めて)みな地獄に行く」という恐怖感によって納得のいかないまま屈服するしかありませんでした。自分が素直に感じることさえも、徹底的に否定されたので私はこのときから自分の考えも感覚も抑圧するようになりました。そうしてTCCにへつらい、心を殺して服従するしか地獄やリーダーたちの圧力からくる恐怖から逃れられないと無意識に思ってしまったのです。

私は後に自分が何を感じ、どうしたいのかさえ自分でもわからないほどになりました。TCCだけが救いの道と教わり、そこから離れる選択ができない状態でその世界で神のような権限を持つリーダーから「あなたは愛するに値しないけれど、愛してやっているのだ」というような拒絶と支配を感じながら服従する…。精神的に壊れるのは当たり前だったと思います。

そして、その当時のスタッフやディサイプラーの、私に対する否定的で支配的な接し方は、その後の私の神様のイメージを決定付けました。(「神=リーダー」というような教えだったため)私はいつも神様(=TCC)の裁きを恐れ、不安と恐怖を抱き、常に自己否定、自責感に苛まれるクリスチャンになりました。

さらに、私の心に強烈な負担となったのは、ノルマを課せられるような伝道活動、ディサイプル制度による縦社会の中で、常に出世(成長し、変わること)を強いられること、傷口をえぐるような無神経なチャレンジ(ディサイプル)などです。また、私は体が弱いこともあって、言い訳を許されない環境の中での、仕事を終えた後の毎日の教会活動は相当に負担でした。

こうしてもともと内向的で鬱(うつ)傾向の性格に、これらの精神的・肉体的疲労が加わることにより、私はノイローゼになり、のちにうつ病になりました。

 

◆うつ病のメンバーとして◆

TCCは精神疾患に関して専門的な知識がないにもかかわらず、うつ病の私に絶対的な権威を振るって無知な助言をしました。例えばそれは次のような言葉です。

「うつ病はプライドの罪が原因だから、悔い改めなさい」(女性カウンセラー)

「うつ病患者は、自分の問題(罪)に直面せず逃げている」(スタッフ)

「薬に頼ることは、神様に頼っていないので、よくないこと」(セクターリーダー)

的を得ていることもあるかもしれません。しかし、<ルカ11:46>の「人には背負いきれない重荷を負わせながら、自分では指一本もその重荷に触れようとしない」律法学者のように、裁くばかりで変われるためにどのようにしたらよいのか、それ以上詳しく助言してもらえないためプレッシャーばかりがつのりました。

このように、あたかも精神疾患が、すべて霊的な問題・罪であるかのように言われ、私は病気の苦しみ以上に悩みました。病気になってしまったことに罪悪感を持ち、「世の光」になれない自分を責めました。うつ病には休養が必要ですが、スタッフには「最低でも日曜礼拝と平日のディボーショナルには来るように」と言われ、まわりのメンバーたちには「霊的な励ましを常に受けていなければ、霊的に死ぬ(教会を離れ、地獄に行く)から」と、集まりに駆り出されました。自分自身、精神的に不安定な状態であったため、メンバーの群れの中にいることで、一時的なまやかしの安心感を得ていました。

また、この団体の出版テキストにある「キリスト教と心理学は相容れない、正反対のものである」という考え方、TCC内での偏見などによって、私は医者やカウンセリング療法に頼ることにもブレーキがかかり、心を開くことができず、治療は進みませんでした。他の精神疾患のメンバーが、医者に信頼し、助言もあってか、脱会していくのを見て、スタッフは「教会よりも医者を信頼するなんて…」とこころよく思っていませんでした。そんな中、医者よりもTCCを信頼し、(心の底では信頼できていなかったのですが)病気を言い訳にせず、具合が悪くても教会に通い続ける私を、スタッフは持ち上げました。

 TCCでは、病気に限らず、なんでも休まず無理をすることが、イエスの犠牲の愛で、信仰深いことのように語られ、またそのような人を褒めます。そして、それを聞けば皆「自分もそうしなければ…」と思ってしまいます。そのようにTCC内では、気付かぬうちに、常に、「無理をしなくては、」というストレスにさらされています。私は医者に「あなたは無理をする癖がついているから気をつけるように」と言われましたが、そのことを学び会リーダーに伝えると「メンバーは皆そうだ。イエスの弟子なら当然のこと。」と言われとりあってもらえませんでした。このように「もっと、もっと」と高い基準を要求し、無理をするように常に追い詰められる傾向は、神経症やうつ病の傾向をもつ者にとって、発病を促すものです。私にはTCCが病気の温床のような気がしてなりません。

しかし、何人かのメンバーは懸命に私の病気を理解しようと努め、私をケアしてくれました。そのように、TCCの教理とは関係なく、その人の持っている優しさによって接してくれたメンバーには今でも心から感謝しています。(しかし、そのような態度を「聖書的でなく、人間的な愛だ」と叱られていたメンバーもいました。)

 

◆脱会◆

 私はその後、病状が悪化し、自宅での療養が中心の生活になりました。しかし、教会は休めても、精神的に休むことはできませんでした。TCCで植えつけられた教理によって、休むことへの罪悪感、教会(=神様)から遠ざかっていることの恐怖感に縛られていたからです。 そして、TCCの戦力にもならず、教会へ出向いて‘霊的な励まし’も受けられない私は、次第に教会から忘れられてきていることを感じました。ない力を振り絞って、電話であらゆるスタッフに助言を求めましたが、教会に来るように言われるばかりで、答えもアドバイスももらえず、「真理」をうたっているTCCに疑問を感じ始めました。「聖書に真理がある。聖書に忠実に従っているこの教会には唯一真理がある」と教わり、信じて希望を持ってきたけれど、実際、悩みを解決できる適切なアドバイスは何もなかったのです。そしてスタッフの言い逃れの言葉はいつも、「教会も不完全で成長過程だから。」(TCCは自分の教会が不完全であることを認めながら、他の教会の不完全さを裁き、「他の教会では救われない」と説きます。)

 私はTCCに限界を感じ、TCCでは得ることのできない信仰や心の病に関する助言を求め、他教会の心理カウンセリングを受けることにしました。私はTCCの名を傷つけまいと思い、そのカウンセラーには、TCCの名を最後まで告げませんでした。 私はカウンセリングを受けていくうちに、自分の悩みの中心がTCC内で受けた傷によるもの、ということに気づき始めました。カウンセラーは「エホバの証人」「統一教会」などの教理を参考に話しました。それには大変驚きました。それらカルトと思ってきた宗教団体にTCCがよく似ていたからです。そこで私は、聖書は解釈しだいで、いくらでも真理(御心)からずれたり、人を操作してしまうものだということがわかってきました。

 またマインドコントロールに関する本を読み、自分の心の中で起こった様々な状態が、マインドコントロール下にある人の状態に似ていることや、自分の精神状態が、カルト宗教からの脱会者の精神的後遺症に似ていることに気づきました。そこで私はそのカウンセラーと相談し、カルト宗教に詳しい、他の教会の牧師兼カウンセラーに相談を代わってもらうことにしました。TCCがカルトであるとは今でも断言できませんし、当時も受け入れがたいことでした。しかし、新しいカウンセラーからいただいた、TCCに関する資料(「スタディについて」「キップ・マッキーンの経歴について」)を読んで、私は最低でも「TCCは唯一正しい教会とは限らない」ということに気づき始めました。

 私が、二人の他教会の牧師兼カウンセラーと話して感じた大きなことは、聖書の解釈に対する彼らの謙虚さ、慎重さです。聖書を一貫して学び、聖書を通して神様が言わんとしている事を慎重に知ろうとする態度です。それに対して、TCCの場合は、伝統的な神学を否定し、人(指導者)が言いたいことを教えるために、適当な聖句をピックアップしていることを知りました。

 こうして、もうTCCにしがみつく必要はないとわかった私は、脱会することになりました。しかし、私の中のTCCの教えは自分でも気づかないほど深く染み付いていて、脱会した今でも後遺症に苦しんでいます。主治医には現在「抑うつ症状の背景には以前信仰していたカルト宗教の影響もある」との診断が下され、服薬・カウンセリング治療中です。そして、聖書を学びなおして神様を知りたい、礼拝に行きたい、と思っても、頭痛や情緒不安定などのPTSD症状が出てしまい、聖書を開くことも、礼拝に行くこともできません。しかし、牧師による宗教面のカウンセリングと、病院での心理カウンセリングによって、これまでの信仰面・心理面での悩みに様々な解決が得られ、恐怖感がやわらぎ、回復へと向かっています。

礼拝に行くことはできませんが、他の教会のホームページで説教を聞くことによって、これまでの裁きの神様のイメージが、恵み深い赦しのイメージに変えられ、何年も私を苦しめた自己否定、自責感から解放されてきました。

TCC在籍中は、イエスの十字架は脅迫のように感じられました。また、ありのままの自分が神様から愛されているとは到底思えませんでした。しかし、今は十字架が救いであること、ありのままの自分が神様に受け入れられていることをようやく理解できてきました。TCCでどんなに求めても得られなかった平安を、脱会してはじめて実感しています。

 

◆TCCに願うこと◆

 私はTCCに強くお願いしたいことがあります。それは、無責任に、精神疾患の人や精神的に弱い人を勧誘したり、教会に引き止めてほしくない、ということです。TCCで、罪の赦しを求めている精神疾患のビジターに対して、「病気が治って、働いて、教会活動ができるだけのお金を稼げなければ(弟子でなければ)、メンバーにできない。」として、バプテスマを受けさせない事例を私は知っています。その人が「他の教会で勉強し、バプテスマを受けたい」と言うと、「うちの教会の救いが唯一だから、他の教会に行ってはいけない」と教え、バプテスマを授けないまま、親切(愛のシャワー)を注いでずっと引き止めています。また、TCC内で、多忙な教会活動による慢性的な肉体疲労・過度のチャレンジ(ディサイプル)による精神疲労が原因と思われる自律神経失調症・抑うつ症状を発症するメンバーを何人も見てきました。過労・睡眠不足で仕事に支障をきたしている人、それで上司から病気ではないかと心配されたり、遅刻・欠勤が重なり、退職せざるをえない人も多数いました。そして、適切な医師の治療を促さず、休養を妨げ、TCC内での非専門的なカウンセリング(ディサイプリング)をだらだらと続け、症状を悪化させたり長引かせているのも見てきました。終いには、TCCの戦力にならず、組織拡大の妨げになるとして煙たがり、面倒を見切れなくなって初めて手放すのです。離れる時には、その人は精神的にボロボロの状態です。そのように精神を破壊するような危険なことは、絶対にやめてほしいと思います。

[しかし、精神を病むほど苦しんでいても、TCCの教理に縛られていると(マインドコントロール下)、本人はTCCで励まされ、愛されている、と思い込んでいるため、決してTCCから離れようとは思えないので、とてもやっかいです。] 

そして、TCCの中では、脱会者に対して、何もわかっていないと思われるような偏見があります。つまり脱会者は、「心が悪くなる」→「ひどい精神状態になる」→「教会に行かなくなる」→「信仰を捨てる」→「罪をどんどん犯す」というのです。確かにそう見えてしまうことがあるかもしれません。事実そのような人もいるかもしれません。しかし、それらが、TCCで受けた「聖書を乱用した、無意識的な虐待の後遺症」の可能性があることを知ってほしいです。

2002年9月14日記

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