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Horst Beintker, Die „Grundlinien einer Kritik der bisherigen Sittenlehre“ als Quelle fuer Schleiermachers Ansatz des ethischen Universalsystems, Schleiermacher-Archiv, herausgegeben von H. Fischer und H.-Joachim Birkner, Gerhard Ebeling, Heinz Kimmerle, Kurt-Victor Selge, Bd.1, Teil.1, S.313-332, Walter de Gruyter, 1985.

最終更新日2000911

ホルスト・バイントカー「シュライアマハーの倫理的普遍体系の発端のための資料としての『従来の倫理学説批判綱要』」

313

1.      最高の学問から演繹される倫理学の基準としての、人間において自らを形成する人間性

ヴィルヘルム・ディルタイは、「シュライアマハーの倫理的諸原理批判」(1863/64)という初期のシュライアマハー研究において、次の点を強調している。すなわち「倫理学の基礎は、善の基準を自らのうちに含む人間の直観であり、この基準は、すでに、倫理的観察によって、あるいは少なくとも倫理的心の態度によってもたらされるように思われる」と。したがって、人間、あるいは人間における人間性、人間において自らを形成する人間性は、シュライアマハーにとって、当時彼に「プラトンとフィヒテによって与えられた倫理的体系性についての根本問題」に対する答えである。このことは、ディルタイが、『従来の倫理学説批判綱要』の決して十分とはいえない分析において示唆しているように、シュライアマハーの体系のフィヒテに対するある種の類比においてはっきりと現れた。もちろんディルタイによれば、「フィヒテに従った問題の一面的理解」は、次のような報復をすることになる。すなわち、「自然と理性による倫理学の倫理的原理の学問的基礎付け」は、後にシュライアマハーにおいて、形成的倫理学の遂行において、ただ可能性のみに注目し、必然性には注目しないということである。最高知―それは「私たちの意識に直接」示されることはなく、「意識においてはただ、すべて他の知の最内奥の根拠源泉として」作用するに過ぎない。それは「最高存在が私たちの意識に対して直接存在せず、すべて他の存在の内的根拠、源泉として存在するのと同じである」。そのような最高知から、彼は「ただ自然に対する理性の働きかけのみを推論する。その理由は彼がその働きかけを獲得したいからである」。しかし、ディルタイの異議申し立ては、前提とされた超越論的同一性からは、「同様に…可能な〈314〉理性に対する自然の支配」が結果する。そして、ここに1803年の倫理学説批判綱要への彼の注目すべき示唆がある。この示唆を私たちは、シュライアマハー全体の為のこの源泉のさらなる比較的な注意と評価への刺激として理解するのである。なぜなら、ディルタイの考えでは、この書においてシュライアマハーは、学問の理論家及び倫理家として深く取組みを試みているからである。

このことを私たちは、本題の詳細な理解に先立って、もう少し細かく展開しなければならない。なぜなら、「体系の中にその証拠を持つ実証不能な原理」から出発することにおけるフィヒテへの依存と一面的な理解は、批判的に有効な主題としての倫理学の導出と基礎付けにおいて、まだ十分に検討されていないからである。というのは、シュライアマハーが、後期の体系期に、繊細な技巧と説得力を持って叙述するような、現実から学び取られた体系には、真理証明が十分存在しているからである。シュライアマハーは周知のように、すべての学問を、したがってまた倫理学も、「仮定された最高知から(§21)演繹する。もちろんその知は合理的に完結したものとして実証され得ないのだけれども。「したがって、倫理学はいわゆる道徳的原理で始まるのでもない。倫理学が、そのような形式で立てられるとしても、しかし、すべては、批判的扱いにおいて一面的で不確かなものであることが明らかになる」。

シュライアマハーは、倫理的体系の構造化への対抗に先立って、自然と理性の原理的な統一を前提としている。しかし、彼はこの原理を、その体系とその適格さ自体を通して以外に証明可能だとは考えない。倫理学の個々の領域と諸概念の導出の為に、再び前提とされている統一から、相対するものが受け入れられねばならない。すなわち、「私たちは、最高の対立を立てようとすることによって」、もし人が常にただ学問領域や倫理学における諸原理で働くことに慣れているならばそれを人は恣意的であると批判するだろうが、「私たちは、全体としては不完全な、最高知の叙述のあの多様性の領域に必然的に入って行く。恣意が始まり、私たちの方法に伴う確信は、ただ次のような成果によってのみ確かになることができる。すなわち、知についての関連する見解が明確に規定されて表明されるという成果である」。〈315〉そして、原理的に完全性や、普遍妥当性は、体系自体によっては決して基礎付けられないにもかかわらず、このことは即座に明らかになる。「§22.最高の学問が完成される以前には、そこ(最高の学問)から従属的学問を演繹する為に伝達されるものに、普遍妥当性を帰すことはできない。また、すでに既知の叙述の上に立てられる場合でも、そうすることはできない。なぜなら、これもまた多くの叙述の内の一つに過ぎず、普遍妥当的ではないからである。もしここでのように、ただ個々の特徴が取り出されるだけならば、確かにそうではないだろう」。道徳的行為にとって不可欠の「確信は、ここではただ、各人が自分自身の意識において見出すものと、このような特徴が出くわすことから成立可能であるに過ぎない」。

したがって、シュライアマハーにおいて問題となっているのは、人間のみならず、現実性全般の本質において相関関係にあり、ついには連帯的でさえある連関の洞察である。したがって、道徳的に対応しようとする人間の試みの端緒には、自然と理性が、最も深い所で生と存在、認識と行為のあらゆる現実生成と結びついているという学問的観察方法が含意されている。たとえ常に、個々人において広がる発展において、しばしば互いに排除しあうような対立を伴って突出する緊張関係と対抗とが、人間がすべてのものと同様にそこに属するところの世界状況と自然状況に対して、絶対的作用を獲得するように見えても、その深みと背後には、普遍的調和が存在する。それは愛を持って定める保持者創造者の意志による和解的な正しい管理と平衡化であり、信じつつ従う心情において救済的にも作用する。強情な差異の前に、またそのかなたに、人間的同一性を見出すことは、主要著作における彼本来の思考実践以前の多くの言説におけるシュライアマハーの関心事であり、そこに矛盾はない。『宗教論』には、この問題の宗教的な解決が、全くあからさまに現れているし、『モノローゲン』もそれを詳細に吟味している。二番目の大きな倫理的初期作品〔『従来の倫理学説批判綱要』のこと〕が見逃されるべきだろうか? この作品と『宗教論』とのある種の結びつきは、〈316〉『従来の倫理学説批判綱要』の明白かつ真意を汲み取る理解を代表している。この研究において、彼以前の主要な倫理学的企てについて、シュライアマハーの批判がいかに適格に述べられているかは、確かなことではあるが、それは今以上に一般に知らされねばならない。このために必要なのは、先ず、この書の成立事情を明らかにすることである。それは、彼自身の判断と共に、この書と『宗教論』の結びつきをも明らかにする。

 

2.      神学的萌芽と倫理的萌芽との、内容的に制約された結合

『ドイツ福音主義神学の歴史』において、ライプチヒの組織神学者ホルスト・ステファンは、シュライアマハーや他の人々における文化的生の独立した主要領域に対する宗教の連関について幾つかのことを示唆している。いずれにせよ彼の弟子、マインツのマルチン・シュミットは、1960年に新版の編集者として、特別なシュライアマハー精通者としてこれを説得的に力説したが、その上彼によれば、シュライアマハーの「思弁と経験の結合」のゆえに、彼の哲学的方法は、「イデアリスムス」といわれるが、「決して純粋に哲学的に」理解されてはならない。その結合は、カントの認識論との哲学的連関にもかかわらず、最終的には「宗教的に規定されて」いる。

このことは倫理的基準にも妥当する。確かにシュライアマハーは、彼の思考が「成熟するにつれ」「いよいよ意識的に…理論的認識と宗教的認識とのあらゆる混同」を拒否している。この点に1799年の『宗教論』における宗教と道徳の明確な分離の鍵がある。しかし、1803年の『綱要』は、まもなく詳細に検討するが、信仰による真に内的な拘束がなければ、非現実的になってしまう自由な行為を強調する。

もちろん、シュライアマハーにおける感情と悟性との「無意識的相互影響」(H.Stephan)や絶え間ない二極共振は、研究者が一致して認めている。他の全ての学問同様倫理学も彼にとっては、次のような学問である。すなわち、思弁的思考と経験的思考とがそこにおいて、〈317〉両者の差異が解消されること無く結合している学問である。それにもかかわらず、全ての思弁的意識において、他ならぬ倫理学においても、宗教的なものに波及するような前理解と前決定とが作用しているということが、効力をもつのである。どんな個々人の道徳的意識においても十分しばしば人が出くわす有限性と無限性の集まり全てにおいて、そのような事情なのである。ステファンの判断によれば、無限性に対する有限性の関係を、シュライアマハーは、「常に新たに自己を止揚することによって、対立の無い無限者の統一性に」達する対立するものの努力の根拠と見なしている。

シュライアマハーは、『宗教論』において、宗教の信仰者における無限者の賛歌を謳い上げる一方、『モノローゲン』において「人間における人間性の個人的姿へ自己形成すること」に重点を置こうとするが、それは、そこに至るまでに獲得された立場から、『綱要』において、従来の歴史上の様々な倫理学の姿との厳密な学問的対決を提供する為であった。1802年の夏から秋にかけてシュトルプにおいてなされたこの深刻な作業が、いかにひどく彼を圧迫したか、当時の書簡から読み取ることができる。

姉シャルロッテに宛てて彼は、317日ベルリンから、ポメルンのシュトルプへの招聘を受けたこと、61日にそこへ出立することを報告している。すなわち、「私の研究にとって、この出立は私にひどい損害を与えるでしょう。私はすでに今秋一冊の書物の出版を予定していますが、そのために私は多数の古い書物を必要とします。それらはここでは図書館で容易に入手できますが、シュトルプでは無理でしょう。たとえそれらを購入する資金が私にあったとしても、それらの書物はどこにでもあるというわけではないので、だめでしょう。そういうわけで、約束を破棄しなければならないとしたら、非常に不愉快なことです」(In Briefen, Bd.I, S.293,以下同書の頁数のみ記す)828日付で、彼はエレオノーレ・グルーノーに宛てて次のように記している。「私の著書を私は、長くかかればかかるほど一層信頼しています。そして、私もこの冬を非常に落ち着いて、勤勉に過ごすでしょう。この道徳批判は、書かれねばなりません」(325)。また93日には次のように記す。「…批判に対するあなたの好奇心は非常な助けになります…しかし、私の確信するところでは、あなたはこの道徳自体に対する好奇心を、しまっておかねばなりません。そして、あなたが求めているものについての批判においては、ただ個々の暗示のみを見出すでしょう。なぜなら、私は私の道徳的諸原則を先に送り出すことはせず、したがって、私は従来の道徳を、私がそれを非道徳的と見なしている側面から非難することはせず、ただ学問的な不完全性と不具合という側面から非難するに過ぎないからです。したがって、その際に〈318〉前者」―すなわち、『綱要』において個々の暗示が与えられるところの彼自身の立場―は、ただ非常に不完全に、「脇に微光がもれるように存在するに過ぎません。もう耐えがたいほどですが、今は日々一層仕事に打ち込んでいます。しかし、読書が、それを批判的観点からなさねばならない場合、いかに遅々としてはかどらないか、あなたには想像もできないでしょう」。その例として彼は書く。「例えば、プラトンの対話を私が望んでいるように理解すること―その際私は言語に関して全てをすでに前提としているわけですが―は、それを完全に翻訳するまでに、さらに多くの時間がかかります。その際プラトンは疑いもなく私が最も通じている著述家なのです。…今私は特にカントで苦しんでいます。彼は私にとって、長く関われば関わるほど、いよいよ困難になります。私が幸運にも彼を克服したなら、次はフィヒテとスピノザに向かいます。彼らによって一息つきたいです。後者に私は内的な生を見出します。そして前者には少なくともある種の外的な完全性を見出しますが、それは、読者から全く力を失わせるほどではないでしょう。今までストア派に苦しめられてきましたが、今は彼らがどんな哀れな悪人であるか、ついにわかりました。この書のいたるところに寛大さが―それは根本的な厳格さにとってすばらしい同伴者ですが―重きをなすように、私は多大な労力を払っています」(326以下)

ヘンリエッテ・ヘルツに対しては、さらに直裁に96日付に書簡で彼は次のように語っている。「今日私は、道徳批判において重要な進展を遂げました。私はこの書の全体計画を完全に作成し、各章についてのノートをつくり終えました。そこに私は、すでに集めた資料を次々に書き込んで行くつもりです。それによって、それら(資料)も、形成によって何かを確かに獲得するでしょう。そして、今や私は、さらに読書し収集することで、より厳密にその箇所を省みることができます。それによって、全ては非常に容易になるでしょう。しかしもちろん、私はさらにカントの徳論やフィヒテの倫理学、そしてプラトンを幾つか、スピノザの最後半分を読まねばなりません。さらにハルヴェティウスの二つの書も本当は読むべきなのですが、それらを入手できればの話です。…この批判は、全く良くできた書になるはずです。そして、そこから私自身の道徳を推測することは、フリードリヒ(シュレーゲル)のような批判の天才でもできないほど、技巧をこらしています。その結果、これは人々にとって完全に新しいものとなるでしょう。神よ、祝福して完成に導きたまえ」(328以下)

このようにシュライアマハーは、『綱要』においては、自らを隠した。彼は、自分が特別な関心を払った倫理学の領域で十分独創的な道徳法則を持ち、哲学的演繹と思考の展開を通して、非常にはっきりとした道徳理解を持っており、まもなくハレで学生達にそれを呈示することになるにもかかわらず、そうしたのである。そして、哲学的〈319〉倫理学とキリスト教倫理によって、したがってそこに詳論された道徳の助けによって、『綱要』には、彼の倫理的普遍体系の端緒と立場が、予言的に見出されるのである。彼は、『綱要』についての次の短い言葉によって、『綱要』によってすべてが緒についたことを意図している。

1802915日、彼はE.v.ヴィリッヒ宛てに書いている。「私の道徳批判は著しく進展しています。今年中に完成することを願っています」(336)。翌日彼はヘンリエッテに「批判の良好な見通し」を報告している。「私は今フィヒテに取り組んでいます。彼を一息に賛嘆したり、軽蔑したりすることが、ひどく退屈な方法でさえなければ、私は彼を十分に上手く意のままにするでしょう」(339)。これについて彼は、エレオノーレに対して917日と29(341)、そして1210(354)に書き、180315日には次のように書いている。「このような作業は自分をその都度全く衰弱させます」(356)。ゲオルク・ライマールには112日付けで、「哀れな道徳批判は、多くの困難を通して実現へと向かっています。[...](357)

しかし、まもなくシュライアマハーは、18033月はじめの書簡が示しているように、エレオノーレとの関係の変化に深刻に苦しむことになる。ライマールに当てた420日付の書簡は、殆ど絶望の淵に沈む彼の姿を示している。「教えて欲しい。この地上で私は何を望むべきか。私の友人達は私を必要としない。彼らは私を知っている。そして、彼らにかつて私の命を語ることができたもの全てを、彼らは確かに知っている。なぜなら、彼らは、私の存在について、忠実な生き生きとした像を持っているから。もし私がさらに生き続けるなら、新しい像は、彼らのために私の内側から展開することはないだろう。…というのは、私がなお語ることのできる全てについて、もし愛する批判が完成するならば、そして、おそらくはそれなしでも、私がすでに語ったことにその萌芽がある。そして常に古いメロディーが繰り返されるのである。なぜなら人々はまだ聞く耳を持たないから。なんと因果な仕事…」(363以下)。最後にヘンリエッテ・ヘルツに宛てて610日(366)と82日(374)に、以前にも増して『綱要』に確信をもって次のように記している。「全体を再読することにより、以前思っていた以上にそれが気に入っています。いつもは私の問題は後になってから直接私の気に入るのが常なのですが、それ以上に良いのです…」。820日には、エレオノーレに宛てた書簡で終わりが問題になっている。もちろん執筆作業の終わりという意味だが、若いシュライアマハーの仕事の終わりを読み取るべきである。すなわち、「明日道徳批判の最後の23ページを書く考えです。それでこの責務からも〈320〉解放されます。この書は私の墓碑です。しかし、誰もそれを知りません。古きよき時代の廃墟。それがどこに属したか、誰もわからないのです」(379)。それから、180312月には、ライマールに宛てた『綱要』についての最初の反響についての言及がある。すなわち、シュパルディング、ブリンクマンによる反響である。さらにA.W.シュレーゲルの友好的な反応を彼はすでに730日にヘンリエッテ・ヘルツに報告している。また、フィヒテとヤコービの反応が期待された(388以下)1804128E.v.ヴィリッヒに宛てて、ヴュルツブルグの教授になる見込み―それはやがてハレにとって代わられるが―が記された書簡において、「ケーニヒスベルクのシェッファーによって伝えられた第三者による非常に理解のある判断」について彼は報告している。「私が知っている二番目の人、彼はそれをかなり根本的に読んでくれました。二つの判断を私は喜ぶことが出来ました。シェッファーはカントの古くからの友人です。それにもかかわらず彼は考えているのです。誰もそんなに悪くない。しかし、私よりも上手くカントと付き合ってきました」(390)

神学教授職につく以前のシュライアマハーの生活状況と『綱要』との係わり合いはここまでにしよう。今や私たちは独自な「道徳」への示唆に目を向けよう。それは、もし私たちが、高度な承認と自己評価を、そこに潜んでいる特徴と共に真剣に受け取るならば、そこにおいて、単なる萌芽以上のものとして告知されているのである。

 

3.      フィヒテとカントに対するシュライアマハー倫理学の独自な立場

この探求がどこまで十分に解明されたか、シュライアマハーは、自分が没頭した倫理学の領域にどのような貢献をなしたか、それが後世にどの程度の影響を与えたかといった問題はおいておこう。いずれにせよ、こうした貢献や働きかけは、一般に考えられているよりも大きなものである。しかしながら、私たちは、『綱要』が、『宗教論』や最初の倫理学的著作である『モノローゲン』と異なり、ほとんどその真価を認められてこなかったということを確認しなければならない。これは彼自身には当てはまらない。彼は『綱要』を評価し、それによって、自分の倫理体系の為の軌道を敷いたのである。しかし、シュライアマハーの読者、そしてその研究には当てはまることなのである。例えば、W.Seifertが、1960年の『初期シュライアマハーの神学』において、R.Otto, E.Hirsch, H.Sueskind, G.Wehrungらとのかかわりで、示しているように、『宗教論』の中に多くの哲学的なものが潜んでいるにもかかわらず、彼によってもそうだし、一般に常に『宗教論』のみが扱われるのである。〈321〉初期シュライアマハーの神学にとって、彼の哲学的思考におけるカント的な背景は、初期の第三の主要著作(『綱要』)を『宗教論』同様に、全著作解釈のために議論に付し、注釈のために引き合いに出す十分な動機である。

 シュライアマハーは、フィヒテから十分な刺激を受けたが、絶対的自我のイデーを原理として認めることは決してなかった。『綱要』は他の方法的な取組みも示している。(シュライアマハーによれば)フィヒテは、自分の倫理学を知識学に結びつける作業をはっきりとなすことなく、知識学を改造したのであり、そうした結合はそもそもなしていない。シュライアマハーは、最高知の教説を前提とするが、重要なことは、そこから倫理学を演繹することではなく、経験的なものが同時に思弁的に、思弁的なものが同時に経験的に知られる(erfahren)という関係を明らかにすることである。なぜなら、知の最高の統一である「世界智」(Weltweisheit)は、全てを包括すると共に、各個物をも可能とするからであり、それは「その対自存在(Fuer-sich-Sein)において相互に制約されることによって」認識されるからである。フィヒテの場合とは異なり、見ること、観察すること、思考すること、経験と思弁とは、協力し合うのであり、その体系に属するものは、全てをすでに「前もって知ること」(390)である。

 自分自身の道徳についても、シュライアマハーはカントから多くを学んでいる。しかし、彼自身の体系は非常に異なっている。間とはルターの宗教改革の背景に立って、アリストテレスの徳論を根本的に批判し、絶対的道徳を要求した。この絶対的道徳によって、彼には、この世的状況の中に、何かこの世からのものでないものが入ってくることになるが、特にそれは、彼が神と自由と不死を要請することによって顕著である。道徳律は、道徳のイデーとして「定言的命令」(ein kategorischer Imperativ)であり、これらの要請に手を差し伸べるのである。人間は行為に於いて自由に思考されるゆえに、人間の道徳性は自立的(autonom)であり、自己立法的(selbstgesetzlich)であるが、しかし、道徳的行為の自由と道徳的行為者の不死とは、神において言うなれば全てに対する保証人を持つ。そうして人間は善に対して受容的となり、それは徳を経由して永遠の聖性へと向かうべきなのである。それが不死の根拠である。私たちは、私たちの道徳的課題を決して完成できないのだから! カントにおける道徳的形成は、アリストテレスとは異なり、習慣の改善で始まるのではなく、思考様式の根本的転換によって始まる。その背後に、カントの自由についての思想の全てが潜んでいるのである。

 〈322〉『綱要』におけるシュライアマハーのカント批判は、この思弁優位の思考に向けられる。(彼によれば)最高知のイデーが神であるというのは、理論哲学においては誤謬であり、実践哲学においては余計である。「自然とは区別して見られるべき自由のための理性の立法に過ぎない」倫理学は、「不器用な方法をいっそう容易に覆い隠す為に、学問自体に仮面をかぶせることを意味する」。倫理学を、基礎付ける普遍的学問として用いることは、不可能である。なぜなら、そうすれば人は、他の残りの諸学問の立場を、倫理学によって基礎付けることが出来ないからである。「行為に対する理性の命令の内容だけを定める」倫理学を、「神聖にすること(Sanction)に付加された脅しや約束と」結びつけることは許されない(24)。自由、不死、神といったイデーによって、理論的体系と実践的体系との間の橋渡しを求めることも「同様に空虚な仮象」に過ぎず、「誤解としての恣意性に多分に」基づいている(23)。そのような想像力の産物としてのイデーの仮面が剥がされる時、人は正しい道に至る。それに対してはカント自身が次のような告白をしている。「幸福は想像力の理想に過ぎない。…その理想にしたがって、不死と神のイデーは実践的なものにおいて、その幸福の為に、言うなれば強制され、そこでは、それらのイデーは、理論的なものにおいても、理性に適った仕方で理解されることは無い」。シュライアマハーは、カントをカントによって叩くかのように、「したがって、残るのは、それらイデーがいたるところで、想像力の行為に、自らの存在を負っているということである」という(26)

 シュライアマハーにとって、記述的倫理学の古典的な型が示していることは、「カントもまた倫理学を見出したに過ぎず、倫理学を実現したり、人間的知の中心点からそれを記述する考えは持っていなかった」(26)ということである。このような批判は、後に彼が詳述するように、シュライアマハーの体系の特徴を示している。カントが持っていないものを、彼は実現する。すなわち、倫理的知はすでにいたるところで見出される。『宗教論』で言われている宗教がいたるところで見出されるのと類比的に! この特別な知に対して、すべての知を自らにおいて一つに統合する一つの知が存在する。学問としての倫理学は、一つの特殊な学問であるので、それは学問の概念から獲得されねばならない。それは学問が、人間的知の概念一般から獲得されるのと同じである。そこ(人間的知の概念)から諸概念が演繹される。絶えず拡張される現在の知のそのような演繹や要素は、しかし、観察や見ること、記述によって獲得される。カントは、倫理学を「人間性の概念の上に」基礎付けることは避けるは、シュライアマハーはそれを企てる。カントは、「倫理法則についての彼の表現の根底にあるもの、すなわち、理性的存在の多数や〈323〉共同性を、どこかから演繹する」というような努力をすることは全くない。シュライアマハーにとって、これは正に、道徳性にとっても、倫理学の起源にとっても前提である。その際再び彼は、カントによってカントに反対する。すなわち、次のように付け加えることによって。「彼にとってこの前提は必然的であったので、それなしには、彼の法則は非悟性的な神託になってしまうだろう」(26)

 シュライアマハーは、彼の体系全般において、したがって、最高知において、それは全て他の知と相互関係に、すなわち、宗教の知や経験、道徳性の知や経験、その他全ての特殊な知と相互関係にあるのだが、彼は、有限者と無限者の対立で始める。それは宗教にとって最もはっきりしているように見える。それは宗教の故郷である! それは倫理性と道徳についても同じではないのか? それが人間に、人間における人間性に、理性的存在の共同に関心を持ち、それらが知覚されるべきであるならば。もし、無限者が、全ての存在の最も深い意味と解されるならば、その場合シュライアマハーの道徳は、不可避的に、対立のこの連関を、彼の宗教哲学的端緒から獲得するだろう。ここにおいて幾つかのことが解明されるべきである。例えば、H.StephanM.Schmidtが考えているように、形而上学的な根を持つ対立は、「美的に心をひきつける対極性や多様性の変種」ではないかというような。次のことも再検討されるべきである。すなわち、シュライアマハーは、本当に「歴史の闘争や精神的諸機能の関係を、あまりに性急に無害な調和へ」包み込んだのかどうか、あるいは、彼は、「有機的動因を一面的なものにしつつ、歴史的生成を、人間に内在する能力の自然に類似した展開に」鈍磨させたのかどうかということである。それは本当に厳しい彼の体系に対する批判を意味するのであるが。

 カントとシュライアマハーを道徳の問題において結びつけるのは、倫理的責任から出発するということである。このことは、厳しい基準のもとで完成を目指す努力を規定し、自由の高い目標を目指し、それと結びつくことを規定している。両者はまた改革者としてのルターの再来を思わせる。両者を分けるものは、「信仰思想」―Rudolf Hermannと共に、この言葉をシュライアマハーの意味で神学に対して受け入れるならば―である。この線は、この枠では辿ることは出来ない。シュライアマハーの全く異なった端緒に対しては、何か分離するものがなされねばならない。

 

4.      信仰と道徳における自立性と相互開放性

倫理的責任―それがシュライアマハーを倫理学の偉大な教師達、特にプラトンやカントと結びつけるのだが―の前に、彼においては〈324〉何か独自なものとして、異なるもの、すなわち宗教的自己意識がある。彼はそれを「神意識」とも呼ぶが、それを私たちは信じる態度とか信仰と名づける。理性的人間の神意識が、彼にとって第1のものである。それによって私たちはより深い責任性を持つのである。シュライアマハーの倫理学と道徳は、多くの点で、カントのそれよりも現実的である。これは『綱要』においてはっきり現れており、また当然のことながら、哲学的倫理学やキリスト教倫理においても現れている。ただ残念なのは、それらが彼の死後の出版であることである。しかし、彼自身によって刊行された多くの説教があり、そこにおいて人は、宗教的衝動から生まれた倫理的勧告にしばしば出会う。それらは神における全ての存在の根源に関係し、それを指し示している。例えば第1コリント1231節から131節についての説教では、定式化された説教のテーマは、「道徳的な心の態度を伴わない霊の優位は無価値」であるが、そこには啓蒙主義的な道徳教説の響きがある。最終根拠においては、彼の倫理学は、プラトンとの哲学的関連や、カントの認識論との方法的な参照にもかかわらず、宗教性をとどめている。全ての存在の最深の感覚としての無限者は、経験と思弁の結合における道徳性の問いにおいてと同様、宗教の問いにおいて、彼の信仰思想を満たしている。

シュライアマハーによれば、宗教的人間において、宇宙の何らかの諸力が流れ出るならば、道徳性もまた、それが個人においてであれ、家族や民族においてであれ、無限者を展望し、宇宙を感じることによって活性化される。道徳と宇宙の領域は、混同されるべきではない。それぞれの固有なものは放棄されてはならない。宗教への動因が、道徳的な倫理法則にあってはならないし、また反対に、宗教が道徳の世話をするわけでもない。シュライアマハーにとって、宗教は体験、直覚(Intuition)、直観(Anschauung)と感情の問題である。カントにとって宗教は、神的命令としてのあらゆる義務の総体である。彼の哲学は、直接キリスト教に通じている。カントの定言命令は、黄金律のごとく、共同体の最高規範としての愛の命令を定立する。道徳におけるカントのこの厳格主義は、彼のキリスト教的伝統からのみ理解することができる。

カントの厳格主義―その弱点は、絶望感の脅かしや少なくとも自己への幻滅にあるが―をシュライアマハーは回避する。カント主義者は、シュライアマハーについて、行為における必然性の欠如や善悪に対する正しい理解の欠如をすぐに指摘するが、シュライアマハーに、道徳的判断における決然とした態度や明確さが欠如していたわけではない。カントと異なりシュライアマハーにおいて、宗教を直接リードするのは、宗教哲学のみであり、そして、このことはまた、ただ〈325〉経験と思弁の結合における記述と理解という方法によってなされる。それらの個々の実現は、キリスト教的宗教や伝統的キリスト教についてカントがするようには、自明ではない。これはおそらく最高の宗教ではあるが、しかし、いずれにせよ排他的な真の宗教ではない。

このような取り組み方が条件としていることは、宗教は何らかの形而上学的思弁や教義学的概念には存在せず、国家や道徳の僕でもなく、国民をなだめたり、自由を乱用したりする手段に甘んじることもないということである。彼は宗教を独立したものとして記述する。シュライアマハーが、神経験や神の直観を拡大された神概念によって捉えているように、宗教は、無限者の直接的経験の問題である。しかし、宇宙の直観―それによって彼は、宗教における無限者と有限者の独自な関係のあり方を記述するのだが―からは、無限者に憧れる生活全体に対する間接的影響が生じる。形而上学と道徳も、人間と宇宙の関係に係わり合いを持たねばならない。人間は、道徳に従って行動するが、その向かう方向は宇宙である。しかし、宇宙に対する人間の関係は、哲学的形而上学や道徳によっては汲み尽くされない。むしろ宗教的感情が、宇宙に対する自発性を正に表現する。しかし、人間と宇宙の関係が完全に把握されるのは、人間の宇宙によって制約された全存在が、宇宙に対するこの自然発生的な関係にもかかわらず、直観と感情において理解される場合である。このようにして、宗教は、個性を可能にし獲得する。この個性が、宗教においては直接的経験の事柄であり、道徳においては、その経験に対応する行為の源泉なのである。

シュライアマハーは、彼の『綱要』を、彼が『宗教論』において遂行する宗教理解批判と次のように関係させる。すなわち、彼はこの新しい書の目的、すなわち、新たなより良い洞察を遂行する為に、『宗教論』においてと同様『綱要』においても、従来の構想に決別するという目的の承認を望んでいるということである。彼は自分の読者に彼の「他の領域における試み」すなわち、宗教の領域における試み、そして、他の形式、すなわち、『宗教論』の姿における試みを思い出させる。これは「不幸にも多くの人によって」キリスト教の拒否、また道徳の軽視と誤解された。彼が今著者として望むのは、「次のような誤解を避けることである。すなわち、この従来の倫理学説の批判によって、従来の倫理学の努力を無と解し、特別な哲学的学としての倫理学を否定する人々の仲間であることが意図されているというような誤解である。むしろ彼は、まだ実現していないものの可能性に対する彼の信仰をおそらく考えている。その具体的な姿を見出し、生において実現し、〈326〉「十分に明らかにすると言いたいのである。然り、正にこの著作において、彼自身の諸原則ははっきりと主題にされてはいないが、決して目をそらすことのない副題、彼が語らねばならなかったことが、次のように叙述され、結び付けられている。すなわち、読者に対し十分頻繁に、あらゆる面から目の前で諸点―著者の確信によればその諸点から、倫理学の根本的改善全てが生じなければならないのであるが―が遂行されるということである。その結果、著者は、哲学的世界に精通し、『宗教論』において所々で、『モノローゲン』においては一層多く示唆したものを比較したい人々の為に、著者のイデーをここでもまた十分明白に書き下ろすことを願っている。それゆえ、もし倫理学を彼自身の方法で満足ゆくように叙述する時間を運命が彼に拒むとしても、彼は心を安んじておれるだろう」。

したがって、シュライアマハーは、以上の前文によれば、『綱要』に彼自身の倫理学を背景に潜ませようとしたのであり、従来の倫理学体系の批判によって、倫理学に対する彼の積極的立場が誤解されないように願ったのである。したがって、そこに彼自身の倫理学への端緒を正しく捉えることは、どうしても必要なことである。それは、想起のためにも、研究のさらなる刺激のためにも企てられるべきことである。

 

5.      『綱要』における批判による、倫理学に対するシュライアマハーの新たな貢献

シュライアマハーの倫理学の多様な企て全体をフラッシュバック的に記述することなしに、『綱要』に適切な評価を下すことは決してできない。しかしながら、この学問領域に対する彼の思想や表象は、他の領域に対する境界を明確にすることで、最も手短に明らかにできる。その場合、内容と形式によって完全な倫理学の概要は、諸原則を立てたり配列したりすることや、倫理的諸概念の区分、そして倫理学の体系的遂行におけるそれらの正しい結合などが支援するしばしば積極的な命題においても現れる。『綱要』は、後に詳論され、講義において繰り返されるたびに発展していく彼の倫理学全体の、前もって与えられた概要のようなものである。

 これは確かに『綱要』のねらいである。というのはシュライアマハーは、どの哲学者や神学者においても、その有効範囲を現実性によって確認しているからである。人間的社会的態度が、各倫理家において観察され記述的に把握されるべき対象である。すなわち、彼らは人がどのように振舞うかを彼に教え、また振舞うべきか熟考するように導くのである。ソクラテスとプラトンが、シュライアマハーにとっても〈327〉方法論にとって重要な教師である。しかし、今問題なのは、学問としての道徳である。方法的にそれは特殊な知として、内容的には特定の事実として境界付けされるべきである。したがって、決定的重要性が与えられるべきなのは、体系における倫理学の個々の論述の体系性とその測定である。特殊な知として倫理学は、他の知から区別され、より高次の知から演繹されるべきである。シュライアマハーは、倫理学の学問的形式を樹立することを求め、これを従来樹立されてきたもの全てを批判することによって獲得しようとするのである。その姿はその内容に対応するはずである(10)。これが、それによって彼自身が、倫理学の為に、「独自な真の学問であるという要求」を実証しようと望んだ基準である。したがって、存在すべきなのは、学派や、名称や体系による倫理学ではなく、学問として議論されるべき倫理学のみである。そして、その際に演繹と境界付けが、原理や概念、倫理学体系の完全性として、より大きな役割を演じる。彼が理解し基礎付けているように、学問は、彼にとって、倫理学の形態と内容の源泉であり、それを彼は批判と独自な仕上げという方法で、すべての理性的な人に対して、意識化し、分かり易くしようとするのである

 それゆえ、「偶然的な人間の行為」が、彼の探求の対象ではない。 なぜなら、「それがこの学問の内容である限り」(13以下)、すでに以前に一度体系に取り入れられたからである。そうではなく、人間性のために、身体的な構造にしたがって、「すべてがそこで必然的に生じる」。そして、芸術の領域において、「人間の芸術的行動についても、また、その成功についても、理想に従った判断の体系が」(同上)存在するので、彼と彼の「学問的倫理学の試み」(10)にとって、決定的なのは、「指導的イデーあるいは最高の原則であり、それは次のような行為の特質を表現する。すなわち、それによってすべての個々の行為が、善いものとして定立されるような特質であり、またその特質は、至るところで見出されねばならないが、それは、全体系が、そのような行為すべての表示に過ぎないことによってである[...]」(17)。「すべてを包括する人間認識の体系における必然的要素としての」倫理学、したがって、その結びつきと演繹が、その学問性を保障する。最高諸原則の批判(19119)、倫理的諸概念の批判(121246)、そして倫理体系の批判(247346)、この3部が、倫理的な普遍体系を要約し解明する。シュライアマハー以前には、〈人間の行為〉や〈普遍と個に於ける道徳的なもの〉は、これほど明快かつ完全に記述されたり挑戦されたりしたことはなかった。彼の基準は神ではないし、また〈328〉「神の至福の倫理学」でも「命令的な啓示内容の叙述」でもない。同様に、「平凡な悟性の半端で誤った諸概念を伴う」普遍的道徳の実践的諸原則が決定的であることもできない。しかしながら、このすべては、学問的な倫理学と「避けがたい交互作用」にあり、「その限り、個々の事例においても倫理学が顧みられねばならない」(12)。その基準は、人間における生成する人間性であり、さしあたってそれは有限な人間のものであるが、その方向性は無限者に向かっている。なぜなら、現実の人間は、直接的自己意識において、自分の経験の目標として神を持つからである。

 シュライアマハーは倫理学に学問的性格を与えるのであるが、第二に、彼は、倫理学の普遍的拡充を仕上げる。第三に、学問的倫理学の基礎に属するのは、まだ学問以前の性質を持つ人間的直観と経験である。第四に、倫理学の普遍妥当性は、体系によってのみ基礎付けられるべきではない。なぜなら、直観と道徳的判断―それによって「事実について何かが表現される…」−のみが、「それが行為者にも転用される程度に応じて」(14)、道徳的認識を増大させるが、その背景を問うことによっても確かにそうである。第五に、倫理学という特殊な学問と、高次の理解を目指す自由の問いとは、交互作用において一緒に現れる。行為の自由と制約という概念は、明らかに人間の宗教的関係を含んでいる。その際、直接的自己意識はシュライアマハーの信仰論によれば、罪と恩寵と人間の対立の下に、宗教改革的に見るならば、他ならぬ義認信仰によって、道徳的課題を克服できる。

 この福音主義的な根本認識は、少なくとも倫理学においても暗示されている。同様に、私たちの道徳的判断は、それが、他ならぬこの最高のイデーを展開しないまま保持している限り、私たちがこの最高のイデーを発展させる以前に、私たちの道徳的判断は現実に倫理的である。そしてただ、それらが少なくともそのように存在しているということによってのみ、道徳的である。シュライアマハーは義務概念を、自己に対して、他者に対して、神に対してという三つの関係で説明する(143)が、それらの共通点を見出す。すなわち、人が神の意志によって義務を課せられることを知らないならば、ただ記述された法的義務だけが残るということである。もし神が〈329〉拒否されるならば、他者に対する義務のそれのみが残るが、それは、この義務が自己に対する義務と同一だからである(144)。確実なのは、身体と精神、そして全体に対する義務区分だけである(148)徳概念は密接に結びついている。行為と心の態度は不可分と見られるべきである。意志の方向性は常に、心の態度によって存在する。それは唯一倫理的な実在であり、有徳的でなければならない(152154)。そして、ここに、善論の萌芽がおかれるが、それは徳がとして現れることによってである(167以下)。善は道徳的心の態度の叙述である(177)。「展開されてはいないとしても」善概念は「プラトンの倫理学において、最も完全に存在している。というのは、プラトンは、人間が神に似ていることを、最高善と考えているので、すべての存在者は写しであり、神的本質の表現であるため、人間も先ず内的に自己自身であり、それから外的にもそうである。世界から彼の力に任せられるものは、イデーにふさわしく形作られるべきであり、そうしていたるところで道徳的なものを表現すべきである。したがって、ここには概念の持つ区別する特徴がはっきり現れており、その関係は、行為からも心の態度からも引き離されている」(178)

 「個々の実在的な倫理的諸概念」(179234)の展開において、外的共同的な善である「富」「市民的力」そして「友情」が、そしてそれと多少連関のあるものとして「歓待」と「饗宴」が表象される。さらに「芸術作品」が善として吟味される。身体の善、そこから生じる義務と徳(節度、貞節、羞恥)を彼は他の倫理家との対話によって明らかにする。徳としての真実、公正、忠実が、良心の義務としての自己評価や自己認識が、積極的な形式を受け取り、他のものは、従来の倫理学との対決によって退けられる。第三部の序「体系のイデーを倫理学に適用すること」が、体系の内容の完全性にねらいをつける。人間の行為の完全な像をもたらすための普遍的性格が強調される(259)。普遍的(同一的)なものと、個人的(人格的)なものによる道徳的なものの展開が、考慮される。義務、徳、善という三つの主要概念―そのもとで、様々な行為様式において以上に、およそ道徳的なものが現れるのだが―この三つの概念の発展は、〈330〉体系の本質によって成功しなければならない。

 シュライアマハーの『綱要』における彼の批判と立場によってなされた彼の新しい貢献についての、本質に限定されたこの素描の最後に、補遺として、彼が学問体系において倫理学をどのように目論んだかという倫理学の立場が示されるべきである。そして、『綱要』における彼の取組みの確証をもたらす、後期倫理学におけるその基礎構造が、『神学通論』(1811,1830)にしたがって、示されるべきである。KDと略記されて引用されるこの文書は、短い定義を与え、横の連絡を示す。私たちは倫理学の学問的立場と出会う。

 シュライアマハーは、この神学諸学科の連関への導入を1804/1805年、ハレで最初の学期に「百科全書と方法論」と題して予告し、講義している。したがって、次の大きな体系的著作として構想されたのである。彼はそれを全部で12回講義した。私たちは、1830年の第2版における成熟した理解に依拠することにする。ハイデルベルクの教義学者で後の友人F.H.Chr.Schwarzは、第1版の書評において次のように批判している。「神学を倫理学に基礎付け、それによって、絶対的学問と有機的に結合するという思想の正当さと実行可能性に対する疑い」。シュライアマハーはこのことに固執し、私の考えではこれは正しい。なぜなら、神学は信仰を思考する学問であることを欲しており、彼にとって「学問とは、方法的に訓練された真理感覚以外のものではない」からである。そして、もしこのために包摂的思考が―そこにおいて神学は、単に敬虔と信仰的思惟の学問的な装いとしてのみならず、キリスト教の信仰命題と構造の擁護と内的批判と見なされ、位置付けられるのだが―存在すべきならば、その場合、倫理学あるいは学問的道徳教説は、すべての真理感覚の根源的根拠、保証である。KD§33によれば、シュライアマハーはこの神学の根拠を、純粋に論理的形式的に考えている。すなわち、キリスト教についての哲学的神学の要請も、宗教の一般的概念への上昇と考えられるのと同様に、キリスト教について、価値判断によって規定される内容的な根拠あるいは昇格とはまったく考えられていない。

 彼にとって重要なのは、学問としての神学を証明することであり、またその方法(das Wie)について、成長する歴史的キリスト教の全体の中に、さらにはすべて存在しているものの中に、秩序原理をもたらすことであった。それによって、学問的研究や討議が〈331〉可能となるのである。すなわち、「§35.歴史原理の学問としての倫理学は」―それによって概念的な定義が企てられているのだが―「歴史的全体の生成のあり方も」―それによって具体的事例において、この不確かな定式化にもかかわらず、KD§33との結びつきによって、キリスト教が意図されている。―「ただ普遍的な仕方でのみ叙述できる」―(これは正に論理的形式的やり方を規定している)「したがって、同様に、ただ批判的にのみ、そこに立てられた普遍的な差異を、歴史的所与と比較することによって、キリスト教の展開において何がそのイデーの純粋な表現であるか、突き止めることができる。そして、これに対して、何がそこからの逸脱であり、病的状態と見なされねばならないか(突き止めることができる)」。(KD2では)§35に移されている内容が、KD1では、すでに§§69にあることに注意せよ! そして、特に、批判的概念が、「ただ批判的にのみ」という言葉で強調しているのは―傍点で強調された部分は、1830年になって初めて現れた個所―ヘーゲルに対抗するランケの歴史学原理であり、ここでシュライアマハーよれば、概念のはしごに対抗して保持される経験的なものがなければ、歴史的概念は成立しないということなのである。

 §§223231は、教義学と倫理学の関係をより詳しく確定する。§223では、教義学の残りの区分についてだが[]本質的なものではない。両者の結合は、福音主義教会においては根源的である。[]しかし、§226では、両者の分離の根拠がもたらされる。正当にも教義学と倫理学とはそれぞれそれ自体で扱われる。教義学のためには、聖書正典や教会の信条からの「証明」が重要であり、倫理的命題においてとは違った仕方で形成される。その理由は、「一方の術語と他方の術語が、異なった学問領域に由来する」ということである。それに対するシュライアマハーの説明は、「私たちは、この最後の連関において、神学的学問一般を、倫理学と倫理学に依拠する諸学科に戻したが、しかし、私たちは教義学を特別に観る。そこで、信仰論本来の術語が、大部分哲学的学問から取られているが、その学問は、合理神学の名称の下にその場所を形而上学の中に持っていた。これに対して、キリスト教倫理学は、圧倒的に、ただ哲学的倫理学の義務論からつくり出すことが可能である」。1811年のKD1では、概念的にまだそれほど明確ではない。しかし、倫理的な普遍体系を全体にわたって展開する『綱要』の取り組み、特に、学問的道徳教説あるいは道徳や倫理学への取り組みはいたるところで確証される。〈332〉『綱要』のより全体的な理解、後期の著作や講義資料との比較研究、そこから生じる相互的解釈がなされるべきである。