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最終更新日2001218

シュライアマハー「シェリングの『学問論』についての書評」1804

Schleiermachers Rezension : F.W.J.Schelling. Vorlesungen ueber die Methode des akademischen Studiums. 1803[21.April 1804], in: Aus Schleiermachers Leben. In Briefen. Vierter Band. Hrsg. von W. Dilthey, 1863, S.579-593.

Zusammenfassung auf Japanisch von Kenji Kawashima.

579

a.最近の哲学によく見られることだが、特定の領域の叙述が目指されているところで、体系全体の最初の根本特徴も、様々な形で繰り返される。例えば、フィヒテは、自然法や倫理学の序論において、それらの著作自体の叙述が目指している諸学問に対する以上に、こうした目的〔全体系の根本特徴の叙述〕のために多くの努力を費やしている。同様に〔シェリングの〕この著作においても、それが全く一般的な目的を掲げているにもかかわらず、著者の哲学の最初の根本特徴が再び新たに、独自に叙述されているのを見出すことが、最大限期待される。また、他でよりもこの書に於いて、彼の哲学をよりはっきりと眺め、そのジャンルについてより正しい表象を受け取る人もいることだろう。とはいえ本書の単に偶然的に過ぎない側面は、ここでは批評の対象になすことはできない。なぜなら、ついでに語るということを許さない、その体系自体がもはや疎遠ではないところの本質的なものが、全くの注目を求めるからである。〈580〉したがって、たとえかりそめではあっても、第1講義における根本知についての解説や、哲学の実在的なものと観念的なものとの同一性が根底に置かれるあり方についての解説が、今日までシェリングの体系を幾つかの点で誤解してきた人々には、考慮の対象としてお薦めである。さらに、第6講義において哲学自体について特別に語られていること、とりわけ哲学における技術と詩文(Poesie)への示唆は重要である。この両者を認めることは、真に哲学することの試金石であると言ってもよいだろう。なぜなら、自分の哲学的な努力に対して技術を軽んじるような人はいつまでも未熟者であるということ、これは全く明らかだからである。同様に、思弁における詩的要素を認めない人は、どんな弁証法においても常に空回りをするということも確かである。このことを正しく明らかにすることは常に必要であり、とりわけ今のように、何か神秘的な引きこもりによる体系の刷新が問題であるようなところではそうである。その主要な過ちは正に次のことにあるからである。すなわち、詩的要素が、体系にとって疎遠でないにもかかわらず、体系が詩的要素について正しい意識へ至らなかったということである。少なからず卓越しているのは、哲学における諸形式の大多数について論じる第5講義である。すなわち、哲学が私たちのもとでの刷新以来到達した確かさが、このように自由に表現されたのは初めてで、注目に値する。

 

b.本書の本質的なものについて言えば、細かいことは無視するとしても、それは二つの最終目的、すなわち、表題に掲げられている目的と、はるかに高次の重要な目的との結びつきの中にあり、それはあらゆる認識の体系とそれらの連関を、少なくともその輪郭において明らかにすることである。しかしながら、前者についてのみ何らかの仕方で語ろうとする人に、彼が後者についても関わるように要求することはできない。なぜなら、学問的研究は、諸学問のそのような全体を包括することもないし、そのようにして学問研究が実際に捉えたものが、純粋な学問的観点によって分離されたり整えられたりすることもないからである。そのようなイデーなしに遂行された従来の百科全書もいかに個々の事柄についての経験的な詳述に常にとどまってきたことだろう。この対象を学問的に扱う者は、少なくとも比較を避けることはできない。そして誰もが次の点でシェリング氏と一致するならば、すなわち、実在的な諸学問のための表面的な組織は、その内的で自然的有機的な連関の忠実な模写であるはずという点で一致するならば、たとえ今日に至るまで、様々な要素の曖昧な混同が、真の表面的な姿の自由な発展を阻害しているとしても、次のことをも確かに喜ぶだろう。すなわち、それら諸要素が今ある姿の中に、それらが本来あるべき姿の不完全な痕跡を探し出すという原則が、著者を、本書の諸講義において〈581〉認識の体系自体に戻るように決定した〔ということを喜ぶだろう〕。なぜなら、そのような体系を樹立することは、すべての哲学に対する軽視できない要求だからであり、そして、その際に哲学が自ら満足し、自分自身の諸原則に従って、それら諸原則や自分自身と一致する何かを実現するそのあり方は、その哲学の内的真理性と確実性の言うなれば外的な証明だからである。そして、すでにシェリング氏がこれを明確に義務となし、その課題を必然的と認識していたということは、カントやフィヒテがそれぞれ同じような試みをなしたやり方と真に著しい対照をなしている。その仕方方法に関しては、この結びつきにおいては、認識の体系が最高原理から厳密な方法で導き出されることができなかったように見えると弁解しているが、しかし、これは、全体の輪郭の正しさと完全性を損ないはしない。したがって、たとえ著者が、この点については約束以上のことを何もしていなかったとしても、事情に通じた人は、秘教的部分(esoterische Theile)に対して諸原理を補うことであろう。

 

c.さて認識体系の構造についての主要な個所(153頁以下)において、彼は本質的には次のように説明する。「哲学は根本知の観念的な叙述に過ぎない。実在的な叙述は、他の一切の知の取りまとめであり、そこでは区分と分離が支配している。そのような他の知は、ただ人類(Gattung)においてのみ、そこでの無限の前進においてのみ、実際に一つとなることができる。すべてイデーが継起的に現実になるのが歴史である。したがって、実在的な学問は本来根本知の啓示の歴史的側面でなければならず、哲学において見出されるのと同じ範型によって組織されねばならない」。この構築方法の規定は、全く最初の諸原理から出ているので、第1講義を理解すれば、全連関を容易に呈示可能である。さらに次のように言われる。「どの歴史も、イデーの表現として、外的体制の実現を目指す。したがって知をも持ち、それはその歴史的側面から見れば、自らに客観的現われあるいは外面的存在を与える必然的努力である。この体制あるいは観念的産物のうち最も普遍的なもの、それによって、客観的に生じた知としての行為が外的に表現されるところのものは、国家である。したがって国家は、必然的に自分自身の外面的な体制を、知自体のために自らの中に持つ。そして、このようにして諸学問が国家によって、あるいは国家との関連で、客観性を保持する限り、そのような諸々の学問は事実的学問(positive Wissenschaften)といわれる。そしてそれら諸学問の結びつき―というのは、それら諸学はこの客観的な実存によって一つの力となるからだが―が諸々の学部である。これが、学問的諸形式も対応すべき諸学問の外面的な組織のための構築原理である。しかし、ここで評者の意見を述べれば、ここには展開の合法性や、シェリングのような人にふさわしい形式における有能さが全くない。なぜなら、そのような事実的なものとの関連でも繰り返され、そもそも道徳的な解釈に〈582〉非常に似ている戯れ、気に入った形式や名称でなされる戯れ、そこにおいてもイデーの表現を見出すためなのだが、そして、そのような自由な演繹をすでに十分不機嫌な腹立たしい思いで私たちは見てきた。フィヒテがそれをしばらく用いようとするのもそうだし、今や不朽となったカントの後期の仕事、『学部の争い』もある。これについては著者は、この老兵に対する尊敬から全く言及していないが。連関における厳密な分解に耐えない戯れの表現の下で先ず考えられるべきことは、「全ての歴史は外面的な体制の実現を目指す」ということであり、これは、行為による知の客観化についての他の個所、そして観念的産物による行為の客観化についての個所から説明される。別のところからもシェリング氏がどの程度国家をすべての社交的なものを包括する形式と見なしているか知られる。そして、この前提から、知に関する外面的な諸々の組織も国家において把握されるということが当然言われなければならない。しかし、もし知が国家において把握されるということが、その後でその知とともに、国家を通して、国家との関係にあり、そして国家を通して力となるということと一つであると見なされるならば、それはほとんど理解できない錯誤である。とりわけ、それに加えて著者自ら事実的なものについて後の方の意味で、「それが実在的な知のもとで目指すのはただ国家において知られるべきこと、国家の目的に適う義務のみである」というならば〔それはほとんど理解できない錯誤である〕。次のようなこともある。この国家によって、国家の為に存在する外面的な体制は、知そのものを目指さず、ただ理論としての知のみを目指す。しかも、国家にとって不可欠な経験的実践というあいまいな意味においてである。このような体制がいかにして一つであり得ようか、あるいは一通りの仕方で先の外的な諸組織、すなわち、直接知そのものを目指し、継起的歴史的知としての性格から必然的に生じる諸組織と共に構築され得るだろうか?先の最初の諸組織は、現実に、各国家の特別な状態に依存しているし、また、国家が実際に定立する諸目的に依存している。なぜなら、そこからは、国家が特権を与えたり、制限したりするものが生じなければならないからである。しかし、イデーにおいても、それらは単に国家の構造から認識することができるのみであって、実在的なものとしての知の性質からは認識できない。これに対して後者の体制は、国家の中にあるにはあるが、しかし、シェリング氏によれば、国家によってあるのでも、国家との関係にあるのでもない。なぜなら、それらは、単に客観化された知に過ぎない国家自体と同じジャンルにあってずっと重大だからである。いかにして国家は、これらに特権を与えたり制限したりできるだろう。むしろそれらの体制の意図によって自分自身を制限するのが国家の責務であるのに。したがって、もし人が、内容の性質によって分離されたこれら諸組織から、不完全な模写を現実の中に求めるならば、人はそれ(模写)を、ただ歴史的知の補完的伝達への自由な結びつきにおいてのみ見出す。そのような伝達を考慮して、先の国家の様々な自己制限も、それを国家の時代状況から独立させる為に、〈583〉すでにあちこちに現実に参入してきた。これに対して学部は、国家の力として、すべて他の広義の組合制度と同じ根拠から生じ、したがって、その対象の性質から生じるのではない。そこで、最初の諸原理についていえば、本書の秘教的側面は、公顕的側面よりもよく準備されているように見える。そして後者(公顕的側面)は、最初の諸原理を前者(秘教的側面)に近づけるという高貴な努力のもとで、実際何かをこうむったように思える。しかし、その諸原理からの厳密な導出に関していえば、そこにおいては認識体系自体に関しても、著者の弁解がはびこっているように見える。彼は他ならぬ先の努力によってここで正しい道に入っておらず、実在的諸学問自体を正しく叙述することもない。その結果、それら諸学問を彼が一度自分が保護するに値すると認めるあの事実的なものに、近づけるからである。私たちはこの判断を正当と認めるために、さらに彼の論旨を追ってみよう。彼は次のように言う。哲学の内的な範型は、それによって実在的知の組織も形成されるに違いないのだが、三つの点に基づいている。すなわち〔1〕そこにおいて観念的世界と実在的世界とが一つのものとして眺められる無差別点、〔2〕〔3〕これら二つの世界の相互に対立する二つの中心点である。この無差別点を対象化する学問は、絶対者、神的本質の学問、神学である。さらに、哲学の観念的な側面を単独で取り上げ、対象化するのが歴史と歴史における事実的なもの、すなわち法形式とその個々の諸規定についての知識である。そして最後に、哲学の実在的側面を対象化する学問が自然科学であり、その事実的なものは医学である。それらのいずれの学問も哲学をその総体性において対象化することはない。これはただ芸術において起こり、それのみが観念的なものと実在的なものとを完全に一つに形成する。これに対してはしかし、事実的なものは存在せず、あるのはただ自由な結合のみである。なぜならそれは国家によって特権を与えられたり、制限されたりすることは決してできないからであると言われる。事実的なものについてのこのようにあからさまな説明によって非常に奇妙に思われることは、神学について次のことが証拠として引き合いに出される点である。すなわち、神学が何か事実的なものを含んでいるということが、一般的に想定されるということである。というのは、神的絶対存在についての学問が、国家によってどのようにして客観的存在や外的な現象を獲得できるのか、理解困難だからである。それゆえにまた、この学問における事実的なものを、純粋に歴史的なもの、実在的なものから識別する特定の兆表が全く欠如しているのである。一体この実在的で純粋に歴史的なものは、神学においてどのような状態にあるだろうか?第8講義の終わりの部分で、神学という真に歴史的学問について言われていること、及び、キリスト教が必然的に歴史的なものとして把握可能であるということに基づいていることは、キリスト教自体というよりも、著者がここで成し遂げるはずであったものについてのおそらくは記憶である。なぜなら、真に歴史的な学問である哲学も、同じ言葉で同じようにうまくもたらすことが可能だが、〈584〉シェリング氏はそれを認めようとはしないからである。したがって、そのようなものには何も明らかにならない。それが一体生じることが可能だろうか?一体至るところでこの無差別点が、実在的学問の対象になることができるだろうか?これら諸学問に分岐する他のすべての知識(S.153)は、そこに区別と分離が支配するような知である。このような知が、神的絶対存在の学問において支配的になることが可能であろうか?あるいは、いかにしてそれが継起的にそれ自体で現われることができるだろうか?非絶対性においてはただ二つの対立する姿において現われることが、絶対者の絶対的形式であるのに。したがってここでもまた宗教は必然的にキリスト教と神話に解体される。それらのうち前者〔キリスト教〕は観念的なものとしての歴史において神の直観であり、後者〔神話〕は実在的なものとしての自然において神の直観である。したがって、両者のいずれによってもあの無差別点、観念的なものと実在的なものとを一つのものとして眺める点は対象化され得ない。このようなことはこれら二つの宗教を一つのものとして眺めるもう一つ別の知によってのみ起こり得る。このような知は、ここでもまた時おり現われ、やはり宗教と呼ばれる。すなわち純粋な理性宗教である。しかし、それは通常宗教が特徴付けられるような直観ではなく、洞察といったものであり、その性質上純粋に哲学的で、歴史的なものを何も持つことができない。 キリスト教が全く歴史についての高次の見方として記述され、必然的にそれと並行して神話が、正しく理解されるならば、自然についての高次の見方でなければならないことによって、ここに叙述された神学あるいは宗教が、いかに他の二つの実在的学問に流入するかを見るならば、次のことは明らかである。すなわち、神学は他の二つの学問と同じ意味で実在的学問であることはできず、またそれらと種類は同じだがその対象によって区別される知であると言うこともできず、神学のそれらに対する関係は、無差別点の客観化の、差別化の側面の客観化に対する関係であるということでもなく、むしろ神学は、それらと対象を共通にしていながら、全く異なったその扱い方を示すということなのである。したがって、評者と同様に、すべての人が、実在的諸学問のもとに神学の素性証明を見出すということを断念しようとするならば、その場合には−ただ宗教がここでのように定立され承認される場合のみだが−次のような課題が成立する。すなわち、他ならぬこの扱い方の差異を明らかにするという課題であるが、それは、それによって歴史と自然科学が純粋に、混同されることなく把握される場合のみである。しかしながら、この課題が願いどおり解決されないとしても、それは体系の責任ではないということ、したがって、実在的学問の体系もはっきりとは現われ出ないということ、このことに対する証明は次のことで十分である。すなわち、この著作における哲学の範型についてのより詳しい叙述は、上で詳論された叙述よりもはるかによく哲学にふさわしくこの体系を組織するのに役立つということである。哲学の必然的な範型とは、158頁に次のようにある。「絶対的中心点を〈585〉両者の相対的統一において等しく表示し、また反対に、この相対的統一を絶対的中心点において表示することである」と。さて、この根本形式にしたがって、153頁に記された「根本知の実在的描写」が実現されるべきであるなら、私たちは非常に幸運なことに、無差別点に対応するような知、その知と共にその絶対的形式に従って全ての方法が再び一つの差別化に過ぎなくなるような、そういう実在的知を立てるという解決困難な課題から解放されるかというと、そうではなく、実在的諸学問は、それら二つの関係自体の叙述に過ぎず(213頁と比較せよ)したがって、精神的世界の歴史的構築であり、また自然の歴史的構築であり、それら両者は共に、それらが実際に一つと見なされる限り、(153頁)根本知の実在的描写をも形作るのである。しかもそれは完全な唯一の描写である。なぜなら、実在的及び観念的世界における根本知の継起的な啓示は、絶対者の絶対的形式を汲み尽くすからである。これに対して、上記の範型にしたがって、根本知は三重のあり方で実在的に表現される。すなわち、第一に宗教によってその根源性において〔表現される〕。それは内的なものが神学によって対象化される場合で、その場合神学は根本知の独自で完全な叙述である。次に、歴史と自然史によってその分裂状態において〔表現される〕。そして最後に、芸術によってその全体性において〔表現される〕。これら相対的に対立する歴史的諸学問は絶対者を呈示するが、しかし、それは、それらが全体として思考され、知の思弁的側面との関係することによって統一される場合に限られる。しかし、観念的諸現象や実在的諸現象の系列が、歴史的に追及されることによって、個は絶対者の外に、絶対者から離れて思考され、その限り全体―個はその不可欠な部分なのだが―と同じではない。そしてここに先の二つの範型にしたがって、二つの課題―その解決は決してまたもや実在的学問ではなくその補完である―が生じる。すなわち、それは個々の相対的なものにおいて絶対者からの分離を破棄するためであり、そうして直接中心点を創り出すためである。すなわちこれらの解決は、先ず、個々の相対的なものにおいても絶対者を表現することであり、それは芸術の力によって特定の現象においても観念的なものと実在的なものとを一つに作り上げることによってなされる。第二に、反対に、絶対者において個々の相対的なものを表現することである。すなわち、個々の有限者―それが実在的であろうと観念的であろうと―を無限者において直接直観する。その無限者においては自ずから常に、観念的なものと実在的なものとは同一のものとして眺められねばならないのだが、これは正に宗教において起こることである。このようなこと全てが、芸術と宗教との関連で、象徴や神秘によってどのように続いていくのか、また、一方で哲学自体が芸術の現われと考えられることによって、他方でしかし宗教が、諸現象の世界で自らを直接啓示する哲学以外の何ものでもないことによって、いかに根本知の観念的また実在的叙述が二重に相互に編み合わされているか、ここはこういったことをさらに詳しく論じる場ではない。ただ〔シェリング氏の〕著書との関連で〈586〉次のことは明らかである。すなわち、先の三つの点から単に歴史的な知のみならず、それと共に同時に学問研究の三つの形をも導出するということが、正当さを超えて見かけの容易さの犠牲に供されたということである。方法論自体においてある程度混乱して現れているものすべても、ここで提起されている観点から容易に明らかにし得る。正に論じられていることとの関連で、絶対的神的知の学問としての神学の、有限者における無限者の、あるいはその逆の直観としての宗教に対する関係もここに属する。後者〔宗教〕が言うなれば力づくで導き入れられ、即座に前者〔神学〕と同じものとして説明されることによってである。さらにキリスト教と神話との対立、これは、様々に変化する姿における無限者の啓示について、しかしまた再びイデーの祖国としての東洋について語られることによって、非常にあいまいにされて入るが、決してはっきりと解消されてはいない。なぜなら、確かに神話においては、神話に基づく宗教が語られており、またキリスト教においては、宗教に必然的に伴う神話が語られているが、しかし、これら対立しているものを再び等しいものとし、統一してしまうような構造は決して見出されないからである。それ以外にもキリスト教の叙述は全体として卓越しているし、その全く神秘的性質及びその歴史に対する関係は非常な明晰さで展開した。後者はおそらくある人々には目新しいこととは思えないだろうし、シェリング氏にとっても独自なことではなかった。しかし人がしばしばシェリング氏の著作に申し立てるこの非難は、次のような人にとってだけ何ものかであるに過ぎない。すなわち、疎遠な考えの乱暴な受容を、次のようなものから区別することを知らない人である。つまり、規則的に振舞う全体へのふさわしさによって自らを真の第二の発見−それにとっては、他のそれより以前のものは偶然先行したに過ぎない−として告知するようなものから区別することを知らない人である。キリスト教の構成に対する個々の懸念について評者は単に暗示するにとどめたい。贖罪や犠牲のイデーは基礎付けられていないし、それらのジャンルにしたがってある場合には過大評価され、ある場合にはあまりにも制限されすぎている。奇跡の概念を思弁的に捉えるという要求には、個々の事実−その自然さは、概念の思弁的内容と全く矛盾することがない−の説明における解釈者の努力が衝突する。またキリストについての思弁的な見解も、キリストが〔永遠と時という〕二つの世界の境界として立っているという主張と一致しない。総じてここでは高度な恣意−それはこの側面からはキリスト教の鍵となりえるのだが−が何かをぼやけさせている。 ― 芸術についての記述にも、選択された型の荷やっかいになるような混乱とさらにひどい乏しさがある。なぜなら、取り扱いの欠如のゆえに芸術についてはほとんど論じられておらず、したがって、それが組織体全体の必然的要素として導出されるや否や、その領域の輪郭が確実に叙述されることができなければならないからである。〈587〉しかし、それがそもそも論じられているところでは、哲学に対する芸術の関係が単に比喩的に語られているに過ぎず、宗教に対する内的関係は、示されるというより前提とされており、その全領域は、以前の、例えば国家も教会も芸術作品として証明されなければならないという言及と比較して、非常に不完全にしか規定されていない。それゆえ、芸術は、最後に従属的な意味で、非常に断片的な仕方で、哲学者や宗教家、政治家達に−このような分類が著者の口をついてでるのは何か奇妙だが−ほとんど願望として奨められるのである。

 

d.歴史に関して言えば、そこからは神学のための高次の考えが取り除かれ、実用的な扱い方−それはここで簡潔に非常に適切に叙述され評価されている−が、経験的なものとして、歴史に実在的学問の位置を与えるに値しないもののように説明される。そこで、評者が決して好ましいと思わず疑わしいと考えているそれら帰謬法的な演繹の一つによって歴史のみが芸術として残ることになる。シェリング氏は、問題の真の性質を自らにあるいは私たちに隠すために、これをあいまいに「歴史は芸術と同列に置かれるべきである」と表現するのだが、しかし、このような方法では、歴史は実在的諸学問の系列から全く消滅してしまい、宗教と芸術とがそれぞれの仕方で働きかけるべき客体になってしまうことは、誰も見落とさないだろう。仮にこれが当初見落とされるとしても、「芸術は歴史を常に運命として叙述すべきである。それによって芸術は本来的な歴史として、宗教的立場にも哲学的立場にも立たない」という規則によって、なおはっきりとそこに導かれる。なぜなら、正にこれは次のこと以外の何であろうか?すなわち、摂理のイデーと対照をなす、より古い非キリスト教的時代の宗教的立場以外の何であろうか?そしてヘロドトスが例として引かれるならば、彼において運命と報復は小さな経験的諸対立に基づいているということによって、その方法を単に実用的とだけ認めるという試みは、些細なことではない。他方、もし人が、シェリング氏にとって諸々の出来事は歴史の対象ではなく、むしろ観念的世界の組織体の実現であると考えるなら、観念的世界が知の実在的叙述のこの領域においてすべてであることは明らかである。そして、それがすべてでありまた無であることによって、その叙述には確かさが欠けていることを人は認めねばならない。自然科学の扱いは優れている。そして、物体的系列の構造は、その歴史的側面の本来的内容として非常な確信を持って叙述されている。したがって、誰もが次のことを認めなければならない。ここで理論概念について語られていること、すなわち「それはあの普遍と特殊のあいまいな混合−平凡な知はそのとりこになっているのだが−に属している」ということは、ここで、それとの相関概念である実験と共に〈588〉歴史的自然学の根拠として立てられているような概念には当てはまらない(ということを誰もが認めねばならない)。というのは、ここではそのような混合は、非常に明晰に解決され、学問の実在的な側面がいかに身体として思弁的側面に従うかが示されるからである。問題のなのはただ、観察もまた実験を支援すべきなのかどうか、あるいは、各人はそれを、その下に含まれているものとして、自ずから考えるのかどうかということである。なぜなら、最近まで人は、実験をただ非有機的なものに対してのみ使用し、また観察を有機的系列に対してのみ使用するのが常であるように、両者は分離していたが、そのようなところではいずれの側にも平安は見出されなかった。また著者は歴史記述的な自然学を、ただ地質学に限定しているように見える。なぜなら、著者が仮定しているように、天体と地の産物の一致のように何かが現実に与えられるべきであるなら、私たちは、全く不断に前進することによって、宇宙論とはいかなくとも少なくとも太陽学(Heliologie)に歴史的にも達するという希望を捨てることはできないからである。自然科学について語るこれら三つの講義−それらに対して評者は間違いなくあらゆる点で賞を与えることができるが−個々の点に言及することは、努めて控えたい。学問の個々の部分や見解の関連について時機に適って語られた非常にすばらしい言葉が、ここにはちりばめられている。事実的なものについてだけ言えば、他ならぬ著者の言う意味において、国家を通して、あるいは国家との関連で、ここでもまた当今の現実の大学組織を物欲しげに見ることが、事柄自体が明らかにしたであろうところから導出されている。というのは、なぜ医学と同様に、植物学や治金学が、国家によって同じように組織されてはならないのか、不可解だからである。

 

e.これら体系を構成する実在的諸学問の他に、なお二つの学問があちこちで言及されている。それらも哲学の外部にありながら哲学と同列におかれている。すなわち、等しく絶対的なものとしての数学と、等しく思弁的なものとしての道徳である。数学に関してシェリング氏は、その場所を一般的な知の体系内に十分定めたつもりでいるが、評者は、これははっきりしていないと考える。なぜなら、もし解析と幾何としての数学が空間と時間とに基づき、そしてこれら〔時間空間〕がただ哲学において構築され、哲学を通してのみ数学の対象と認められるのであれば、いかにして数学は、哲学と並ぶ純粋な理性の学問として知の一般的体系内に自らを据えることができるだろうか。絶対的認識様式の形式的性格によってであろうか?しかし、このような性格は、その対象の性質への哲学的認識なしには、そもそも全く根本的に示され得ないし、それから全く分離し得ず、したがってそれは哲学自体にある性格に他ならない。また著者〔シェリング〕は、自ら言及する応用数学をどのように構築するというのだろうか?〈589〉他には類比を持たないものが、どこから到来すべきだというのか?さらにここでは、数学に二重の見方が呈示されている。そして象徴的な見方がその中でも上位に置かれるのは正しい。しかし、それによってその学科がすでに哲学と同列に置かれるような意味よりも高次の学科の意味がどうしてあり得るだろうか?ここではもともとこれ以上関わりあうことができない象徴的なものについては度外視するとしても、著者自身が数学について語っている次のこと、すなわち「その諸形式は、自然的プロセスの死んだ形式に過ぎない」ということは数学全体には妥当しないのだろうか。その場合数学は、実験と観察の技術に他ならないのではないか?道徳についてはただ時おり、特に哲学の表面的な対立において問題なるだけだが、道徳について語るこの数少ない箇所は、美的なものに過ぎない。道徳性の概念が、イデーによってのみ行為に意義が与えられえることによって、ついには哲学によって事実的なものになるべきだという希望は、この学問の友に対する喜ばしい告知である。また道徳は構築なしにはほとんど哲学と考えられないということは、通常考えられている以上の名誉である。しかし、知全体の体系の何処に、この理論哲学としての正に思弁的学問があるのだろうか?この付加がただその哲学のためになされることは明らかである。しかし、この付加は無作法である。なぜなら、そうでなければここでは理論哲学との対立のおける哲学の実践的な面は、決して問題にならないからである。しかし、もしそのような対立が存在し、そして実在的諸学問が単に理論的学問に関係するに過ぎないならば、その組織体もただ理論的学問の範型から導出されるに過ぎない。そしてこのような範型は私たちにそもそも哲学の範型として与えられていない。反対に道徳が両者〔理論哲学と実践哲学〕に関わるとすれば、実在的諸学問の中にも実践的なものに対応する何かが存在しなければならない。しかし、そのような対立が存在しないとしたら、私たちは道徳及び道徳と共に語られる美なるものすべてと共に一体何処へいったらよいのか?したがって、いかようにしてもこのような道徳は本書及び認識の体系を困惑させるように思われる。他方、人がこの体系においてすでに見出された困難を考え、著者によれば道徳性は、一般的自由を通して対象化されるということを含めて考えるならば、そして、この組織の構造は、自然の構造と並行すべきであるとするなら、人はほとんど次のように考えるべきである。「ほとんど消滅してしまった歴史記述の場所は、ここから所有されねばならない。そして、いわゆる歴史学は、哲学的立場にも宗教的立場にも立つべきでないゆえに、決して正しく見出されないのだが、道徳性の歴史的構築なのである」と考えるべきである。然り、このようにしておそらく国家や教会についてのあの取り留めない言及や他の観念的な産物は−そこにおいてその行為は外的に表現されるのだが−何かより良い立場を獲得するのである。〈590〉その結果、シェリング氏は最初にはただ道徳を構築し、それを理論哲学や実践哲学との調和にもたらそうと欲し、それから認識体系の隙間を埋めようとしているように見える。そこで、自然の中心としての理性の位置や、生得的なあらゆる大地の霊への顧慮等々をここに導くことは多大な困難を伴うのではないか?

 

f.しかし今はさらにこの注目すべき書の公顕的側面について、それが学問研究に示唆を与える限りで言及する時である。当然のことながら、ここで個々に渡って詳述することはできない。事実的諸学問の授業が、大学で若者たちに自らを提供する通常の配置や、これら個々の部分の正しい評価、それらを組み合わせる目的に最も適ったあり方などは、問題になっていないも同然である。著者が最も詳細に指図というあり方でとどまっている歴史学においてさえ、その指図は、公に提供された授業の利用に対してよりも、各人独自の原典研究や、各人の芸術家への形成に関係している。したがって、そのような指図が、学問的生への正に第一歩において正しい場所にあるということを考慮するならば、現在的なその有用性は非常に限られたものに過ぎないことは明らかである。これもまた大部分、大学の現在の組織における偶然的なものを、内的で必然的なものの刻印と解釈する努力の帰結であるように思われる。なぜなら、これらを通して著者は、学生達が一般的なものから特殊への推論を引き出すことができるという結論へと、あまりに容易に至っているからである。これに対してもし彼が、この現在的なものをそれがあるべきものとの差異において、明確にしようとしたら、彼は間違いなく次のような幾つかの規定を与えようという気になったはずである。すなわち、それは障害にもかかわらず、貧しく混乱した大学体制組織から生じる規定であり、学ぶ者たちが、学問へ突き進むのを容易にするのに役立つように利用できる規定である。確かに本書の諸講義には、そのような暗示は、特に神学と自然科学においては欠けてはいない。しかし、それらは非常に秘教的なものに結びついており、若者たちが学問的生への参入に際しこれを正しく利用すべきであるという前提が強すぎ、著者自身が、この段階以前に獲得されるべき知的教養の程度について主張していることと矛盾してしまう。また複数の個所において、著者が学問的な初心者あるいは熟練者のどちらを念頭に置いているのか−これは、公顕的な目的のためには本質的な差異をなす−という動揺が見られる。しかし、二重の観点で、〈591〉初学者にもこれらの講義は大いに役立つ。第一に、たとえ彼らが、すべて個々の学問的なものを理解しなかったとしても−残念ながらたいていの講義でこのことが常に当てはまるのだが−次のことが欠けることはない。すなわち、より高次の意味で学問に対する欲求が刺激されるということである。第二に、次のことも非常な感謝に値する。すなわち、彼らが適切な配慮によって、実際の学びと真に歴史的な知に対する十分な尊敬の念に満たされるに違いないということである。単に自分自身からだけではなく、彼がその首謀者と見なされている学派〔思弁哲学〕からも、著者はこれらの講義によって、しばしば聞かれる次のような非難を取り除いた。すなわち思弁への高揚は歴史的知に対して無関心にし、それを軽視するので、時代を担う者たちは、実在的諸学問の領域においても、市民生活においても使いものにならなくなってしまうという非難である。なぜなら、学問を誇ろうと望む人に対して学びに関して著者がなしている要求を些細なものと見なすことは誰にもできないからである。また彼が、予備学校においてむしろなされるべきであると主張していることは、まことに正鵠を得ている。ただ彼はそこここでそれに過大なものを負わせている。つまり彼が文献学において、すべて解釈に属するものを、校訂に属するものまで学問から締め出す場合である。評者は判読作業を、それが単に様々な可能性における認識の完成に過ぎない限りは、単に通常の意味においても文献学の勝利と見なすようなことは決してしない。しかし、次の場合は別である。すなわち、文献学が単に最も正確な言語知識の結果であるというだけでなく、作家の独自性の結果でもあり、この独自性が欠けている者は、おそらくその必要を決して感じないということである。もし人が言語自体を人間の芸術作品と見なし、その歴史的構成がいかに厳密に観念的世界の構成自体と関連しているか、芸術や学問におけるおよそ歴史的なものすべてがいかに言語に反映しているか、そして言語との結びつきにおいてのみ正しく認識できるかということを考えるならば、次のことは全く明らかである。すなわち、ここでも正しいものは学派によってもたらされることはできず、それを生涯かけて特殊な学問となすに値するものである。著者は、第3講義において自然認識と言語認識とを非常に見事に並列化しているので、評者は同様な要求を、第1講義についても見出すことを期待した。そしてここでは実際あまりにもわずかしかより高次の予備学校に関して生じていない。

 

g.論評を終える前に、今一つのことについて自分の考えを述べねばならない。それは次のようなことに対する懸念である。すなわち、著者は、一方において実際の学びに対する尊敬を吹き込むために為したことを、他方、本書全体に行き渡っている論争によって再び破壊してしまったのではないかということである。人は当然のことながら〈592〉初めて学問の門を叩く人々を、精神的なミイラのように防腐処理をすべきではない(S.113)。しかし、まだ空虚な内的空間〔心の中〕を論争詰めにしてしまうべきでもない。彼らはまだいかなる先入見も持っていないのだから、彼らとの談話において他の考えと争う必要はないのである。彼らにはただ正しい諸原則を適切に教えればよいのであって、そうすれば誤った考えが入ってくる余地はないのである。確かに対立するものを叙述することによって、真なるものが明らかにされるということはある。しかし、そのような事柄に対する差し迫った論争は、あの貧弱で物まねに過ぎない論争とは様式において区別される。後者の論争は一般的ではあるが個人的である。なぜなら、その論争は、争点自体を叙述するのではなく、あれやこれや耳にするところにしたがって叙述するに過ぎないからである。そのようなものは、どのみち非難されるべき若者の高慢を助長するだけである。彼らは次のように思い込む。すなわち、そのような記号によって非学問的なものを個々の事例において認識し、それを奏じられた音調に従って軽蔑できるというだけで学問を持っていると思い込む。また他者との比較で何かひとかどの者になったと思い込むのである。評者は次のことについては語りたくないが、自分たちの仕事を通して、実際以上に見かけだけ学問的な領域と何らかの関係のある人々の大部分が、若者に軽蔑されるような現われ方をするならば、それは若者たちにとって、彼らの市民的な関係でいかに有害なことか。著者は彼の著作の公顕的部分との関連で、「このようなことはここには属さず、この軽蔑は彼自身の原理に従えば大部分不当なものであることだけを彼に気付かせる」と言うことができないにもかかわらず。シェリング氏は、学問に依存しない生を通しての教養を認めている。それははるかに遅々とした煩わしい教養ではあるが、それによっても人間は卑俗を超え出てイデーの高みへ昇ることができるという。そのように教養を受けた人々は、学問について倒錯的に考えがちだが、しかし道徳が芸術あるいはそれに類似したものであるなら、彼らは、自分の技巧を超えて哲学へと高まることなく、自分の芸術についてしばしば奇妙な語りをする芸術家よりも軽蔑されることはないだろう。かなり力強く有効で、また高貴な論争の事例を、著者自身第8、第12講義の冒頭で提供しており、したがって、これら誤って導く講義は表現の失策に過ぎないということはできない。むしろ過ちは、私たちが秘教的なものにはないと気付いたものと関連しているように見える。すなわち、それはすべての哲学にとっての、その諸原則にふさわしい心的態度や生の体系を提示するという認識の体系に対立する課題であり、本書においてもそこここに時おり認められる課題であり、行為の重要性が〈593〉イデーによって確定される。この体系のためには、学問と芸術による体系しか存在しないのか、それともほとんど神的な征服者の力による体系のようなものがあるのだろうか?ここにあるのは次のような予感である。すなわち、学問でも芸術でもないものすべてに抗して、また神的征服者の力に対抗する温和な制限に抗して、この一面的な論争に注がれる何かが欠けているという予感である(S.108)。この論争はその有害な作用を、少なくとも評者の感じるところでは、文体にも及ぼしている。人はしばしば、鋭く辛らつな箇所に出くわすが、それらの箇所について人は次のことを認めねばならない。すなわち、それらは全く支離滅裂な思いつきのように見え、全体のトーンと不調和をなしていると。聴衆の前での教授的な講演においてもそれらの箇所が見出す同意は、それらを抑制しない大いなる誘惑となるということはあるだろう。しかしシェリングほどの教師であれば、そのような趣向を引き締めるべきで、決してそれに振り回されてはならない。同じように、他方で、これら論争的な叙述に最も多く、講義という自由な文体であっても、それが印刷に付される限り、許容されるべきでないような不注意が見出される。少なくともそれは『ブルーノー』の著者が行ってはならない不注意である。

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