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Q.親との関係について。それは「父母を捨てて〜…」と言う御言葉です。これは私の主観ですがヨハンではこの場所を極端な解釈をされているような気がします。

洗礼を受けた、または受ける・受ける決心をされた方に対して「休みなので実家に帰省します」と言うと必ず言われるのが「あなたが帰ったら筍員はどうする?」「礼拝はどうする?」などで帰省を許してはくれず、そして上記の御言葉を言われている様な気がします。実際に多くの聖徒が何年も実家に帰ってないのです。というか帰らせてくれません。またこれはヨハンのある先生が言われていたのですが、「親に教会に行くことを反対されている」という事に対して「いい大人が自分が正しいと思った事に対して親に反対されたからと言って(教会に)来なくなるのは変だ」と言われ上記の御言葉が

でもそのいい大人が付き合う事などに意見を言われ反対されるのも変だし、いちいち先生に報告などをするのも変ですが。

また「旅行に行きたい」「趣味に時間を費やしたい」などと先生に言うと「先生もやりたい事があるのを我慢しているんだから、おまえも我慢しろ!」と言われ我慢されられます。

先生も言われてましたが、確かに日本ではキリストを信じたら一族の恥の様な考えがあります。だからと言って「父母を捨てて〜…」をキリストを信じたら親子の縁を切って…と言うように解釈すべきなのでしょうか?
実際多くの現役・卒業生はこの場所の深い意味がわかっていません。

そこで私はこの場所が出てきたら、私なりの解釈ですが、
「ここは教会に行く事・クリスチャンになった(なる)事を親に理解されなければ、納得のいくまで話しをして、それでも理解を得られない場合は少し距離を置く、または親の意思とは関係なく歩んで行こうという意味だよ」と話しています。これはこれで正しいのか自信はないのですが…実際これはどういう意味なのでしょうか?

上記の御言葉を文字通り解釈すると、キリストを信じたら親との縁を切って行動しろとヨハンでは言っている気がします。

実際ほとんどの聖徒はそのような感じになっていて、教会に行く事に理解を得られていません。または親からは「ヨハン以外の教会(異端などは除く)ならOK」と言われている方も多いです。

よく金牧師は「日本人は極端に走る」と言われますが極端に走らせているのはヨハンではないかと思うのですが

 

A.親に対する態度では、有名な十戒の「あなたの父母を敬え」に代表されるような、親に従順であることを勧める言葉と、「父ゼベダイを雇い人たちと一緒に船に残して、イエスのあとについて行った」ヤコブとヨハネのように、親を捨ててイエスに従った弟子たちの姿、両方が聖書に描かれているように思います。

また一般に、子は親を乗り越えて、時には親の意思に反したことをして成長していくものであることも、これは聖書云々以前のこととしてあると思います。

そう考えてみると、クレープさんが書いておられるヨハン教会の状況(実家に帰る云々)は、聖書解釈以前の問題のように思えてきます。

夏休みや正月休みに帰省するのに、筍長や教会の先生に許可をとらねばならないような組織構造に問題があるのではないでしょうか。ヨハンの先生方からすれば、許可なしで信者に礼拝を休むことを許すような教会は、生ぬるい教会ということになるのでしょうが・・・。

この問題については、クレープさんのとっておられる解釈「ここは教会に行く事・クリスチャンになった(なる)事を親に理解されなければ、納得のいくまで話しをして、それでも理解を得られない場合は少し距離を置く、または親の意思とは関係なく歩んで行こうという意味だよ」ということでよいと思います。

 

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