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Q.信仰と従順とはなんでしょう?

まず「信仰」ですが、聖書には「望んでいる事を確信し〜…」とあります。ヨハンではどのような事も「信仰で乗り越えろ!」です。例えば…親が亡くなりそうなので実家に帰りたい。教会活動が忙しく留年しそう。勉強をするために教会へ来る事と奉仕を減らしたい。留学をしたいなどを相談した時、全て「信仰で乗り越えろ!」の一言ですまされ許可をしてくれません。

そして「祈ってここ(ヨハン教会)にいれば全て導かれる」というような事を言われます。それで真剣に祈って叶わなければ「信仰と祈りが足りない!」と言われるだけ…。

もちろん全てに主の時がありますが、ここまで行くとヨハンの信仰感はただ「自分の思いに蓋をして我慢しろ!」と言っているようにしか感じられません。

また従順とはなんでしょう。聖書には確かに「指導者に従いなさい〜…」と書いてあります。ですがヨハンの従順感は「指導者に服従・盲従・黙従しなさい」です。つまり「指導者には何も考えず犬のように従え!」と言う事の様に聞こえます。実際にあった話ですが、ボーナス時期にある宣教師が「社会人はボーナスを全額献金しろ!」と言われました。それで信徒に聞いて見たところ「先生が言っている事だから従わないと…」と言われ悩んでいる人が沢山いました。その人達は全額ボーナスを献金したかはわかりません。実際にこの様な事(従順)で悩んでいる人も沢山います。

そしてこの様なことも言っています…「先生の言っている事だから正しい。従わないと…」と。

どうしても私はヨハンの先生達は自分達の目標のために御言葉を利用しているとしか思えません。つまり「自分の思いや考え全てに蓋をして我慢をし、犬の様に指導者に従え!」と言っているとしか思えません。

神さまが言いたかった「信仰と従順」とは何なんでしょうか?教えて下さい。

 

A.ヨハン教会には次のような三段論法が、弟子訓練のプロセスで巧みに教え込まれているように思います。

@神は絶対である。

A「牧師」「宣教師」「リーダー」は神によって立てられている。

Bゆえに「牧師」「宣教師」「リーダー」の言うことは絶対である。

あるいは

@神を拒否するものは地獄に落ちる。

A「牧師」「宣教師」「リーダー」は神によって立てられている。

Bゆえに「牧師」「宣教師」「リーダー」を拒否する者は地獄に落ちる。

この三段論法、様々なヴァリエーションをもって、明に暗に説教や日々の会話の中で教え込まれており、筍員たちは、教会の階層秩序の中で自分より上にある者を批判することに恐怖感を植えつけられているように思います。

この三段論法の落とし穴は、「牧師」「宣教師」「リーダー」確かに神の召命を受けて任命されるのではあっても、決して神とイコールではない、神のように絶対でも無謬でもないということが忘れられている点です。このような三段論法が、いかに教会を誤らせてきたか、これはキリスト教2千年の歴史が明らかにしている事実です。

ですから、私たちは、「牧師」「宣教師」「リーダー」「伝道者」・・・それが何と呼ばれようと上に立つ者たちを敬いつつも、さらに彼らの上にある神の言葉によって、上に立つ者たちの言葉や行いを批判的に検証する視点を持っていなければなりません。そうでないと、クレープさんが気付いておられるように、それは単なる屈従になってしまうでしょう。

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