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「東京キリストの教会」の現メンバーTさんからの手紙

川島堅二 殿

突然ではございますが、貴殿が制作・発信しておられるホームページを見た感想を述べさせていただきたいと思います。まずHさんの手紙を読んで。

この方はバプテズマの直前で家族及び友人によって決心を諦めたようですが、なぜ自分から悔い改め、キリストのために生きる決心をしたのに、クリスチャンでもない人のことを聞いて決心を変えたのでしょうか。家族は娘をまるで誘拐され捕られるような恐れを抱いているのではないでしょうか。少なくとも私は家族との関係はあるし、信者の多くも実家に帰ったりしています。それにこの人の家族は「親族に合わせる顔がない」「一族の恥」「泣きながら今のままでいい」などと少々極端なのではないのでしょうか。なぜそこまで一人の大人の決心に、それもイエスのように変わりたいという素晴らしい決心に介入してくるのでしょうか?まるで大人の扱いをしていません。この人も少し大人になって自分の人生の選択をできるようになったらよいのではないでしょうか。(他の手紙の人にもいえる)

どうしてクリスチャンになることが「一族の恥」なのでしょうか。僕はこの家族の意識がわかりません。両親が子供に自己の好む宗教を教育し、自己の好む宗教学校に進学させる自由を全く無視しています。おそらく、日本の標準的な家庭で平凡を好み、クリスマスにツリーを飾ってお正月に神社に参拝して手を合わせても何の疑問も抱かないような家庭なのではないでしょうか。入信したからと言って教団に殺されるとでも思っているのでしょうか。全く誤解も甚だしいところです。標準的な日本の家庭だと思います。熱くも冷たくもない。、、、ここで聖書はこういいます。

「私がきたのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、つるぎをもたらすためにきたのである。わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。そして家の者が、その人の敵となるであろう。わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。自分の命を得ている者はそれを失い、わたしのために自分の命を失っている者は、かえってそれを得るであろう」(マタイ10:34−10:39)。

今のままの彼女でよいなら今のままでよいでしょう。しかし現代の日本の家庭において崩壊した家庭で育ってきた子供の心は傷ついています。その崩壊した家族の中にイエスのようになり、関係を作り直したいと思っています。それはまさに光ではないでしょうか?なぜそれがいけないのでしょうか?なぜこんな一部の教会の悪口を言っている人々の証言を集めたホームページのために、日本という国、家庭、モラル、人間関係をよくしていきたいとしている人の心が踏みにじられなければならないのでしょう?はっきり言って、神様がせっかく私たちを使って日本を救おうとしているのに、このホームページはそれをぶちこわしています。

もしかしたら今人生で悩んでいて、自殺や殺人を考えている人がいるかもしれない(それは実際に沢山起きている)それを私たちは一生懸命探してその人と人生にはいって救おうとしているのに、あなたはそれを妨げるようなことをしている。あなたの行いを神様は悲しまれております。

川島さん、あなたを聖書の人物でたとえるなら、ファリサイ派、律法学者といったところでしょう。すなわち、

「だから、彼らがあなたがたに言うことは、全て行い、また守りなさい。しかし、彼らのすることには、見習ってはならない。彼らは言うだけで、実行しないからである。また、重い荷物をまとめ、人々の肩にのせるが、それを動かすために、自分では指一本も貸そうとはしない。そのすることは、すべて人に見せるためである。聖句のはいった小箱を大きくしたり衣服の房を長くしたりする。また、宴会の上座、会堂の上席を好み、広場であいさつされることや、人々から先生と呼ばれることを好んでいる。(マタイ23:3−23:7)

そうです。あなたは理論だけでキリスト教を理解し、TCCを批判して自分の理論を正当化しようとしているだけです。キリスト教は学問だけではありません。あなたは、講義や論文など研究成果はあげているようですが、イエスが教えられたように行動しているでしょうか?またそれには愛が伴っているでしょうか?イエスは律法学者ではありませんでした。イエスは自分をかえりみず、憐れみを、愛を持って施しました。あなたはどうですか?

純粋にイエスのように生きようとする人を惑わし、一つのカテゴリーに収めようとし、私たちの教会から来る恩恵をぶちこわそうとしている、言うなれば、サタンです。はっきり言います。そのような行いをするものには天罰が下ります。聖書は言います。

「偽預言者を警戒しなさい。披らは、羊の衣を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである」マタイ7:15。

あなたに勇気があるなら、教会の脱退者による手記だけでなくこういう立場からの手紙も載せたらどうですか。一つお教えしましょう。TCCでは、聖書を読むだけではなく、それを聖書の通りに実行しようとしているだけなのです。今までの宗派の教会はそれを実際に教えてはいるけれど実行できていなかったのではないでしょうか。だから、TCCが異常に見えるだけではないのですか。一方的なことばかり載せるのはやめてください。

1999年3月4日記

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