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Mercyさんの手記

始まりはもう12年前(1997年現在)になります。ボストンとNYに旅行中に、教会の人々との不思議な出会いから、ボストンキリストの教会とかかわって、アメリカにいる時から、聖書の勉強を始めて、日本に帰ってきてからも勉強を続けて、5ヶ月くらいでバプテスマを受けました。それから2年間本当に一生懸命、教会活動をしましたが、はじめは「神様のため」に行動していたのが、いつのまにか、ピラミッド式の教会の組織に流され、だんだん、「リーダーがそう言うから」に変わりました。クリスチャンとして「しなくてはならないこと」と「してはいけないこと」を、逐一、パートナーに許しを得てからの行動。いわゆる日本の会社組織のような、縦社会で、常に、プレッシャーとストレスを感じていました。「そう感じては罪だ」と自分を責めつつ、またリーダーからも、「態度が悪い」と責められて、最悪な状態へ自分を追い込んでしまいました。上の人がすることは、絶対で、話し合いにもならず、いつも「信仰のない自分が悪い」という言葉になりました。今から思えばかなり無理をしていたと思います。もっと力を抜いていても良かったのかもしれません。

人間追い込まれると、何をしでかすか分かりません。私も、かなり精神的に極限まで追い込まれました。かなり狂った状態でした。教会を飛び出し、姉妹達と一緒に住んでいたアパートを飛び出し、実家には帰れず、知らない男のところへ、転がり込んだりして、本当に狂った行動をしたと思います。だけどその時は、とにかく自由になりたかった。誰にも断らず、渋谷に行けること(ただ歩くことだけのこと)、パートナーの許可なしで、見たい映画が見れること、好きな本を読めること、テレビが見れること、教会以外の音楽が聴けること、好きなファッションを楽しめること、すべて普通の人が普通にしていることがどんなに嬉しかったことか。外に出て、初めて、世の中が動いていることを知って、ショックを受けました。

教会を去るとき、リーダーとの話し合いがあって、今すぐにリペント(悔い改め)をしないと地獄に行く、と言われました。また、旧約聖書のあるふしだらな女についての章を読まされ、私もそうで、将来絶対に幸せになれることはない。不幸な道をずっと歩むだろう。また生まれてくる子どもを殺すような母親になると断言されました。私は、涙が止まらなかった。そして悔い改めるまでは、教会の兄弟姉妹には連絡をとらないように言われました。そして悔い改めのチャンスは今しかない、今、悔い改めないのなら、もう教会には来ないように、と言われました。時間はありませんでした。本当に、話したい姉妹達がいたのですが、どうしようもありませんでした。悲しかったです。それでもこの教会は、おかしい。このリーダー達が言っていることは間違っていると思って、教会に残る気にはなりませんでした。せっかく知った神様に悪くて悪くて、でもその教会に留まりたいとは思いませんでした。

それから数ヶ月して実家に戻り、1年は地獄の日々、5、6年は迷いの時を味わいました。家族は何も知りませんでした。世界でたった1人自分が取り残された気分でした。誰にも言えない。おそらく、誰にも分かってはもらえないだろう。「神様、ごめんなさい」と何度謝り続けたことか・・・。私は、その教会から去っても、絶対的に、神様を信じていました。聖書も読んでいましたが、どこの教会にも行く気にならなかったのです。「あの教会だけが本当の教会」という間違った教えの、思いこみのせいです。「悔い改めをすること」イコール「その教会に属していなくてはならない」という考え方です。これがマインドコントロールだと気づくまで、数年はかかりました。人から言われても、「彼らが解っていないのだ」と思って、気づかないのです。安心して相談できる人は誰もいませんでした。宗教のマインドコントロールといった言葉がテレビ・雑誌で見られるようになったのも数年後でした。本当に苦しい日々でした。教会で仲が良かった姉妹達も、連絡しないように言われていたのか、ひとつも連絡がありませんでした。数年後に数人の人がやめてから解ったことですが、トップの人が、私が結婚してハワイへ引っ越した(実際、私から絵はがきがきたとの誤情報を流していて、みんな信じていたそうです。

1年位してサンフランシスコで大地震が起こりました。教会で仲が良かった女の子が、サンフランシスコへ留学していて、いつも彼女のことを考えていましたが、私が教会をやめたのを知ったら、悲しむだろうな、と思って連絡もしていませんでした。が、この大地震の時は、別でした。迷わず、すぐに国際電話をかけました。彼女はたまたま出かけていて、幸い大丈夫で、逆に情報の早さに驚いていました。また私が電話をしたことをとても喜んでくれました。日本の教会にいたときはあんなに愛している、あなたのことをいつも考えているだなんだと言っていたのが、地震の時に、電話をしてくれたのは母親と私だけだ、と言って本当に喜んでくれました。その時にわかったのですが、彼女はとっくに教会をやめていたそうです。彼女も少し遠慮して連絡はくれずにいました。しかし、私との大きな違いは、彼女はすっかり心の傷を癒していたことでした。そして彼女なりの人生を歩みだし、他の教会に行ったりしていたことでした。長いことくよくよしていた私には本当に驚きでした。私は初めて、同じ経験を理解してくれる人に巡り会えて、本当に嬉しかったのと、彼女があまりに元気で日常生活を普通にしているので、びっくりしました。(その頃、私は朝目が覚めれば「ああ、まだ生きている」夜は夜で、「明日も生かせてください」と祈る毎日。教会を去るときにリーダーにいわれた言葉が呪いのように毎日に私を脅かせていたのでした。)聞けば、アメリカではそういうことは頻繁にあって、「キリストの教会をやめた人は今のメンバーの数より多いかもよ」とあっけらかんと一言。そしてそういう人を助けるグループもカウンセラーもいるし、との話。本当にびっくりしました。そして彼女がくれたその情報のおかげで、それまで1人悩み苦しんでいたところからやっと脱皮できました。そしてはやく彼女に会いに行って、自分も早く立ち直りたいと思い、半年後くらいに、サンフランシスコに行きました。サンフランシスコでは、散歩に行った大学のキャンパスで指差ししながら、あの子もやめたよ。あの子もやめたよ。あの人はやめてまた戻ったよ。とか・・・とにかく日本でひとりぼっちだった自分に、勇気が沸いてきました。自分の心の中の問題が、すべて解決したわけではなかったけれども、気が楽になったのです。また教会の中では教えてもらえなかった教会のトップの人達の遍歴やどういう経緯でアメリカからミッショナリーが送られてくるのか、とか詳しいことがやっと分かったのです。

それからの花の20代後半は、波瀾万丈のひとこと。神様から遠く離れましたが、1年前くらい最高に苦しいときがあり、やっと神様を思い出すことができ、今はやっと毎日神様と会話する生活に立ち戻れて、すべて良いことも悪いことも私を教えるために計画してくださった神様に感謝できるようになりました。人の言葉に惑わされずに、しっかりと自分と神様の関係を保つように努力できるようになりました。今は近くの教会へ機会があれば行っていますが、会員になっているわけではありません。未だどこかの教会の会員になるのは「怖い」という恐れがあります。これが13年たってもまだある、マインドコントロールの後遺症です。まだ、時間が必要なようです。 色々な教会に行ってみて、自分にあった教会を見つけたいと思います。一番神様が私に望んでいるのは、いつも神様から離れずに、神様を第一に求めることだと思います。どんなに言葉できれい事を行っても、神様は私の心の隅々まで全部知っておられるのです。それが嬉しいです。ここまで見守って下さった神様に感謝して、これが少しでも誰かの役に立てますように。

CBS機関紙第2号より転載

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