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混沌と存在

 したがって私たちは、生における二つの活動を、二つの別々の活動と見なす理由を持たない。私は、それらを、思考の二つの極と呼んだ。しかしながら、考察においては、私たちはそれらを区別しなければならない。なぜなら、一方が減少できるのは、他方が増大することによってだからである。このことは私たちに、両者を相対的に分離する権利を与える。〔145〕知的側面の最小値が始まるのは、対象の最初の固定化のときである。最大値は普遍的なもの、最高の抽象にある。この二つの点の間に、理性的活動の全てが見出されねばならない。ここで有機的活動に残されているのは、印象の多様性の受容だけであるように思われる。ここの対象の固定化は、すでに知的機能に属している。しかしながら、これ〔対象の固定化〕は、また印象を修正し、有機的活動を拡大する。したがって、二つの機能の共存の中に現実の思考が存在するのであれば、次のような問いが生じる。人はこの関係においても、本来の知を、知でない思考から区別できるのか? その前に他の課題を解決しなければならない。すなわち、すべての知の根底にあるものについても、同じことが、すなわち、そこにおいて思考の二つの側面が一つにならねばならないということが妥当するのか、それとも、両方の分離した存在というものが可能なのか、という課題である。