Dさんの体験手記
私がこのグループに出合ったきっかけは大学での講義で、たまたま隣同士になった学生と世間話程度の会話をかわしたことです。授業後、彼はスポーツのサークルをやっているので今度遊びに来て見ないかと私を誘い電話番号を交換しました。当時私はオールラウンドと称すいわゆるただの遊び系のサークルに所属しており、学生生活の中心はサークルの仲間とコンパやナンパ、麻雀に明け暮れる毎日でした。ただそういった生活を送る中で何かしら疑問のようなものを抱いていたと行ったことも有り、彼の所属するスポーツサークルを興味深く感じました。ただそのとき彼はサークルではないと言っていたがそのときは特にそのことを気に留めませんでした。
それから何日かして彼から連絡があり「今度の日曜日に試合があるが来ないか」と誘われました。しかしその週末は何かしら予定が入っていたために、幾度か誘いがあったのですが結局それに参加することはありませんでした。
それから何ヶ月かたち、今度は「インターネットの講演会があるので一緒にいかないか」という誘いがありました。インターネットやEメールなどがちょうど世間に出だしたころで私も興味をもっていたし、予定も開いていたので参加することにしました。
久しぶりに彼に再開し何人かの友達を紹介されました。みんな爽やかそうな好青年で、私を暖かく迎えてくれました。
その後再び彼から連絡があり、学校の近くの喫茶店で彼の友達と一緒に合うこととなり、そこで私の学生生活の話や身の上話などをしたのですが、やがて神様の話が切り出され、その時私は初めて彼らが宗教団体のメンバーであることを知りました。私は宗教や神というものに対して多少関心があったために、統一教会のようなカルト系の匂いを感じつつも一度その勉強会に参加してみることにしました。
私は神の存在を否定はしないが、宗教に対しては否定的な考え方を持っていました。そのせいかMSの教理に対しても疑問を抱いてばかりだったのですが、そういう疑問を口にすると「サタン的な心がまだ抜けきってない」と言われました。
その後は時間が有るときはできる限り教会(学校の近くにあるマンション)に通い、日曜日は各支部から集まるスポーツのイベントに参加するよういわれました。そうしたなかでいつしか知らぬ間にMSが生活の中心となっていきました。しかしまだ夢中になるというほどではなく世間と教会の間を行き来していたというところでしょうか。
やがて半年ぐらいの時が流れ私も修了式という一人前のMSとして認められる儀式に参加することとなりました。修了式を経た後はさらに教会との関わりを強いられるようになっていきました。日曜日と水曜日のミサにも参加するようになり、新しい信者の勧誘もするように言われました。しかし、こころのどこかに納得できない部分も残っており、信者の勧誘はできませんでした。ミサにも大抵は参加していましたが、今思えば人間関係に引きずられて参加していたような気がします。
ただMSのメンバーは人間的には本当にいい人ばかりで、そのため仲間を裏切るということに対して、私は常に罪悪感を感じていました。またそれと同時にMSに対する自分の考えも揺れ動くようになりどうしようもないジレンマに悩まされるようになりました。
私は彼らから距離を置くことを考え、3年生の後期の授業が修了したころ海外留学することを決意しました。確かに以前から海外で勉強したいという希望は抱いていましたが、それと同時にこのまま今のようなMSと関わる生活を続ければ、いつしか一生縛られた人生を送らなければならないといった漠然とした危機感があったからです。
一年間休学しての留学生活、何ヶ月かぶりに何の束縛も無い世界に出た。そこで新たな人にも出会いました。ただその出会いの中でも、絶えずMS教会の価値観で考える自分がいることにも気付き、日本にいたころは常に疑問を抱いていたMSを肯定的に考えることも正直に言えばありました。MSのメンバーからは何通か手紙が届いたのですが、それに返事を出すことはありませんでした。私は彼らに私の存在を忘れてもらえるようにと願っていたのだと思います。いつしか手紙もこなくなり、私も日に日にMSの価値観から自由になっていきました。こうして私の半年間の留学生活は終わりました。
帰国した私には就職活動が待っていました。そんなある日、留守番電話にかつてのMSの仲間からのメッセージが残っていました。完全に縁を切ることができたと思っていた私はまた彼らのことが頭に浮かんできて、自宅の電話にはできる限り出ないようにしていたのですが、逃げるよりもむしろ会って「自分にはこれ以上MS教会でやっていく意思が無い」ことを伝えようと思いました。
何の連絡もしなかった私は当然責められると考えていたのですが、久しぶりに会った彼は私を暖かく出迎えてくれ、喫茶店でしばらく話をするうちにいつのまにか「もう一度MS教会でやり直す」こととなってしまいました。その時私は人情的に彼を否定することができなかったのだと思います。そして再びミサとスポーツに参加、そこでも私は暖かく出迎えられました。しかし、迷いは吹っ切れず、その後一週間ほど私は実家に帰ったのを機に、私から彼らに連絡を取ることをやめました。
そんな中で私は、それはスティーブン・ハッサン著の『マインドコントロールの恐怖』という書物と出会い、この本によって私はようやくMSの呪縛から解き放たれた気がしました。確かに復学後教会の仲間に会うことに対し恐怖感はありましたが、今はMSに対して自分の考えを持つことができるようになっていました。
1999年11月30日記