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大本教

大本・大本信徒連合・愛善苑

 

最終更新日2009515

大本教は明治25年開教の教派神道系新宗教、不思議なポテンシャリティー(潜在力・可能性)を秘めた宗教である。今後日本から発信できる宗教を考えた時に、古い日本の神々、記紀神話をどのように再評価し、表に出すかということは避けて通れない問題であると思う。神社神道には、かつての国家神道、天皇崇拝の影が未だに色濃く残り、徹底的な自己批判を経ない限り国際舞台に出るのは困難であるように思われる。その点、大本は、かつての明治憲法下、国家神道体制の中で、治安維持法違反、不敬罪、新聞紙法違反などにより二度に渡る徹底した弾圧を受けた歴史を背負っており、そのような困難を免れている。加えて、教祖出口王仁三郎の思想は、記紀神話の枠を超え、聖書(ユダヤ教、キリスト教)の救済史をも包含するスケールの大きなものであり、さらには、現代のイスラム教のムフティ(イスラム法勧告資格者)から「日本のイスラム」と評価されるなど、日本発の世界宗教に展開し得る可能性を秘めているのではと密かに期待している。

大本教との最初の出会いは、宗教学のゼミで保阪正康著『信仰の理由』(朝日新聞社)を取り上げたことだった。大本教に1章が割かれており、京都府綾部にある大本教の長正殿が「20世紀最大の木造建造物」と紹介されていた。教団外からこのような高い評価を受ける建造物を立てる宗教団体に興味を覚え、綾部を訪ねたのが最初である。その後、2008年の8月には、亀岡と綾部での5日間の道場修業にも参加し理解を深めてきた。

また、並行して進めていたカルト研究において、オウム真理教が1995年の地下鉄サリン事件を機に社会から糾弾された時に、大本に接触して弁護を求めたこと(大本もかつて国家から弾圧された経験があるので、オウム側が同調を求めたのである。大本側は即座に拒否をしたが)、統一協会の出版物にも大本を引用して自己弁護するような記事のあることなどからも、カルト研究を進める上でも無視できない団体かもしれないと思い始めたことである。

さらに、大本が「万教同根」の教義に基づき、宗教間対話に先駆的な実践を行ってきたこと、とりわけ、イスラム教との交流(上述のように「日本のイスラム」と認定されて、通常はイスラム教徒しか許されないメッカ巡礼を大本の幹部が行っている!)やアメリカのキリスト教会(聖公会)との合同礼拝など、その懐の大きさに本当に驚かされた。

現在、大本教の系譜を引く団体は、大本愛善苑大本信徒連合会の3つである。いずれも出口なお開祖と出口王仁三郎聖師を二大教祖と仰ぐが、出口家世襲の教主制を支持し、現在五代目教主出口紅さんをいただく大本、同じく教主制を支持しつつも70年代以降の活動方針の相違から排斥された出口榮二さんの妻、直美さんを四代教主と仰ぐ大本信徒連合会、そのような世襲教主を一切認めず、出口王仁三郎を唯一の苑主と仰ぐ愛善苑と、教団の権威の所在に対する理解の相違で三派に別れている。

今後、文献研究と調査の両面で「カルト研究」「宗教間対話」「宗教多元論」「複数宗教経験(inter-religious-experience)」などの観点からこの教団を研究していきたい。(川島堅二)

 

研究論文

 

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