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Eさんの体験手記

MSの関西での活動は、主に、大阪大学、京都大学、大阪外語大学などを中心とした学生への勧誘です。30講論を聞き終えた学生が、自分の近くにいる友人を誘って各地区に点在する「教会」という名の拠点に誘い、最初は教団の名前などは伏せて夕食の歓待をしたりや、話し相手になったりします。各種イベント(スポーツ大会、コンサートなど)を通じて、友人たちを呼び寄せ、そこから、各拠点に出入りするよう仕向けていくスタイルも実施しています。いろいろな人間とコミュニケーションすることは重要だと訴え、ここにいれば、あらゆる人間と出会えるし、話しもできる、イベントを通じてその輪はさらに広がっていく・・・と切々と語り掛けます。

一度、接触した人間に対しては、電話、訪問を繰り返し、メンバーといっしょにいるように仕向けていきますいろいろな行事ごとに参加し、食事の歓待などをうけた学生は、次第に、ことわりずらくなるようです(この時、「断る」という意志を持てているかどうかは不明ですが)。私が見受ける限り、地方出身学生が多いような気がします。多分、まわりに深い友人もなく、不安いっぱいの学生に対して行動をおこすほうが地元出身の学生に対するよりも楽だからではないでしょうか?

彼らの指導層は、これを「教育」と呼び自ら「教育者」と名のっています。確かに、私も最初は、この時代において、挨拶もろくにできない学生を、社会に通用する人間に育てているのだと肯定的に見ていました。しかし、その活動たるや、月曜日から日曜日まで、日々ぎっしりとスケジューリングされメンバーが組織外の人間と接するのを極端に制約しているように見受けられます各種イベントでメッセージアウト

される内容も、バイト、遊び、他人との意味のない会話など「無駄」な時間を過ごすな!(だから、どうしろとはいってませんが、暗黙のうちに自分たちと行動をともにせよ・・・と言ってるようです)というものが主たるものとなっています。

彼らが、他のカルト集団を一線を画しているのは、メンバーそれぞれが、礼儀正しく、こぎれいで(普通という意味です)、明るく、神(聖書)を信じて疑わないというところです聖書を本当の意味で理解し、信じているのかは、私の主観では断言はできません・・・というのも、メンバーはともかく、彼らの指導層は、相対する人によって話し方を変えるからです。(学生と社会人相手では全く対応が違います、彼ら曰く、それぞれの人に合わせた話し方をするのは当然だ・・・と、聞けばもっともな言い方をしますが・・・)。

犯罪的な集金活動や、商活動は全くみられず(ここが不思議なところです、活動資金がどこから出ているのかわかりません)、暴力に訴えてメンバーを慰留させることもないようです。

しかし、この「善人面」の裏には、前述したように、暗黙の強制による基本人権の侵害が隠されています。一度、目にしたのは、とある「新入生」が、彼らのイベントには行けないと電話してきた時のことです、彼は、自分の大学の学園祭に別の友人と行くことを計画していたようで彼らのイベントには参加できないといってきました。その時、「新入生」の御目付役であった、あるメンバーが「学園祭などいつでも行ける、君はこっちのイベントに参加すべきだ」とかなり強い口調で非難していました。結局、その学生はイベントにはやってこず、それ依頼、姿を見せなくなりました。多分、彼には、相談すべき友人もいて、うまく離脱できたのだと思います。私が目にしたのは、これ一度きりですが、メンバー以外の活動(要するに、普通の生活ですが)をしようとすると、必ず、この手のやりとりがあるようです。

口ではきれいなことを言ってますが、「せっかくできた友人(人間関係)を失うのか?」という圧力をかけていることはいうまでもありません。彼らの中にも、社会人はいますが、それも、学生時代より参加している人間が大多数のようです。一般的な社会人なら、彼らの活動様式には数週間、数ヶ月で疑問を抱くと思います。

彼らのなかでは、チョン・ミョンソクはメサイアという位置づけになっています。「修了式」では、ある指導者が講演し、曰く「メサイアは既に誕生している。それは韓国にいる」という表現まで飛び出しました。

MSは暴力的集団ではないにせよ、精神的に、相手の判断力を低下させ、個人の自由を奪い去る活動をしていることは確かです。本来「宗教」とは、個人の意志を尊重し、社会の基盤として、社会に貢献することだと思いますが、MSには個人的意志の尊重はなく自分たちの教義を相手に植え付け、自分たちにあった人間を生産しているだけのように見受けられます。

1999年11月30日記

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