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更新日2003318

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二つのプロテスタント教会の分離について

 

〔はじめに〕

このような問題においては、その表題が,著者の考えの全てを物語ってしまう。というのは、この問題を提起していること自体が、このことに関して現状を変えようと願っていることを示しているからである。そうでなければ、このことについて語ろうなどと思わないだろう。また、教会の合同を目指すという一般的で不明確な考えだけでは、多くの人においてあまりよい思いを起こさず、したがって、「それを叙述すること自体が、さらに厄介な読者を見出してしまう」という抗議を必然的に生み出してしまう。

 すべてを、ひとつの形式に流し込んでしまいたいという人々がいる。同一の事柄は、同一の姿かたちを取るというわけで、これが可能な限り単純だというのである。というのは、そのような人には、錯綜した人間的な事柄において正しい道を見出す才能が欠如しており、同時にまた、現存するものの中に、その成立も見て取る感覚、あるいは、諸力や諸事件の大きな連関を見て取る感覚が、欠如しており、それで彼らは、そのような連関の痕跡を保持しているあらゆる制度組織を、時代遅れと誹謗し、無思慮に単純化された像を、いたるところで追い求めるのを常とするのである。そのような単純化の努力によって、彼らは自分たちが哲学者であると考えている。しかしながら、このことがせいぜい示しているのは、彼らが、何かを悟性によって理解し、理性的に扱う能力において誠実でないということであり、さらにまた彼らは、この世界の存在や生成について、まったく気まぐれで非哲学的な考えしか持っていないということである。そのような人々によって、また、そのような感覚によって、しばしばプロテスタント諸教派の合同は、救いをもたらす事柄として提議されてきた。私はこのような人々のためにとりなすのではないし、私の考えは、彼らのとはまったく異なっている。このことは、次のような相違によって、誰にも容易に明らかとなるだろう。すなわち、彼らのもくろみは、二つの教会の全体に向けられている。この二つの教会はあらゆる点でひとつになるべきである、教義においても、儀礼(Gebräuchen)でも、〈370〉教憲(Verfassung)においても、というのである。なぜなら、そのような形式の多様性は、彼らには非常にいとうべきことであり、彼らはそれを可能な限り根絶したいのである。しかし、以下に示すように、そのようなことは私がここで問題にしたいことではない。そのようなことに関しては、むしろ私は旧来のままにとどまることを望んでいる。たとえオランダでもザクセンでも、スコットランドでもスウェーデンでも、聖餐式や予定説について平均的で調和のとれた信仰を受け入れているとしても、あるいは、〔ベルリン〕とドルドレヒト〔南オランダの都市〕の教会会議の間に一致した形式が実現したとしても、そのようなことから何らかの利益を予感するような理性的な人が、先に述べた画一性願望に侵されていない人であれば、いるだろうか? キリスト教の基本的な教えと一致可能ではあるが、相互に統一することは考えられないような諸々の考えが、自らの固有性と逸脱を全くあからさまに意識しながら、現実に存在すべきでない理由などあるだろうか? それらは、別の思考対象についての様々な見解や、その性格の様々な改変に基づいており、それぞれ十分に自然な根拠を持っている。それゆえに、それらを一緒に融合しようと試みても、やがてすぐに分解してしまい、混合によって中和されるということはないのである。同じことは教会の状態にも全く当てはまる。教会の改革は、時代精神の自然な爆発と見なされるべきであり、それは様々な場所で、様々な状況下で同時に生じ、したがってまた、これについては、様々な形を仮定しなければならない。それらは国民の性格や状況、共同したり衝突したりする他の諸力の作用を示しているのである。これらすべてが、手付かずのままに置かれるべきであるとするなら、私は何を望むべきだろう? 出発点とすべきは、私が歴史的に既知のこととして前提しなければならないことのみである。すなわち、種々の教義の相違と教憲や慣習の相違との結びつきは、いたるところで偶然に存在したり、強いられたりしたに過ぎず、その過程で、何人かの改革者の我意によって生じた教会の分裂は、そのような相違自体とは、全く無関係ということである。このような前提から、さしあたり理解されることは、最後に述べられた相違に接近することなしに、いかに人は、教会の分離の廃止を要求できるかということである。もし、この廃止が、一般論として要求されるならば、誰もこれを改善できないし、先に述べた単純画一化の努力以上の実践的な目論見を帰すこともできないだろう。なぜなら、例えば、スイス人とデンマーク人、オランダ人とザクセン人の間での教会共同体の説明といったものは、〈371〉ごく小数の個人にとってしか意味を持たない空虚な形式以外の何ものでもないし、それが引き起こすものも廃止に値しないものである。そのような空虚な形式が用意されるのは、ひとえに、それが、特定の、あるいは、一般的な欲求として浮上する時で、そこでは、事物の従来の状態から、見過ごしにできない多くの不利益が示されるのである。すなわち、そのような国々では、国民は、どのような立場の者であれ、二つの教派に分割されてしまうのである。国家が両者を平等に扱わない場合には、これは正に悪しき事態となり、その除去が早急に望まれることは確実である。そして、教会共同体の再興によるのが、最も容易かつ迅速である。しかし、二つの教派が、全く等しい市民的権利を享受している場合、両者は、互いに非常に接近しており、もはや固有性が存在しないほどである。この変化によって破壊されてしまうような、有用で意味のある多様性も存在しない。教義の相違について問題にすることは無用であり、ほとんど笑うべきようなことである。しかし、外的な形式においても、ある教派は、他の教派からそれほどひどく逸脱しているわけではない。従って、そのような状況下では、分離は人為的な仕方によってのみ確保されるに過ぎない。すなわち、経済的な関係や、単なる慣習によってである。それは理性の立場から見れば、何かを実現したり、保持したりする人為的で不自然な方策に過ぎない。前置きは十分である。本題に入ろう。

 

1.両教会の従来の分離から生じる不利益について

 

1)宗教的な関心そのものから、この不利益を数え上げることを始めるというのであれば、それは尚のこと適切である。というのは、そのような思いは、あらゆる教会的な合同の主要目的であるし、この分離状況の持続が、真実な【宗教性】の現在の状況の下で、いかに害悪となっているかは、十分に注意されていないからである。以下に述べることが、すべての人に次のことを会得させることが私の願いである。すなわち、一方で、迷信が、他方で、宗教の本質的なものに対する無関心が、他ならぬこのことを通して他に勝っていかに助長されているかということである。無教養なキリスト教徒たちは、そのような信者が〈372〉大多数なのだが、正当にも聖餐式は信仰告白と見なすように教え込まれているので、彼らは当然のように次のよう結論を下す。自分とは別の聖餐式に与っており、自分の聖餐式に来ない者は、違う信仰を持っている人である。聖餐は信仰の表現であり、その表現によって彼らは、教派の違いを表明していると。彼らは、信仰箇条における違いについては、何ら確かなことを知っていない。そのようなことは説教壇から語られないし、語られることを禁じられているものもある。若者の宗教の授業も、そのようなことに十分言及しない。彼らが知っているのは、ただ祈りや聖餐や洗礼の儀式、いくつかの異なる礼拝儀式における違いだけである。従って、彼らに残るのは次のような思いである。〈373〉これらの細々とした事柄が信仰の違いを形作っており、したがって、両方の信仰が完全に一致している多くの部分以上に、これらの細々とした事柄が宗教の大事であるにちがいないという思いである。このような単なる語句や形式的なことを誤って過大評価することが、真の【宗教性】にいかに不利益をもたらしているかということは、これ以上言うまでもないことだろう。しかし、不遜にも次のような主張がまかり通っているのである。すなわち、プロテスタントの一般大衆の下では、内的なものを無視しても、聖礼典の外的な観察にでっち上げの価値が置かれてもよいという主張である。他ならぬこの外的なものが、二つの教派の相違を形作っているという考えによって、このような誤った主張は大きな支持を得ている。もし誰かが次のように言うならば、すなわち、普通の人は決してそれほどまでには考えないし、そのような結論を下しはしないと言うならば、その人は、あたかも形式的な結論や,わざと試みられた正式な思考が意図されているかのように、それらの言葉に拠らないのである。問題は、この階級の人々が、その域を脱することの滅多にない半ば無意識の心情の作用であり、また、[]不明瞭な表象の密かな悪戯である。したがって、もし、国民が、他のでっち上げられた差異に、この分離のためのより良き根拠を求めるならば、それは、より大きな教育のしるしと見なされるべきであり、健全な悟性の喜ばしい働きなのである。そこで、シュレージエンやマルク・ブランデンブルク州では、ルター派の人々の間に、しばしは、次のような考えが見られる。すなわち、改革派は全く否認されるべきで、その信条ゆえに亡霊のごときものであり、悪魔とさえ言えるという考えである。改革派の人々も、プロイセンのほとんどいたるところで同じように考えている。[]しかし、全体としては、このようなことは殊勝な例外に過ぎない。大多数は、先に述べた表面的なところにとどまっており、そこにより大きな価値を置いている。また、無教養な国民の階級をある程度知っている人であればよく分かるように、彼らは、言葉よりも、内容により一層こだわる。したがって、宗教における本質的なものと偶然的なものについて、様々な教派とその作用が等しい価値を持っていることについて、関連を尽くした勤勉な教え込みによって、成果を得るのは困難である。もともと、そのような教え込みは、善意のある人々−そのような人々はもう一つ別の領域に住んでおり、いわゆる啓蒙主義やその伝播について最も正しい考えを持ってはいないのだが−が考えるほど、しばしばあるものではない。〈374〉多くの説教者が、まだそのことに関心を持っているが、自分の教派の優位という不確かな信仰を維持することが、常に利己的な財政上の問題だということは考えず、むしろ、この信仰を、彼らに提供されている第1のことに結び付けたがる。しかし、この国民の階級に対し、問題の成立について、全く歴史的に教えられるべきだということを要求できるのは、この階級の人々の受容力がいかに制限されているか、教師もまた、彼らに対する授業をいかに制限しなければならないかを、全く知らない人だけである。

 同様な、そしてさらに多くの不利益をもたらす働きを、この分離は示している。すなわち、教派の分裂は、宗教的欲求の満たしにおいて、家族を互いに分裂させ、兄弟たちに、異なった宗教の授業を割り当て、敬虔な感情を最も強く引き起こす宗教行為を、一面的な作用にしてしまう。そこでは、一方は他方に参加できないのである。そのような行為の有益な影響を信じている人は、そのような影響の大部分を次のことに見ている。すなわち、そのように引き起こされた気分を家庭生活においても伝えることで、そのためには、皆が同時にその気分に捉えられることが必要である。したがって、その人は、これを妨げるような分離を、心の痛みなしに考えられないのである。しかし、ごく一般の人は、これをどう判断すべきだろうか、あるいは、実際に、どう判断するだろうか? 彼が正気であれば、彼は次のことに気づくだろう。彼の宗教的感情は、彼が、宗教的行為を、彼の仲間たち皆と一緒に行うことができれば、よりいっそう強く、有益になると。[]彼が落ち着いて考えれば、教会的な統一にはあまり価値を置かなくなるか、あるいは彼は次のように考えるように駆られるだろう。共同の宗教行為においては、心情に生じるものが重要なのではなく、不可解な教義や表面的な行いだけが重要であると。したがって、いたるところでこの分離は、無教養なものたちや教育を受けていないものたちをジレンマに陥れる。すなわち、分裂について自分の考えが、自分の迷信を強固にするか、あるいは自分の冷淡さを堅いものにするかというジレンマである。

 この同じ分離が、もっと教養のある、より高い階級の人々にどのように作用するかは、十分明らかである。同じ信条の教派に属する信者や教職たちが、二つの教派を分けている点よりもはるかに重要な、信仰的な諸点において、互いに意見を異にしていることを、これらの階級の人たちは、非常によく知っている。したがって、彼らには、この分離は、奇妙で無意味なものと思われる。そして、このことは、この分離に関係しているすべてのものに、非常に不利益な影を投げかけている。先ず、これは、次のことの唯一の公然とした動機である。〈375〉すなわち、なぜこの階級のこれほど多くの人々が、しっかりとした考えで、聖餐式が教会の教義と持っている厳密な結びつきを保持しているかということの〔公然とした動機である〕。それが次のような告白、すなわち、人は教会の教義を単に行為自体によって受け入れるだけでなく、二つの教派の違いを保持するために考えねばならない体系を形作っているほかのすべてのものを受け入れねばならないという告白としてであれ。彼らのうち、そのほかの場合には非宗教的ではない多くの人々が、聖餐式を拒否する理由は、虚偽の片棒を担がないためである。なぜなら、明らかに多くの宗教の教師自身が、この制度に賛成していないという事実に、彼らはほとんど動く力を認めていない。というのは、宗教の教師たちには、厳密に考えれば虚偽というしかないような振る舞いは避けがたいと、彼らは考えるからである。そこで、このことはここでは別の原則に従って判断されねばならないというのである。これは、宗教をそれ自体で、あるいは他のものと共に、政治の補助手段とみなすという不幸な考えである。これは、他のさらに不幸な考えと関係しているものではあるが。さらに、この見かけは単に力によって維持されるに過ぎないような分離は、上述された原則とはまったく無関係な不都合な考えを、宗教の教師たちの立場について生み出す。すなわち、当然のことであるが、宗教の外的な対象に関するすべての事柄に関して、彼ら宗教の教師たちは、大方、積極的な成員としてたち現れる。しかし、他のすべての者たちは、受動的な一員として現れるに過ぎず、したがって、彼ら〔宗教の教師たち〕は、他の場合にはおのずから生じることに逆らって、従来の分離を保持してきたかのような様相を呈する。これに対して、予想されるどんな行動理由を強調しようとも、彼らの栄誉にはなり得ないだろう。もし、彼らは不都合な軋轢には目を閉ざしていると考えられるなら、彼らは、彼らの注意を最も働かせるべきことに関して、無思慮で鈍感であるということになろう。もし、他の人たちにとっては些細に思われることが、彼らにとってだけは、大きく重要なものとされていると考えられるなら、彼らは、教会の分裂なしには事が運ばないような、ひどい教義の逸脱において、深刻な矛盾を犯しているという非難を免れられないだろう。単なる怠慢、あるいは、私のもの君のものへの配慮を原因とみなすとしても、彼らがほとんどうまくやれないことは明白である。そのような考えは、教会的な結びつき全体に対する決定的な無関心と関係していることは確かで、現在、これ〔無関心〕が、多くの人たち−彼らに内面的な【宗教性】が欠如しているわけではない−に該当するように、そのような【宗教性】をまったく拒否するほかの人々にも、彼らは、同じように弁解する最善の企てを提供しているのである。

 以上のような共通の不利益の他に、この問題は、さらに各々の教派に対して、それぞれ独自の不利益を持っている。ルター派の教会においては〈376〉改革派の教会においてよりも、儀式が重んじられていることは周知のとおりである。それは、いくつかの迷信や無思慮に機会を与えてしまうような仕方での儀式重視であり、したがって変革が望まれる。このことは、教会全体に当てはまるものではなく、いくつかの地域は他の地域よりも非常に具合よく秀でていることは周知のとおりである。そして、徐々にそうなるというのとも違い、個々には、ここでも何も有益なものは生じない。しかし、自然的な進行経過は間違いなく次のような具合である。すなわち、儀式や教義における古いものへの癒着とその浄化とは、等しい歩みを保っているということである。したがって、ルター派の教会だけしかない地域ではどこでも、平均的にそのような状況である。しかし、ヘルヴェチア教派〔改革派〕が混在している場合には、明らかな逸脱が見られ、その結果、授業の改善における進歩は順調に成功している。しかし、表面的な習慣の旧態は頑なに守られてもいるが。そういうことがないのは大都市か、共和政体をとっている所である。なぜなら、そういうところでは、他の原因が容易に現れるからである。[]この現象の最も自然な説明は、次のようなものである。表面的な区別の徴(しるし)として現れるものは、示された違いが何ら重要でなく、その根拠付けのためにほとんど理性的なものがもたらされないようなところでは、特別に法外な値のつく対象になってしまうということである。私はそのような複数の事例を知っている。すなわち、ルター派の教会では、改革派的に行いたいという言葉のもとに、磔刑像やろうそくを廃棄することに、非常に激しく反対する。もしルター派の教会が、自分たちの場所に、自分たちと並んで改革派の教会を持ってはおらず、ローマ・カトリック教会を持っていたら、その提案は容易に可決されたことだろう。ヘルヴェチア教派の信徒たちは、ほとんどいたるところで少数派である。そのような状況は、まったく自然な結果として、あたかも彼らが、抑圧された教会の立場にあるという感情を引き起こした。これは、言うなれば彼らの宿命である。というのはこの〔改革派〕教会は、大多数がルター派の諸領邦に散在しており、元来は移民の集まりだからである。周知のように、この感情はある種の宗教的熱心さによって非常に支えられており、お互いの間に強固な帰属心を生じさせている。しかし、この帰属心は真実の愛ではないし、その熱心さも真の敬虔さではない。なぜなら、その熱心さの対象は宗教の本質的なものではほとんどなく、むしろ、特殊な関係の根拠を形作るに過ぎないからである。したがって、その成り行きを詳しく観察すれば、この〔改革派〕教会は、〈377〉いくつかのあり方で、真の【宗教性】にとっては不利益となっている。無教養な人々は、自分たちの宗教的訓練を期待するに値するこの困難から少なからぬ功績を作り出す。また、彼らが、自分たちと教派を同じくする教会から離れている場合でも、これに誠実にとどまり続けるための堅忍からも少なからぬ功績を作り出す。これは、最も悪しき種類の偽善を作り出すが、そのような誤った敬虔さから、正に教会は、その卑しい動機のゆえに最も自由であるべきなのである。さらに次のことも含めて考えてみよう。同じ理由から彼らは、不可解で不純な神秘主義的禁欲を奨励する信仰書に、教養では同程度のルター派の信徒たち以上に依存してしまう。このような信仰書が、もっと良質のものに取って代わられることは、改革派の著述家が不足している状況では容易ではない。さらに、多くの人が自分の子供たちを、ルター派の信仰に編入するよりは、しばらくそこから離れても、自分たちの教派の牧師の授業を受けさせることを好む。しかし、それは当然のことながら性急で不完全な結果に終わる。このように改革派の信徒たちの現状は、真の【宗教性】という点では、良いものではないということ、これは否定できない。宗教的関心を持っている教養ある人々も、改革派の信仰箇条が、より平明で自然であるということを、不適切な仕方で誇っており、それによって、より正当でまったく自由な見解を遮断してしまっている。あるいは彼らは、改革派のより簡素な礼拝の本質を曲解し、真の【宗教性】を決して促進しない倒錯した仕方で理解している。

 

2)以上に劣らぬ不利益を、この分離は、一般道徳や真の文化にもたらす。したがって、宗教を、〔道徳と文化という〕この二つの最終目的の手段としてだけ評価するという人々にとっても、この教派分離の問題は重要な対象となる。そのために新たな申し立ては不要で、前述のことから次のことを示せばよい。すなわち、この状態は、国家と教会の側から委任されて、常に繰り返されるひとつの奨励、無を何かあるものと看做すという奨励を与える。したがって、それは、無思慮や鈍感、不分明な表象や感情の支配を確固たるものとする有力な手段なのである。このような奨励は、粗野や不道徳を最大限助長するものと、すべての人によって認識されねばならない。そして、〔教会や国家によって〕権威付けされた聖なる対象−それは大衆を常に新たにその支配の下にもたらすのだが−が、大衆に提供されることは、危険なことであると考えられねばならない。おそらく、このような見方に反対しては、次のような考え方を持ち出す人もいるだろう。すなわち、そのような教派の分離によって、同時に〈378〉寛容というこの卓越した徳の訓練のためのすばらしい機会が失われてしまう。この徳を私たちは、非常な熱心さで成功へともたらしたのに。これに対してはいろいろな答えがあるだろう。もし私たちがそれへのきっかけを不安のうちに保持したり、人為的に作り出したりする原因を持つとするなら、この徳に関しては異常な事態で、他の徳とはまったく異なっていることになろう。それは次のような場合とも異なる。すなわち、私たちが、私たちの間にカトリック教徒やユダヤ人を持つ場合で、彼らに関しては、私たちは、寛容ということと、非寛容や排斥性に対する抵抗との間の正しい一致点を、未だに正しく自分のものにできないでいるように見える。もしこれら諸対象が、宗教的領域を目指すべきであるなら、正に今、学問的、芸術的領域は、寛容が適用される状態に再び接近するように見える。したがって、この徳においては、訓練が欠如するということは、残念ながら直ぐにはまだないのである。残念ながらと私は言う。なぜなら、この徳は、常に暫定的な価値を持つに過ぎないからである。したがって、一飛びでこの徳を越え出てしまう機会が存在するとしても、なぜ残念がる必要があるだろうか。

 しかし、以上のようなことは放っておこう。ここで問題になっている悪は、あらゆる真の向上に対する危険な敵として示されるもので、それは常に積極的な党派心を引き起こし、偏狭な熱情を助長し、わがまま−それは常に多くの善を妨げることになる−を養う。私生活の様々な立場における、あるいは公の行政の様々な部署におけるある程度の派閥精神は、十分に規律が守られることによって、それぞれの不完全な体制において、よりよき衝動の欠如を補うことがおそらくは可能である。しかし、ひとつの要素が、それ自身二つに分かれる場合には、これは一般に有害と見做される。道徳的領域においてはなおさらである。そこでは、そのような不一致が、副次的な善をもたらすことは決してできない。ここでも最も純粋であるべきものを、分裂が捉える場合、その分裂は最も危険であるに違いない。私たちは、私たちの寛容によって、これをとっくに克服したと思い込んでいる。しかし、実際は、私たちの間でそのような党派心は決してまだ消えていない。然り、あえて次のように主張することができる。それ〔党派心〕は、非常に理性的と見做されている人々においても、また教会的な問題にほとんど関わらないと見做されている人々においても、折に触れて現れ、この種の熱狂的な気分に陥るのである。人間の本性とはそういったものである。権利や名誉に関することになるや、誰もが、自分の所属する党派を思い出し、その弁護者となるのである。〈379〉しばらく前にファルツ地方において二つの教派の間で、非常な激しさでなされた争いを間近で見たものであれば、この種の事例をいくらでも集めることができるだろう。あるいは、プロイセン国家の首都にいたものであれば、詳しく知っているが、改革派教会の所有と見做されていた有名な学校の校長のポストをめぐる問題がある。ルター派教会と改革派教会は、そこから権利や要求を引き出したり、否定したりするために、この学校の以前の歴史を異なって解釈したのだった。改革派の校長を見つけることが困難になった時、ルター派は、ひそかに意地の悪い喜びを感じたのだった。そしてやむを得ない場合には、ルター派から選ばれることになると喜んだ。しかし、選ばれた人は、宗旨替えを強制されるとは一言も伝えられていなかったのである。改革派は半ば戸惑いながら、この学校に監督権を持つ国務大臣が改革派の信条にほとんど通じていないことを嘆いた。そして、国の宗教上のあらゆる業務の指揮権が、一人の改革派大臣の手中にあった古い時代を懐かしんだ。他方、ルター派の主張はこうだった。〈380〉学校の問題では信仰告白の違いを顧慮しないという有益な原則が、いつかは実行されるべきであるとするなら、改革派の人たちが、その拒否に着手しなければならないことは明白である。なぜなら、彼らは領主と信仰上の類縁者として、最善の保護を受け、彼らに不利益になることは何もあり得ないのだから。両陣営の誰もが、それ以上のことを思い出すことを知っているだろう。すなわち、国民の中で、問題をそのように見、感じている人々がそうなのではなく、両陣営の宗教的世俗的立場で著名かつ才気にあふれた人々がそうだということである。そのような現象によっても、党派心がもはやないということができるだろうか?むしろ、次のようなことが予期されるべきではないか、すなわち、どちらの同様な動機においても、この一面的な意見が支配的な意見であるということ、また、自分の仲間たちの間でそのように考える人はみな、その考え方にふさわしく、状況によっては、共同のよき事柄に不利益になるように行動しているということである。党派心が、些細な横領だけをあえてするならば、それは常に不利益に作用しているに違いない。しかし、対立する関心を持った党派が並存している限り、党派心というものは当然のように避けがたく存在する。人はさしあたり次のように判断できる。学校における職分が、教派を顧みることなく、能力のあるものに与えられるべきだという決定が与えられたとしても、ことがまったく良心的で純粋に進行することはいかに稀であるかということである。

 以上の事例は、深刻かつ国家にとっても無視できない次のような見方に直接通じている。すなわち、この事柄の現状において、改革派の教派に帰属する信徒たちの間では、神学あるいは文献学的な学問は、久しくいっそう死に絶えるにちがいないということである。改革派の神学者たちは、趣味の良い説教技法に相当な精魂を傾けるものである。なぜなら、衆に抜きん出たいという欲求を持つ人は、比較的大きな都市の牧師職に就くものであり、そこでは通常、豊かで教養のある家族が教会の核を形成しているからである。しかし、彼らは真の学問は軽視する。しかも、その軽視の度合いはかなりのものである。というのは、そのような学問が要求され、報いられるポストはほんのわずかしかないからである。自分の様々な勉学を始めから教師や学者になるためにするということは、ほとんどない。したがって、これらの勉学は全体として、学問の世界でまったく従属的な地位を主張するに過ぎない。そして、司教座教会候補生たちの巡遊という賞賛すべきすばらしい処置さえも、50年来〈381〉本来の学者をほとんど育てなかった。どの若い人にとっても、適切な時期に学識にふさわしいポストが与えられるかどうかが、まったく不確かであるので、彼らはみな、あらかじめより確実で居心地の良い牧師職を選択する。必然的な要求のまったく欠如しているという感情や、彼らの準備期間における偶然が彼らを別の方向に定めない限りは〔そのような選択をする〕。もし将来、行政が人物の欠如から、各種の例外が必要であると考えるなら、あるいは、さらにいくつかの教師や研究者のポストを、比較的有用性がないという理由で廃止することがよいと考えるならば、この教派が分離されたあり方を持ち続ける限り、その教派におけるあらゆる基礎的な研究は、間もなく非常に困難な状態に陥るだろう。牧師たちの間に、相当な学問的な知識が行き渡らないならば、牧師集団は必然的に、それ相応の低い評価に陥らざるを得ないだろう。なぜなら、このことは、彼らの職務遂行の避け難い要求に対して、様々な不利な影響を及ぼすだろうからである。

 

3)ここにおいて私たちは、この問題を、国家に対する直接的な関心という観点からも判断するための境界に立っている。教派の相違の影響が今示された公務の部分は、おそらく一見するとたいしたことではないが、しかし、実際は少なからぬ重要性を持っている。特に、中産階級の教化や、国家公務員の育成にとっての高等教育の重要性は疑問の余地がない。そして、もし、次のことも同様に明らかにされたならば、すなわち、はるかに小さい部分を形作っているこの教派のもとで、これらの職務に、常にただ凡庸な人物−本来要求されていることを副業としてだけなしてきたような人物−だけしかいないということであれば、この教派がそのような教育施設を所有している限り、その施設は、それが本来は成し遂げることの出来る職務も成し遂げられないことも明らかである。実際、教会の分離がある限り、残っている方策は次の〔二つのうちの〕いずれかである。すなわち、〔1〕学校と教会の結びつきをまったく破棄する、しかし、それに対しては、克服に長期にわたる多大な準備を必要とする計り知れない困難が生ずるだろう。〔2〕一般的な方策なしに、あらゆる個々の事例において例外を承認する。しかし、これらの例外は、それを受ける部分にとっては、常に、主権者の絶対命令として、また不当でない毀損を与えるものとして、現れるだろう。たとえば、改革派の者たちに、そのような全権も、他の同様な処置も至る所に現れたのだった。実際、この最高の権力が、その概観を除去することは不可能である。もし、その権力が、まったく一般的な方策を行うことなしに、〈382〉その対象を分離して扱い、それが公共の福祉のために、公正な確信を持って、これに目を留めるだけであったとしても、慣例や条例を無視するならば〔不可能である〕。この最高の権力が、個々の事例に対して常にただ例外だけを認めるのは、次のような形式の下においてである。すなわち、最も近い要求を持つ教派には、熟練した人物が見出しえないという場合。そうであるなら、不利益は常に排他的に改革派の人々に該当することになるだろう。改革派の人々の中に熟練した学者がいないのは、彼らの責任ではないと人が言うならば、彼らはその責任を、上に述べたことにしたがって、彼らの状況に投げ返すだろう。そして、この点で再び高まることが、他ならぬこの原則によって彼らにとっていよいよ困難になっていると考えるだろう。然り、他ならぬこの原則の適用に対して、彼らは、常に異議を申し立てることができる。彼らの教派の有能な人材の選出においては、適切な努力がなされなかった。外国の識者を国内に引き入れるというプロイセン国家特有の傾向において、特にプロイセン国家では障害が生じたが、それは、決して十分に取り除かれることはなかった。しかし、もし国家が、学校に対して、分離された対象に対するものとして、まったく一般的に、原則を立てようとするならば、そしてその際に、教派はまったく顧みられないのであれば、大きな党派のより大きな競合において、より小さな党派は、常に不利な状況におかれるだろう。その党派のメンバーには、他の場所に招かれる以上に、自分たちにそれまで開かれていた場所からも締め出されるような思いが切実である。人が懸念するのは、国家の最善の意図にもかかわらず、教会と学校を結び付けて考えることになれた人の党派精神は、活動的に示されることは確かであるということ、その精神が次第に、この対象から離れる前に、数十年のうちに確実に、このより小さな党派は、学校に関しては、まったく他の団体の後見を受けている教会共同体という、これまで決して見られなかった特別な事例示すことになろう。その際に、その教会共同体は、常に正当さの見せ掛けを装って、次のように嘆くことができる。すなわち、この状態は、既得権を損なうことなしには引き起こされ得ないだろうと。したがって、人がこの要件をその内容に関して、まだまったく無意味であるとみなすならば、この要件は次のことによって確かに重要となるだろう。すなわち、それが、そのような状態にあるあらゆる統治の最も賢く最善に考えられた方法に、不利益な影を投げかけることによって。

 政治的観点から軽視できないもうひとつ別の状態は、二つの教会の現在の分離に起因する、確かに重大な国力の浪費である。ここでは、単に言葉で語っても虚しいので、特定の事例を挙げるのが一番である。それは〈383〉ヴェーザー川のこちら側のプロイセン地方の事例である。非常に数の少ない地方村と首都は問題にならない。問題なのは、中小の地方都市であり、そこに改革派教会の大部分は散在している。その状況について確かに言えることは次のことである。3000から5000のルター派住民、彼らには3人から5人の牧師たちが与えられているが、その中に100から200の改革派住民が生活している。彼らは自分たちの牧師を持ち、自分たちの教会の土地と、大部分は自前の会堂を持っている。ルター派の牧師たちのうち、一人はたいてい激務である監督の仕事に忙殺されている。たとえ彼が、最も骨の折れる仕事を、学校の同僚に負わせるとしても、その仕事は相当なものである。二人目の牧師は、通常、複数の支部教会を管理しなければならず、また農業から完全に離れることもできない。三人目は、町の学校の校長を務めている場合が多い。そして第二の教会、改革派との合同教会がある場合、四人目の牧師は、ある場合は人目を引く郊外の教会を、ある場合には地方の教会を持つ。つまり、彼らはみな非常に忙しい。何か自分自身の向上のためにする時間や余裕などほとんどないほどである。労苦の多い職務と、自分の経済のための骨折りは、彼らをだめにし、よりよい仕事をするには疲れ切っているので、彼らは、見苦しい仕方で人々に取り入ろうとするのである。彼らは疲弊し、野暮ったくなっている。これに対して、改革派の牧師は、もし彼が、日曜日の説教と、週日二回の教理問答の時間を持ち、学校を訪ねたならば、後は自分の時間である。すなわち、この時間は、平凡な輩には無駄となり重荷となる。もちろん彼は、自分の説教をよりよく仕上げることができる。もし彼が何人かの植民者や農夫を身近に持つなら、時折、骨の折れる週がやって来る。もし彼が、大急ぎで一人または数人の子供たちに授業をすべきであるなら、その際には、ほとんどよい働きはなされないだろう。彼は、非常に熱心に学校の授業を引き受けても、学校の子供たちの大部分は、彼の教会に属してはいない。だからといって彼がこの子らを受け持たなかったら、教師は失職してしまうだろう。したがって、すべては旧態依然のままである。その牧師は彼らの両親に働きかけられないから。学問的な仕事に向いている牧師はほんのわずかである。彼らにおいても、僻地の町で必要な財源の不足を〈384〉自分の力で満たすための収入は十分ではない。下宿人(Kostgaenger)を置き、教授するには、場所がないのが大方である。そのほかに残っているものと言えば、小さな庭、ほとんど役に立たない雑誌を読むこと、そのほか些細なことで時間をつぶすくらいである。そして、ルター派の牧師が、その暇な生活ゆえに彼を羨むとしても、彼はため息をつくだけである。なぜなら、彼は自分の暇をもてあましており、その時間を有効に用いられないことが苦痛だからである。いずれの場合も、彼〔改革派牧師〕は、理性的に考えれば、彼ら〔ルター派の牧師たち〕の仕事の一部を引き受けることができると考えるに違いない。二つの教派が何らかの仕方で一つになることによって、力をよりよく分配する必要が、非常に差し迫っているのではないか?もちろん、改革派の教会が、今あるよりも、さらにいっそう小さくなるのであれば、それはもっと差し迫ったことである。しかし、まさにこのことは、最大限の確かさを持って、予見されることである。そうなるに違いない原因は、非常に活発である。〔ルター派と改革派の〕異種結婚では、通常必ず、少数派に不利な結果に終わる。完全な改革派の家庭は、次の世代には、二つの半分だけ改革派の家庭になり、そして、そこから、二つあるいは三つの完全にルター派の家庭と、半分だけ改革派の家庭が一つ生じる。近くに改革派の牧師のいない場所での結婚も、打撃であり、これは、偶然の強化が再び改革派を補充する以上の損失を与えることは確実である。同じことは、地方教会にも、大都市にも言える。フランスの植民地、そこでは周知のようにドイツの改革派教会に文字通り宗旨替えすることが見られるのだが、それは私たちの間で、一つの教派から他の教派へ移るのと同じで、そこにはそのほかに、理解できる理由から、強力な共同意識が支配するのだが、しかし、このようなフランスの植民地は、今や大部分、極微のミニチュア教会になってしまっている。それはまた数十年後のドイツの改革派教会の姿でもある。フランスの植民地については、それは静かに平穏のうちに死に絶える定めであるように見える。彼らにおいては、牧師や教師の補充もほとんどわずかになっている。ドイツの改革派教会が同じような状態になることは、確実である。しかし、改革派教会が、同じようにして死に絶えるとして、ほかの仲裁する手立てが現れなかった場合、それは、ルター派の母胎の中に問題なく受け入れられるのだろうか?これは疑わしいというのが正当である。そのような死滅を待つことは、さまざまな困惑を引き起こすことになろう。このような未来への見方は、もう過去のものとなった。現在の状況において〈385〉最小の成果のために、いかに多くの力が必要とされるか、それについては、もし人が個々のものに入っていくならば、いくつかの特別な事例を引き合いに出すことができる。たとえば、プロイセンのポメルンには、毎年百マイルも旅行しなければならない説教者たちがいる。それは10人から20人ほどの改革派信徒のいるいくつかの場所で聖礼典を執り行うためであり、そのような旅行によって、小さな親教会も苦しまねばならないのである。シュレージエンには、著者の記憶違いでなければ、改革派教会は4つしかない。それゆえに一人の改革派巡回牧師がいるだけである。彼は、その地方に散在するわずか数百人の信徒たちを年に2回聖礼典を行うという目的で訪問する。このために彼は、年に500マイルも代え馬を伴って地方を回る。これの生涯の半分は馬車の中で過ごされることになるが、それは非常に無駄なことである。残り半分の時間を彼は公務員として過ごすが、まったく暇である。同様な観察は、もし人が、改革派の教会についてなされねばならない特殊な監督について考えるならば、起こってくるだろう。もしルター派の監督が、自分の教区内に住む改革派の牧師たちを、監督するとしても、彼らの仕事を増やすことはほとんどない。今、改革派の牧師たちは、自分たちの監督の下に分かたれているが、それによって、当然のことながら、彼らの中の幾人かは、そうでない場合よりもいっそう多忙になる。それにもかかわらず、これは無用な仕事である。然り、本来の目的の大部分は挫折させられている。監督官はほとんど中産階級で、報告と命令を束ねて捺印するだけである。諸教会とその教師たちについて個人的で明白な知識を持ってはいない。教会の視察は、しばしばその大きな距離の隔たりゆえに不要になって久しい。そして〈386〉牧師が自分の監督官をまったく知らない場合も珍しくない。より小さな教会共同体が、より大きな教会共同体の前に持っているはずの利点の大部分は失われてしまっている。同様に、もし人がより高く上るならば、改革派教会についての監督は、地方の宗務無局にとって、些細な付録に過ぎない。しかし、今や、自分の監督局が監督を行わねばならないが、それは、非常に消息に通じていない監督官によって、不完全な報告しかされていない。そこで、ついでに言えば、その指揮者の将来も危ういであろう。これらが総じて確かに示しているのは、軽視できない、まったく無駄な力の浪費である。[]

387

2.実現可能な合同のあり方について

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 先ず読者に想起してほしいのだが、提示された不利益はすべて、複数のプロテスタント教会が存在するということに依拠するわけではない。道徳的、政治的不利益については、このことは明白である。しかし、宗教的不利益も次のような種類のものである。すなわち、その不利益が現れるのは、共同性が他の状況によって放棄されるような人々によって分離が知覚される場合に限られる。したがって、プロテスタント教会の全体を包含し、変えるような手段を見出すことでは決してない。そうではなく、その必要を感じているすべての国家が、自分の領域内部で実行可能な手段のみである。然り、次のことは、よき救済手段の特色である。すなわち、もはや達成されないか、達成されたとしても目指されたところとは違った形で達成されるということである。したがって、むしろ〈388〉見出されるべきものは、両教会の一般的関係に可能な限りわずかしか影響しないか、あるいは最善にはまったく影響しない。これと幸運にも一致しているのは次のことである。〔分離の〕弊害は、両教派の教義の違いにあったのではなく、直接、間接にそれと結びついている教会共同体の分離にあった。したがって、私たちは教義の違いをなくすことによって〔分離の〕弊害を除こうとするのでは決してない。むしろ、教義の対象についての考えを変えることを何人にも期待してはならない。しばらく前に知れ渡ったことだが、昨今フランスに譲渡されたドイツの地域でこの種の統一が話し合われた。その結果ルター派は聖餐についての象徴的解釈を断念し、改革派は予定説を放棄した。[]389[]もし人が、すべての重要な教義において、どの教会も旧来の体系にとどまっていると前提するのは、明らかな偽りである。そこから空虚な八百長試合が生じる。[]そのような統一からは、新たな分離の危険が生じるだけである。たとえば、ドイツのゲッティンゲン大学神学部の成員がルター派の聖餐理解を破棄したことに対してなされた告訴に、激しく抵抗するという事例である。[]390[]

 同様に明らかなのは、求められている目的は、共同性を引き起こすことなく、単なる外的な儀式の接近を引き起こすに過ぎない手段によって達成され得ないということである。人がこのような問題に専心する場合、プロイセン国家では長らく守られてきた構造を人は見出す。それは明らかに次のような考え方を示唆している。すなわち、〔教派の〕分離は、そのすべての不利益と共に、教派間の慣習の類似化の進展によって、次第に、いつの間にか消滅するという考えである。私たちの間にすでに長らく存在している合同教会(Simultan-Kirche)は、この目的によるものだろう。合同の賛美歌や式文の理念の根底にあるのも同じ考えである。著者自身、10年間、いくつかの合同教会を経験してその利点は周知している。しかし、両教派間の相違の意識は根強く残っているので、改革派の人々は「今日は私たちの教会だ」と言い、ルター派の人々は「今日は、改革派の礼拝だけだ」としばしば言う。他の教派の礼拝に、しばらくの間参加するというのは懸念すべき不当な要求と考える人々はなくならない。〈391〉そして時折の来訪者も、主の祈りが自分の教派の言葉で唱えられていないと足が遠のいてしまう場合がしばしばある。同じことを著者は首都から来た牧師について聞いたのを思い出す。[]392[]

 この不十分な方策の言及を通して、私たちは次のことを十分に知るにいたった。すなわち、重要なことは、教会共同体を整えること。しかも、教義における違いや、礼拝形式における相違を侵害することなしに整えることである。そして、この整えは、信仰や行為における自由を制限することなしになされねばならない。しかし同時に、市民生活と結びついている目的が達成されるべきである。したがって、それは同時に国の働きである。国は、いずれにせよ、教会的交わりの唯一有効な機関だから[1]。この課題はいかに果たされるべきか? 各国内においては非常に単純で容易である。私たちの課題ははっきりとここに限定される。すなわち、次のような単純な〔二つの〕言明によってである。〔1〕教会共同体は整えられるべきである。すなわち、それはそもそも聖礼典(Sacramente)の共同を通して表現される。〔2〕これまであるひとつの礼拝形式にしたがって、あるひとつの教派の教会で聖餐に与っていた人が、恒常的にであれ、時折であれ、他の教派の教会で他の礼拝形式に従って聖餐に与る場合、それは、いずこであれ、市民社会上も、教会生活上も変化とは見做されないようになるべきである。[]

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395

[]長い間、教会の移籍はなんら形式的手続きなしに、また教義上の釈明を受け取ったという証明もなく密かに行われていたので、これを沈黙のうちに無視することに慣れてしまった。また、次のように言うこともできる。教会の移籍が信仰的な動機でなされたものであればあるほど、非難の声は生じない。むしろ、みながそこに信仰心の高揚を見るのを喜んだ。しかし、問題は次の点である。この種の非難はすべて、一部はまったく根拠のないものとして退けられ、また一部は、それらが古い状況の下では、減少することなく見出されることを明白に示している点である。もしも、キリスト教徒は、承認された様々な宗教観によって、聖礼典の共同体に参与するということに、その非難が基づくならば、これは長らく至る所にあったことである。もし、各個人の信仰が、その相違の基準であるべきならば、聖餐式は共同の宗教的行為として行われるのをやめねばならないだろう。そうでなければ、その相違が生じてしまうのだから。もし、各個人の信仰の相違が、承認された各教派の象徴的な文書に従って判断されるべきだとするなら、それらからの重大な逸脱の公然の承認は、すでに久しく、信徒においても教職においても通常の事柄であり、聖礼典の共同体において、この点に怒りをもつ人に対しては、すべてを変えることなしには、その人を救うことはできない。たとえその非難を聖餐式の表象の相違だけに限るとしても、同じ事態が生じる。〈396〉あるプロテスタント教会において、すべての人に共通するただひとつの考え方が支配していたということは決してなかった。以前から、ルター派の教会には、一方においてカトリックに接近する考え方が存在し、他方において超自然的なものを教義としては避ける考えがあった。同様に、改革派教会においても、カルバンやツヴィングリ的なものだけではなく、ある人々はそれを無視して、対象についてはるかに神秘主義的に考えていた。この苦情をもっと限定して、聖餐式のときに語られる言葉を受け入れている者たちの相違だけに限っても、事態はまったく同じである。聖餐に与る者たちすべてが、その言葉を同じように理解しているなどと確信できるキリスト教徒は、決して存在しなかった。[]

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[1] 1794年の一般州法(das Allgemeine Landrecht)は、教会サイドについては、各地方教会(die locale konfessionelle Einzelgemeinde)のみを定め、国サイドについては中央の監督官庁(zentrale Aufsichtsbehörden)を定めていた。ルター派の宗務局(Oberkonsistorien、複数)は、地方(Provinz)ごとに置かれ、改革派の教会監督局(Kirchendirektorium、単数)は、全国的に働いていた。