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最終更新日20201224

元メンバー(筍員)の経験談

【解説】私の研究室掲示板(http://6514.teacup.com/cult110/bbs)に寄せられたヨハン早稲田キリスト教会元メンバー(筍員)からの投稿の内、この教会を理解する上で有用と思われるものです。日付は投稿日、(  )は、投稿時のハンドル名です。この中には洗礼を受けていない人も含まれています。ヨハン教会では一度でも礼拝に来た人は、筍員としていずれかのセルグループ(筍)に属するとされるためです。

 

■韓国人留学生

韓国人のわたしは、かつて一年間日本のある地方大学に留学していたころ、ヨハン教会の幹部に勧誘され、地方にあるヨハン教会に通うようになりました。

 

クリスチャンホームに生まれ、幼少期からプロテスタント長老派の教会(ヨハンではない)に所属していたので、所属教会の牧師に相談したところ「(ヨハンは)素晴らしい教会だから通った方がいい」と言われ、この教会の日本社会での評判が悪いことを知らないまま通い始めました。(もし十分に調べる時間さえあったら、通わなかったかもしれません。)

 

今は、ヨハン教会の問題も知り、距離を置いていますが、わたしが感じたこの教会に対する違和感を公にすることで、何も知らずに今なおこの教会に関わり続けている方々が、自らの信仰のあり方を振り返るきっかけになるかもしれないと思い書いてみることにしました。

 

1年間の日本留学を終えて帰国した私は、元々通っていた教会に戻りましたが、日本のヨハン教会の幹事がヨハンソウル教会で結婚式をするという知らせを聞き、お祝いをしたくヨハンソウル教会に行きました。

 

その式は、普通の結婚式の雰囲気とはまるで違うものでした。結婚式の主人公が新郎と新婦ではなく、当時の東京ヨハン教会の主任牧師キム・ギュドン(金圭東)とヨハン教会だったのです。今もその息苦しい、鳥肌の立つような結婚式の雰囲気を覚えています。わたしは留学中お世話になったヨハンの幹事に挨拶をしてもらうために母親を伴っていたのですが、母も驚いていました。

 

結婚式の時、キム・ギュドンがお祝いの説教をしましたが、その第一声が

「彼氏彼女作るなー!なんで作るんだー!」

と怒鳴るような叫びでした。

新郎新婦のご両親はキム・ギュドンより年上なのに、こんな大声で叫ぶとは、なんと常識の欠けた失礼な言動だろうと思いました。

さらにキム・ギュドンは

2人は結婚して日本のリバイバルとヨハン教会の拡張のために・・・うちらはもっともっと大きくなるぞー!」

などなど、ヨハン教会のことばかりを一方的に語り、二人の幸せを願う励ましの言葉は一切ありませんでした。

 

このとき感じた違和感がヨハン教会の実態を調べるきっかけになりました。

 

日本留学を終えて帰国する直前、大学でヨハン教会の勧誘行為が問題になり苦情があったらしく、指導教授に呼ばれて色々言われたことがあります。

当時は教授が言ったことの半分ぐらいしか理解できませんでしたが、この結婚式のあと、いろいろ調べることで、その意味が一気に分かってきました。

 

当時はまだキム・ギュドンのセクハラや暴力問題が公にはなっておらず、むしろ韓国のキリスト教界では「模範的な教会」として高く評価されていました。CBSCGN TV、極東放送など、韓国のキリスト教系放送番組などでもよく紹介されていました。

 

2000年代初め頃、韓国の教会では「純潔誓約」が流行っていました。したがって日本に行く前に私も所属する教会の青年部で純潔誓約をし、「26歳になるまで恋愛は控えよう」と心に決めました。

(教派によっては、いまでも男女が分かれて食事をするところもあります。)

そういうことがあったので、ヨハン教会の「恋愛禁止」という鉄の掟をすんなりと受け入れたのかも知れません。

 

日本留学中にヨハン教会で好きな人ができましたが、恋愛禁止のために止められました。

実は、帰国後も彼のことが忘れられず、時々ヨハン教会宛にプレゼントなどを送っていました。なぜ教会に送ったのかというと宣教師や幹部が怖くて彼の家の住所を聞けなかったからです。プレゼントを贈る際にも好意を隠すために「みんなへのプレゼント」みたいな形で出しました。

しかし、結婚式の祝いに来た知り合いのゴスペルシンガー(ヨハン教会のゴスペルコンサートによく招かれるゲストです)に、ヨハン教会に通っていたことと好きな人がJMTS(ヨハン教会の神学校)に通い始めたということを話したら、彼女にこう言われました。

「あきらめたほうがいい。ここはJMTSを卒業した人同士で結婚させるんだから。訓練厳しいし、途中で逃げた人もたくさんいるよー!普通の教会と違うところなの!」

ショックでしたが、ようやく思いを断ち切ることができました。

 

でも、それだけなのか、統一教会のように教祖が相手を指定するのではないかという疑惑が沸き始め、インターネットで情報収集したり、周りの人々などに聞いたりして色々と調べ始めました。当時、私が通っている教会で、ヨハン教会の創立メンバーにも会う機会があり色々話したこともあります。

 

当時はヨハン教会の問題を暴露する公式の記事もありませんでしたが、川島先生のホームページなどで実態が少しずつ分かる度にショックも増していきました。自分が通っている教会の牧師と何度も相談をしました。ヨハン教会の弟子訓練などのテキストも見せながら相談しました。

日本にいる間、自分は悪い教えに従っていたのかと、憤りと不安の日々でした。

そしてたどり着いた結論は「ヨハン教会と大きなトラブルを起こさずに帰国によって自然と離れるようになったのが幸い」ということでした。

 

韓国に帰国してもともと通っていた教会に戻ったので、ヨハン教会側が、私との連絡を警戒しているような雰囲気も感じていました。帰国後ヨハンに属していない私は彼らにとっては部外者だったのです。これもまたショックでした。

 

日本人の方々に知っていただきたいのは、ヨハン教会の問題は韓国のキリスト教会のひどく歪んだ意識を踏襲しているということです。問題はヨハン教会に限らず、韓国の多くのキリスト教会にもあり、その先鋭化した現われがヨハン教会ということです。

 

韓国の多くの教会が、イエス様の教えではなく、お金と権力を拝んでいるとわたしは感じています。一時期とはいえ、自分もそれに同調していたことを思うと、クリスチャンの一人として本当に恥ずかしいです。

 

私はヨハン教会より、ヨハン教会の不正を知りながらも巨大化し一大勢力となったヨハン教会の味方をした韓国の教会に強い憤りを感じています。

 

コロナ禍で様々な行動が制限されるなか「ムン・ジェインは共産主義者だ!宗教弾圧だ!礼拝は命だ!命をかけて礼拝は守るんだ!ウイルスなんか恐れるな!」と理不尽な主張をする牧師(しかもカルトではない正統派の教会の牧師)も多いです。

 

815日にあった違法な集会を催したチョン・グァンフン(あだ名がパンツ牧師「俺がパンツを脱げと言ったら女はその場で素直にパンツを脱ぐべきだ!」との発言が問題になりました)の不適切な発言には沈黙し、社会の弱者には平気で罵詈雑言をいう韓国のキリスト教会。セウォル号の断食祈祷会に参加した牧師を罷免しようとした教派もあります。私が通っている教会でもセウォル号の遺族のことを共産主義者と思う人間が本当に多いです。

 

今年、チョン・グァンフンが所属する教会をカルトにするかどうかを決めようと会議があったらしいですが「カルトに指定すると、混乱が増す」との理由で先送りになってしまいました。

 

イエス様の教会を人間のものにし世襲など常識外で理不尽なことにも、それが有力者の教会であれば目をつぶるのが韓国教会の歪んだ現状です。

 

セクハラなどを告発しても、むしろ被害者が過酷な目にあうことを、たくさん、あきるほど目の当りにしました。(ある大教会でセクハラ被害者を保護する牧師と知り合いですが、風当りが本当に強いです)

 

韓国教会のジェンダー意識はかなり低く、常識外なものが多いです。セクハラでなくても、男性信徒による二股、三股(私も経験しました)に関する相談事例集もあります。

 

ヨハン教会は、その一部にすぎないのが本当に悲しい現実です。

 

韓国人のクリスチャンの一人としてヨハン教会の被害者の方々に申し訳ない、恥ずかしい思いでいっぱいです。

 

日本のヨハン教会の被害者の皆様、本当に申し訳ありません。

 

このような言葉では何の慰めにもならないと思います。失われた大切な青春が戻るわけでもありません。それでもお詫びしたいです。

 

時間がたっても、キム・ギュドンやセクハラに目をつぶった幹部らは謝罪しない、むしろずうずうしく牧会を続けると思います。

 

しかし、どうぞヨハン教会に通っていたことで自分を責めないでください。それはあなたのせいではありません。キム・ギュドンという怪物に産んだ韓国教会の因業です。神様が必ず裁くと信じています。

 

現在の韓国では、歪んだ韓国教会の理不尽さに愛想をつかした人が多いです。(私もその一人です。信仰心はありますが、組織化し巨大化した教会は大嫌いです)

 

特に、今年はコロナ禍にもかかわらず、集会開催を強調する一部の教会のせいで集団感染が増えたので、教会を批判する声が高くなっています。常識的な牧師らはこれに危機感を覚えています。

 

韓国教会の指導者らは悔い改めて改革しなければならないのにむしろ逆方向に進んでいます。自ら滅びの道を選んだ韓国教会・・・それを踏襲しているヨハン教会・・・なので、日本のヨハン教会の働きもいずれ限界にぶつかると思います。

 

私の願いは、地方にいるヨハン教会の関係者が心の中でも悔い改めて教会を一新することです。その気がないなら、滅びるしかないです。

 

さて、ヨハン教会に関する資料が全くなかった時、川島先生のホームページのおかげでヨハン教会の歪んだ現状をいち早く読み取り、考えを整理し、これまで受けた大きなショックから立ち直ることができました。

お礼が遅いですが、改めて感謝もうしあげます。本当に貴重な働きだと思います。

もっとたくさんの人がヨハン教会の実態を知り、いち早く逃れることを願っています。

20201222

 

Aさん(あみじゃかん)

ヨハン教会の信条の中に、「福音を伝えるのを妨げる働きは全てサ2タンの働き」というものがあります。したがって、ヨハン教会の信徒にとって先生(川島)の信仰のみならず、自由主義的信仰もサタン的なものと考えていると思います。全ての人に福音が伝わるのが絶対的善であり、そうでなくなる要素は全て悪とみなしているのは、注目に値する信条であります。

たとえば、洗礼を受ける前に交通事故に遭った人について、サタンの攻撃は受洗前に多いので気をつけなさいと言われたり、単なる不注意でスクーター事故を起こした人自身が「働きが多い人に対してサタンの攻撃が多くなる」と言ったりしていました。

私はサタンの存在を否定しませんが、ヨハンのサタンに対する意識は普通ではないと思います。それは自分達の団体を絶対的善とみなるためだと思います。

私はヨハンの、その考えこそが間違っていると思います。聖書には自分勝手に解釈してはいけないとあります。それはヨハンの解釈こそが正しい解釈だとして信徒に押しつけるのが良くない、と言うことにもなると思います。

2005103

 

ヨハン早稲田キリスト教会に限らず、地上で完全な教会はありません。自分たちの教会も決して完全ではない、ヨハン教会のメッセージで語られたこともありました。また、最近の主日メッセージはイエス様に重点が置かれるメッセージが多くなってきた気がしますし、また脱会者も現在はそれ程多くないかも知れません。

ただ、過去に行ってきた問題については明らかにする必要があると思います。教会の組織については、もはや手遅れという状態でも何でもなく、まだまだ対話のチャンスは残されていると思います。大部分は正統派プロテスタントの教えがありますし、特に日本人教職者はそのようなチャンスが開かれていると思います。日本人教職者の方々は純粋にヨハン教会内でのみ教えを受けて、献身的に主に仕えてきました。ただ、韓国人の教職者に厳しく叱責を受けることが多く、私は個人的に胸を傷めていました。とくに、信徒の前で肩もみをさせる姿は見ていて辛かったです。

20051016

 

ヨハン教会のキャンパスコンサートは、11月28日から12月1日、12月4日から12月8日まで行なわれます。昼休み行なうときもあれば、4限か5限後におこなうときもあります。

キリストの福音を独善的に曲げて無理矢理に聞かせようとするのに、どうしても我慢できないものがあります。私が通っている場所でいかに多くの人が苦しみながら教会をやめていったのか、それを考えると無念でなりません。

私は、自由な心で信仰するという信仰の自由を守りたいです。

20051116

 

前の書き込みで「自由な心で信仰」と書きましたが、自由な心で信仰するのは、実は簡単な事ではない気がします。ヨハン教会では信仰の評価は集会の参加率と伝道に対して積極的かどうかできちんと決まりました。

神様からの評価なんて、本当はどうなのか「理解」することは出来ません。だから健全に信仰とそうでない信仰なんて、簡単に区別できるものではありません。

でも、自由な信仰だからこそ、信仰には責任があると今日悟りました。それは、無責任に人に信仰を強制してはいけない事ともつながると思います。

しかし、ヨハン教会の信徒は責任感は非常に強いのですよね。人をキリストに導くという責任感は。しかし、それに加えて、人が信仰に導かれたときの「実際の」結果まで、責任をもって伝えなければいけなく思います。

20051119

 

キリスト教には様々な教派があり、どの教派もそれなりの個性があります。熱心な教派であってもやはりそれなりの慎みがあるものです。しかしヨハンにはそれが無い。「福音のためなら何でもします」という使徒パウロの言葉が悪用されているのは悲しいです。日本には確かに一握りしかキリスト教徒はいません。しかし、本当に社会という現実の中で光と塩の働きをしようとされている方もいるのです。その働きこそが「福音のために何でもする」ことだと思います。神の言葉を盾に、人を騙して繋げようという汚い手を清めて欲しい。
しかし、すべての人が悪い訳ではありません。教会に通う年数がまだ短い人は純粋な人が多いです。キリスト教に対して淡い期待も強いのでしょう。やはり、そのような人には優しく接してあげて欲しいですね。

でも、年数が二年、三年となるとしだいにマインドコントロールが強くなって、教団に縛られた不自由な人になってしまいます。教職者の汚い責めにも、泣いて自我を砕くだけの人になってしまいます。私も自我を砕いてリーダーにペコペコばっかりしていました。

ヨハン内では明るく柔和な清いクリスチャン、外の世界の普通の人をサタンとしてでっちあげる。そんな人が今もなお作られているかと思うと悲しいです。ヨハン的なクリスチャンの行く末は悲しみと重圧感であることは、過去の文学作品をひもとくと読めてくる。だれの圧力も無い環境下で神様を信じてコミットしていくというプロセスが大切な気がします。教会は種を植え、水を注ぐだけにすぎない。

数々の乱文、失礼いたしました。皆様に心の平安がありますように

2005123

 

■Bさん(みかん)

私は昔、2年ほど前までこの教会に行っていたものですが、ノンクリスチャンです。2chでこの掲示板を知ってやってきました。2chでもこの掲示板でも私が感じたことと同じような違和感、嫌な思いをされている方がいらっしゃることに、まずは安心しています。なぜならば今までそういったこの教会に対する否定感情を抱くことはよくないこととして言われてきたからです。

2chの書き込みのうち、明らかにおかしな書き込み(朝鮮半島の歴史や反韓嫌韓の方々の書き込み)以外で、教会での生活について触れてある書き込みは誇張こそされているかもしれませんがほとんど事実だと思います。誇張してしまっているのはそれほど嫌な思いをしていることのあらわれだと感じます。

伝道をするためにアルバイトを辞めてしまうようなことも聞いたことがあります。というより、教会活動が主となってしまっているため、したくてもできないんだと思います。自分の都合で土曜日、日曜日にシフトに入らなくてすむようなアルバイトを探すのは実際大変です。

「人間としての基本的なところでの思いやりの欠如、あるいは社会常識として当然わきまえるべきルールを無視するようなところに由来するような気がしてなりません。」

川島先生のこの言葉に、まったく同感です。私はこの点ですごく違和感を感じていました。

私がいたとき、時々近所の住人が怒鳴り込んできていました。自転車駐輪や夜間の騒音(平日の活動には行ったことがないので知りませんが、土曜日の徹夜集会では午前0時をまわってもマイクで大声でお祈りしていますし、日曜日は一日中ですから私が近所の住人だとしたら我慢できません。)についてのクレームだと思います。教会脇のタバコ屋さんの自販機には、自販機に寄りかかったりしないでください、営業妨害です、との貼り紙もありました。

礼拝中の居眠りは日本人部の日曜礼拝に限ったことではありませんでした。韓国人部でもそうでしたし、土曜徹夜でもそうでした。土曜の昼過ぎから月曜の早朝(早天礼拝?)まで、ほとんど教会あるいは近所の旬長と言われる人の家に泊まりながら過ごす場合が多いようでしたので、眠ってしまうのもわかります。

コスタといわれるサマーキャンプでは学習塾の夏合宿のように早朝から夜中までみっちり講義がありますから、本当に眠っている人が多かったです。

私の人生において初めての教会がここであり、私はキリストと良くない出会いの仕方をしてしまったと考えています。人は、ある1つのカテゴリに属している人たちのうちの1人の行ないを見て、特にそれがよくない行ないの場合に、その全体まで否定してしまうことがよくあると思います。私の場合は、キリストや教会、クリスチャンに対して否定感情を持ってしまいました。

同時に韓国人に対しても否定感情を持ってしまいました。私は、この教会は海外での生活になじめない人々が通う場所で、自分たちのアイデンティティをしっかり維持するために日本人部を作ったのではないか、とも真剣に考えてしまったこともあります。

私は宗教とは自由な信仰心で祈ったり通ったりするものだと考えていましたが、この教会は違いました。最初は自由な雰囲気があるのですが、だんだん強制的になっていきました。この誘いが嫌だという意見は2chにも多くあるところです。

この教会に通いきれなくて他の教会に移ってしまう人たちのことを悪く言う場面にも何回も出くわしました。友達として付き合っていた人のことでさえ、あの人はダメだ、と。

日本に在住している韓国人の間でも、この教会の評判は悪いです。この教会が嫌で同地域にある他の韓国系教会へ移る人が結構いると、その移ってくる先の教会に通っている人に聞いたことがあります。(この人には一時期ヨハンでの出来事を相談していましたので事実です。)

この教会やここでの出来事はあまり思い出したくない記憶です。純粋なんだろうなという人も多く、礼拝中涙している人も多く見かけたので、こうやって悪く言ってしまうことに迷いが生じます。しかし、日本人の大学生にしても韓国人の留学生にしても、本末転倒な生活をしている人をよく見ました。私はつらくとも大切な学生生活をしっかりと送るために神様があるものだとばかり思っていましたが、この教会は神様=教会ありき、でした。そして何よりも自分の信仰が宙ぶらりんになってしまったような思いにとらわれて苦しいです。

私が感じたこれらの違和感が、教会とはこういうものなんですよ、と言うことであったならば信仰のない人間による中傷となってしまったこと、何卒お許しください。

20051130

 

私は嫌韓派ではありません。韓国人の友人知人が大勢います。その友人知人がクリスチャンだと、この教会での韓国人のビヘイビアと一緒なのかと身構えてしまい、一時期悩みました。伝道でも近隣住民クレームでも、郷に入っては郷に従う、という点で違和感嫌悪感を感じました。そして、せっかく神様と出会ったのだから、他の教会に行ってやりなおしてみようと、何度も思いましたが、また嫌な思いをするのではないかと億劫になってしまい、そのまま宙ぶらりんで苦しいわけです。洗礼を受けた方やこの教会を母教会としていた方で抜けた方々は、きっと私なんかの何倍も苦しんでいるのだと思います。かわいそうです。

(礼拝中にもかかわらず、携帯電話からメールを打っているメンバーがいることについて)私の経験から礼拝中の携帯メールは、今階のどこどこにいるよ、とか、今日は礼拝だから早く教会へ来ましょう、などという連絡と思います

2005121

 

Cさん(ケイイチ)

私も昔、ヨハン教会へ通ってた者です。ちよのふじさん同様にヨハンの先生や兄弟(男性はこう呼び合ってました)達と楽しく信仰生活を送ってました。色々と悩み等も聞いて下さったりもしました。牧師先生のメッセージも心に響きました。しかし、私が教会を離れた理由はやはり過度の伝道活動がきっかけでした。生活サイクルが全て教会中心となり、仕事も夢も、ままならなくなってしまいました。(バイトですが)、伝道活動に参加しないと旬長がバイト先まで押しかけて注意しに来たりもしました。社会的常識を余りにも無視した行動にも、疑念疑問をい抱き、意を決して教会を離れました。離れた後も多くの兄弟が何回も会いに来てくれましたが、無視しつずけました。仲のよい兄弟だっただけに、いまも心が痛みます。今ここに、こうして2ちゃんねる系のような単なる教会への誹謗中傷ではない掲示板に投稿できることを、心からありがたく思います。教会が憎いとかいった気持ちはありません、ただ自分が通い、洗礼を受けた教会ですから、カルト集団と言われたりなってはほしくないです。ヨハン教会が愛される教会となるよう願っております。

20051129